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縁あれば千里

 「私達、うまくいくような二人じゃなかったんだよ。」
 彼女の最後の言葉だった。未だに鮮明に覚えている。東京にしては珍しく、積もるほどの雪が降った日だった。白い息とともにそう吐き捨てて去った、ベージュのダッフルコートを羽織ったボブヘアの後ろ姿を、僕はただ呆然と見つめることしかできなかった。
 彼女が去った後、僕の周りには摂氏1.7度の空気と髪に積もって溶けない雪だけが残った。

 中学二年の頃に付き合い始めた彼女。進学する高校の位置が真逆になったことがおわりのはじまりだった。川を越えてすぐの高校に行く僕と山手線を使う彼女の行動範囲はまるで空集合みたいで、行動範囲が変われば付き合う友人も変わってくるもので、必然的に僕たちの会う間隔は空いていった。週五で顔を合わせ遠回りをしてまで一緒に帰った中学時代は遠い昔のものになって、高校に入ってどうにか取り付けた週に一回のスタバデートの約束は月に一回に減り、夏休みを境にどこかに消えた。
 LINEを送る頻度すら月イチになってもまだ、僕は彼女との関係に満足していた。自分の好きな女の子が自分のことを好きでいる、それだけで満足だった。彼女の気持ちを考えられていなかったことに、久しぶりに会った彼女に直接言われて初めて気づいた。
「ロクさー、全然自分から連絡くれないじゃん。インスタのストーリーは毎日更新するくせに。楽しそうにしてるなって思って、でも寂しいも会いたいも言えなくって、ずっと待ってるだけの私の気持ちにもなってよ。私の未来に君が居ないんだし、君の日常に私がいないんならそれでいいじゃん。ご縁がありませんでしたってことで。」

「俺の未来にあいつはいたんだよーーーー!!!!!」
「うるっせ」
「また始まったw」
 購買で勝ち取った限定四つのサンドイッチを片手に今日も嘆く、教室前列中央。僕の席の辺りに集まってくる三人。締め切った部屋でガンガンに回されたクーラーの風がちょうど当たる場所。黒板の上の時計は1時13分を指している。
「俺は一言一句違わずに覚えてるんだぞ…」
「それ、今月入って7回目。未練タラタラ」
「あいつは可愛かったんだよ…笑った顔とか…あとボブだし…」
「顔かよ」
「結局顔」
「それと髪型な」
 左から坊主、ツーブロック、センターパートの三人に総ツッコミを受ける。
「だけじゃねえんだよーーー!!」
「マッシュはボブ好きってよく言うもんな」
「うるせー!それでなにがわるい…」
「早く新しい彼女作れよ」
「できねえよ、俺あいつを超える人に出会える気がしねえ…」
 僕はまだ、元カノのことを忘れられないままでいた。中学時代の同級生のことを未だに好きでいる、と言ったほうが正しいのかもしれない。
「ロクお前さ、今何月だと思ってんの?七月だぞ、夏が始まるんだぞ?高二の夏ってのはな、出会いの季節なんだぞ?おい!江西ロク!17歳!出会いを探せ、前に進めって!!」
 たらたらと元カノへの想いを吐露する僕に野菜生活を飲みながら熱弁する坊主。またこのくだりかとため息をつく一同。おいおい坊主よお前は年中出会いの季節だろ、と言いたげなセンターパートを横目に昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。

 朝起きて、支度して、自転車に乗って橋を渡って、高校に着いて、授業受けて。昼になったら奴らと馬鹿やって、また授業受けて、部活して、高校を出て、自転車に乗って橋を渡って、帰宅、入浴、夕食、就寝。元カノに振られてからの半年ちょっとを、僕は抜け殻若しくはwhile(1)とプログラミングされたロボットのように過ごしていた。

