結城玲夏

ゆいしろじゃなくてゆうきです、れいかじゃなくてれなです。ティーンエイジャー消費中

結城玲夏

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マガジン

  • ティーンエイジャーの消費期限として

    怠惰とその場凌ぎで19年生きてきました。はたちを目前にして、帳尻合わせを始めます。

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縁あれば千里

 「私達、うまくいくような二人じゃなかったんだよ。」  彼女の最後の言葉だった。未だに鮮明に覚えている。東京にしては珍しく、積もるほどの雪が降った日だった。白い息とともにそう吐き捨てて去った、ベージュのダッフルコートを羽織ったボブヘアの後ろ姿を、僕はただ呆然と見つめることしかできなかった。  彼女が去った後、僕の周りには摂氏1.7度の空気と髪に積もって溶けない雪だけが残った。  中学二年の頃に付き合い始めた彼女。進学する高校の位置が真逆になったことがおわりのはじまりだった。

    • 19歳の送辞に代えて

       お久しぶりです。結城玲夏、久しぶりのエッセイです。  気づいたときには数週間が経過し、ティーンエイジャー最終日となってしまいました。そんな大事な日であるにもかかわらず、起床直後の立ち眩み(a.k.a.寝不足)によって授業をぶっ飛び(結果的に総武線が使い物になっていなかったので助かったのですが)、午前中は完全に惰眠を謳歌しきるという、完全に立ち回りをミスった最終日となりました。  わたしらしいと言って仕舞えばそうなのでしょう。  それでもいいように感じます。それでもいいと

      • 初夏の帰路

        ※この物語はフィクションです  なんて、予防線みたいな書き出しをしてからじゃないと思いついた小説すらも綴れないなんて、終わってる。日暮里駅で大量の人が雪崩みたいに降りていった山手線外回りは終電間際。入れ替わりで、2駅先の鶯谷では飲みの帰りであろう男女がガヤガヤと乗り込んできて、なにやら向かいの内回りのホームに手を振っている。大学近くで友人たちと盃を交わした帰り道、遠方が祟って少し早めに離脱した僕は、その姿を横目で見ながら、手元の本に目線を戻す。  0:00ちょうどに降り立

        • 失速のおしらせ

          完全に失速してしまった。執筆者の結城さんにおかれましては自己嫌悪に陥るのも大概にしていただきたいので、全部体調のせいにしようと思います。ガチで寝込んでいたので。。帳尻合わせのひと月間ですら帳尻合わせにいこうとするからいけないんです。でも、こっからよこっから。 失速の原因を探るべく、あ、アマゾンの奥地には行かないんですけれども、自分の文章をぼんやり読み返していたら、びっくりするくらい想像を誘わない文章でびっくりしてしまいました。結城さんこんなのでいいの?これじゃあワクワクなん

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        縁あれば千里

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        • ティーンエイジャーの消費期限として
          6本

        記事

          坊主の五日目

          毎日更新するって言ったじゃん!  最近巷で話題のねこ。ごめん。かわいい。ごめんて。  さて、見事三日坊主を達成したわたしこと結城玲夏ですが、ここで挫けるほど甘っちょろい19歳ではありません。まあ本当に甘っちょろくなかったら昨日も更新しているんですけどね。でも一個だけ言い訳させてください。  昨日は本当に体調がギリギリだった。びっくりするくらい。なので説明も兼ねて1日の行動を振り返ろうと思います。  バイトを抜け出して友人と遊びに行って店長に怒られる夢を見ながら最悪の起床

          坊主の五日目

          惰を受け入れること

           散々な1日だった。散々な1日だったはずなのに、わりとよくある一日のような感じがする。  目が覚めたのは朝8時だった。今日の授業は15時からだから、13時に家を出ればじゅうぶん間に合う。あと5時間か、なにをしようか。リビングはしんとしていて、まだこの家の人間は誰も動き出していないようだった。コップ一杯水を飲み、少し扁桃腺が腫れているような気がして、追加で風邪薬を飲み、布団に潜り込んだ。病は気からとはよく言ったものだが、近くに住んでいる祖父が現に体調を崩していると、自分までウ

          惰を受け入れること

          塩おにぎりとすこやかさ

           今日はいつもより10分早く家を出た。今学期が始まってからというもの、9時5分になってシンデレラもびっくりの慌て方をしながら家を飛び出す毎日を送っていたわたしにとって、8時50分に家を出るというのは正直革命だった。いつもより3本ほど早い電車はほんの少しだけ空いている気がした。教室に着いたのは始業10分前、いつも始業のチャイムを芝生の上で聞くことになっていたので、自分の座る位置が定まらなくてソワソワする。少し後ろの、人と人の間に狙いを定め会釈をしながらパイプ椅子を置く。鴨川の河

          塩おにぎりとすこやかさ

          ティーンエイジャーの消費期限として

           お久しぶりです。結城玲夏です。久しぶりに結城玲夏と打ってみたら、有機れなとか出てきて、我がPCの予測変換の認知機能の低下に頭を抱えたところです。  みなさまお元気でしたでしょうか。私のnoteの書き出しが大体「お久しぶりです、結城玲夏です」になってしまっているのは気のせいでしょうか。飽き性+怠惰+気分屋=多方面に迷惑をかけフェードアウトしがちという最悪コンボのわたしは、今日も怠惰に身を任せて古今東西数多のタスク処理をしきれないまま、日付変更線の上を平均台を渡るように歩いて

          ティーンエイジャーの消費期限として

          御無沙汰しております、結城玲夏です。

           段々と朝晩が涼しくなってきた今日この頃、皆様におかれましては、もう秋だぞと気合を入れて長袖を来て外出し、昼間の照りつける陽射しの中を一抹どころではない後悔を手に歩いていることとお慶び申し上げますが、いかがお過ごしでしょうか。わたしは人生史上最長の夏休みを終え、秋学期が始まり電車に揺られる生活が始まってから1週間とすこしが経つ頃です。  そんなメチャクチャ揺れる電車の中からポチポチとこの文章を書いているわけです。どうして急に書こうと思ったんでしょうね。思い立ったが吉日、とはよ

          御無沙汰しております、結城玲夏です。

          窓辺にて、感想。そして日記のような駄文。

          そうか、映画か。映画を見よう。 と思い立ったのは現代文演習の授業を受けている時間。松村寿輝著「波打ち際に生きる」の設問を読んでいるときだった。彼は映画を波打ち際と表現していて、わたしはその表現を好きだと思った。好きだと思ってから、もうここ1年まともに映画を見ていなかったな、と思い返した。 TOHOシネマズで上映されている映画はあまり好きじゃない、と思いながら生きてきた。なんとなく世俗的な感じがして、なんとなくありきたりな高校生らしく思えてしまっていたから。だけど友達と映画を

          窓辺にて、感想。そして日記のような駄文。

          ディストピア作品と恋と愛

          ディストピア論 吉川浩満氏の述べる功利主義の三大特徴を、ふたつのディストピア作品と照らし合わせて掘り下げていきたいと思う。彼は功利主義とディストピア作品について「浅薄で、下品で、グロテスクでありながら、同時に深遠で、エレガントで、美しい。」と綴っている。  ここで私が扱う「ディストピア作品」は小説だけに限らずあらゆる作品についてであり、ここでは「ディストピア作品」の解釈を少し広義的に捉える。ディストピアは、「現実とはひとつ離れた世界線で繰り広げられる話だが、どこか現実味を帯び

          ディストピア作品と恋と愛