 夕暮れあとのブルーモーメント。部屋の窓際に置いたベッドに寝転がってTikTokのおすすめ投稿をスクロールする。時々流れてくる元カノに似たボブの女性がまた現れた。反射的に画面を長押しして 興味ありません を押す。少しでも元カノから目を逸らすためのよすがだ。
 小さく息をつき画面から目を離して、かすかに揺れるカーテンの隙間から網戸越しに青藍の空を眺める。右手に掴んだスマホが永遠にリピートしている15秒の音源は蝉の声と混ざって妙に心地よくて、ふわりと目を瞑る。
 何回か音源が繰り返されたのち、ふと、視線をスマホに戻す。6インチの画面のなかで、まるで魔女の宅急便のジジみたいな艶のある長い黒髪の女の子が僕のことを見つめていた。
  @縁
 目にかかりそうな前髪から覗かせる丸い目は平行二重だ。元カノとは似ても似つかない風貌の女の子なのに、僕にしては珍しく、可愛いなと思った。無意識のうちに画面を2回タップして、いいねをつける。画面に飛び出したハートは彼女の顔の前で弾けて、右の白いハートが赤く染まった。ハートの下の数字が、0から1に変わった。

「なあ、この子めっちゃ可愛くね?」
 昼休み、いつも通りの昼食タイム。いつも通り僕の席に集まる三人。センターパートが見せるスマホの画面で音源に合わせて愛想を振り撒いているのは、よく出てくる例の元カノ似のボブヘアの女性だった。
「わかる〜かわいい〜」
と煽るお調子者のツーブロにお前はJKか、とツッコミを入れつつ画面からは目を逸らす。
「ロク、お前も見てみ?絶対タイプでしょ」
あー、うん、ボブだしね、なんて適当に返しているけど、頭の端では昨日の @縁 がずっと僕のことを見つめていた。

 今日も、夕暮れあとのブルーモーメント。風呂上がりの髪をバスタオルでわしゃわしゃと乾かしながら手癖でTikTokを開く。おすすめ投稿の一番上で、見覚えのある眼差しがまた僕を見つめていた。目が合って、髪を乾かす手が、時が、止まる。15秒の音源が何回か繰り返されて、我に返った時には既に 「可愛いですね」とコメントしていた。慌ててコメントを消そうとしたけど、少し迷って結局そのままにした。これも何かの縁だと思った。画面を左にスワイプしてアカウントを表示する。自己紹介欄は空白で、リンクも貼られていない。アカウント画面を見たらなにか新しいことが分かるかもしれないなんて少しだけ期待した数秒前の僕の湯冷めした体を、扇風機の風が追い討ちをかけるように冷やしていく。三人からしかフォローされていないこのアカウントが何故バズらないのか、僕には全然わからなかった。彼女の四人目のフォロワーになるには勇気が足りなかった。

  寝る前にロック画面で通知を確認するのは日課というより癖だ。暗い部屋に光度を下げてもまだ明るく見えるスマホの画面が浮かび上がる。上から順番に確認していく。LINEの5件は後で返す、Instagram6件はほとんどライブ配信通知で、TikTokは1件か。
「TikTokが1件?」思わず声に出た。タップして確認する。

@縁 があなたのコメントにいいねをつけました

 言葉のない返事に、すこし口角が上がる。僕の存在が彼女の視界に入ったことが、それだけでほんのすこしだけ嬉しかった。静かにスマホの画面を消して、眠りにつく。なんとなくいい夢を見られる気がした。

 朝起きて、支度して、自転車に乗って橋を渡って、高校に着いて、授業受けて。昼になったら奴らと馬鹿やって。また授業受けて、部活して、高校を出て、自転車に乗って橋を渡って、帰宅、入浴、夕食、就寝。元カノに振られてからの半年間繰り返してきた日常の、入浴と夕食の合間に、ブルーモーメントが加わった。

@縁 があなたのコメントにいいねをつけました

@縁 があなたのコメントに返信しました:ありがとう

 おすすめ欄はランダムなはずなのに、彼女は毎日僕のおすすめに現れた。そのたびに僕は「可愛いですね」とコメントした。調子のいい日は「ありがとう」と返信が来た。相変わらず、彼女のフォロワーは三人から増えていない。フォローボタンを押す勇気はまだなかった。

 窓からの直射日光が体育館に降り注ぎ、体感温度は40度超え。全校生徒が集まる蒸し風呂イベント、終業式。校長の長い長い話は蝉の鳴き声とともに左耳から右耳に通り抜けていく。前方を見ると、坊主とツーブロがちょっかいを出し合っていた。楽しそうだな、と思いつつ後ろのセンターパートをちらりと見る。夢の国に旅立っていた。
 元カノを引きずり続けて、友人にいじられ続けた一学期が終わった。出るたびに興味ありません を押し続けたからか、元カノ似のボブヘアTikTokerは次第に僕のおすすめ欄に姿を現さなくなっていった。

 家族団欒、夕食の時間。夏野菜カレーを食べながら、カレーにきゅうりはないだろ、と呟く。
「明日の持ち物ちゃんと揃えたの?」
 僕の主張なんか気にも留めずに話を進める母親。
「大丈夫、全部持ったよ、たぶん。」
「新幹線乗り遅れないでよ?あと向こうでの乗り換え。向こうに着いたらお義父さんが迎えに来てくれてるはずだからね、ちゃんと挨拶するのよ?」
「だから大丈夫だって。俺もうガキじゃあるまいし。一人で里帰りくらいできるって。」
「ごめんなー、父さんたち仕事だから行けないけど、親父とお袋によろしく伝えといてくれ」
「わかったわかった。それより俺はきゅうりがカレーに、」
「完食してるんだからいいでしょ。明日早いんだから早く寝なさい」
 母には勝てない。そう悟った僕はコップに残った麦茶を飲み干して足早に部屋へと戻った。

 クーラーが効いた部屋で布団に包まる。至福の時間だ。いつものように通知を確認する。LINEの7件は明日返す、Instagramのライブ配信はスルー。TikTokの通知は来ていなかった。なんとなく寂しくなってTikTokを開く。広告をスキップして、目に飛び込んできたのはセーラー服姿の @縁 だった。少し遠くで振り向いた彼女は背景の青空に吸い込まれてしまいそうで、可愛いというより儚く見えて、もっと彼女を知りたいなんて思った。

@六:縁って、なんて読むの?えん?

 アイコンのプラスボタンを押してフォローすることすら出来ない僕の「もっと彼女を知りたい」の限界。
 ほとんど溜め息に近い深呼吸をして、目を閉じる。右手でスマホのサイドボタンを押して眠りについた。

 朝起きて、支度して、大きめのバックパックを背負って家を出る。5時0分オンタイム出発。日はまだ昇り始めた頃で、東が眩しい。新幹線に乗り込んで、動き出したのは6時42分。ワイヤレスイヤホンを着けて、お気に入りのプレイリストを再生する。流れ出した音楽と窓からの日差しが丁度良くて目を瞑る。
 次の瞬間、通知音と共に胸ポケットに入れたスマホが小さく身震いをした。取り出して確認する。

@縁 があなたのコメントに返信しました:よすが。縁って書いて、よすが。

 「よすが」声に出してみる。
 彼女の名前を知る前よりも一歩だけ、彼女に近付けた気がした。

 新幹線に乗っている間に@縁よすがちゃんのTikTokの動画たちを見てわかったのは、彼女はいつもスマホをなにかに立てかけて、ひとりで動画を撮っているということ。そしてどこかの田舎の湖のほとりに住んでいる高校生だということ。それだけだった。東京で毎日を窮屈に暮らしている僕とは住む世界が違うのだろう。知れば知るほど、知る前よりもずっと遠くにいるように感じてしまった。

 最寄り駅には母が言っていた通りお祖父ちゃんが迎えに来てくれていた。お土産の東京ひよこを渡すと嬉しそうに、優しく微笑んでくれた。軽トラの助手席に乗り込むと、座席シートに染み込んだ埃のツンとしたにおいがして懐かしい気持ちになる。
 東京の夏よりも湿度が低いここの夏は過ごしやすい。助手席には乾いた空気が飛び込んでくる。田んぼの間を通る細い道。遠くに聳える山々。神社を横目に通り過ぎて、次第に近づく古民家。手を振る影はきっと祖母だ。車窓から身を乗り出して手を振り返してみる。
「せっかく田舎に来たんだし、散歩でもして空気吸ってきな」
 お祖母ちゃんのその言葉に甘えて、さっき見かけた神社まで行くことにする。歩いて十数分の位置にあるそこは与須賀よすが神社という名前で、あした縁日があるらしく沢山の屋台と提灯が建てられている途中だった。
 五円玉を投げ入れ、二礼二拍手。
「はじめまして、江西ロクです。早くあいつのことを忘れて、あたらしい出会いを見つけられますように。」
 願い事をするときは住所氏名年齢を言えって昔誰かが言ってた気がするけれど、挨拶くらいで大丈夫じゃないかと思う。一礼してその場を去る。ついでに御神籤を引いた。
 十五番、大吉、裏面のことわざには「縁あれば千里」と記されていた。

 夕暮れあとのブルーモーメントは、こんなド田舎にも平等に訪れている。風呂上がりで濡れた髪をそのままにして、縁側で仰向けに寝転がる。Instagramを開くと、見覚えのあるIDの新規投稿が目に飛び込んできた。
 見覚えのあるID、見慣れた名前、見惚れたボブヘアー。海ではしゃぐ元カノの姿だった。久しぶりに直視したなー、と思いながらスワイプして次の写真を見る。海を背景にしたツーショット。元カノに、新しい彼氏ができていた。僕に見せたことなんてないような笑顔だった。元カノは、新しい彼氏と幸せそうにしている。
 「あー、結構キツいな、これ」思わず本音が漏れる。あいつらには相談する気になれなかった。

 どうしようもなく、心に穴が開いてしまった。今なら電子を奪われて陽イオンになった水素の気持ちに寄り添える気がする。おもむろにTikTokを開いて、仰向けのまま外カメを起動させる。屋根の上に広がるタイムリミットまで残り少しのブルーモーメントを動画に収めて、適当にピアノの音源を付けて投稿する。彼女、よすがちゃんも、こういう気持ちで投稿してたのかもしれないな、なんて、そうだったら僕はちょっと嬉しいのにな、なんて、勝手に親近感が湧いて弾けた。
 「ロクー、夜ご飯ー」お祖母ちゃんの僕を呼ぶ声がした。
 スマホの画面をそのままにして食卓へ向かう。僕がいなくなった後の6インチの画面の、右端のハートと吹き出しの下の数字が0から1になった瞬間を、僕は見逃してしまったらしい。

 夕食から戻って、スマホを見て、おののいた。

 @縁:綺麗ですね。

 よすがちゃん、だった。
 彼女が僕の動画を見た。彼女が僕の投稿にいいねを押した。彼女が僕の投稿にコメントをした。フォローは、こなかった。でも彼女が僕を見た、それだけで嬉しかった。返信する勇気はなかった。震える指先でコメントのハートをピンクに染めた。

 朝4時半には目が覚めて、支度して、早朝からずっとお祖父ちゃんの畑仕事を手伝いながら、僕はずっとよすがちゃんのことを考えていた。お祖父ちゃんの畑で枯らす枝豆と収穫する枝豆を選別しながら、遠くに住んでいる、会ったこともない、僕のことを分かっているかもわからない女の子のことを、ずっと考えていた。

 夕暮れあとのブルーモーメント、今日はいつもより少し赤かった。向こうから盆踊りの音頭と当り鉦の華やかな音色が聞こえてくる。昨日の与須賀神社の縁日だろう。人混みが苦手な僕は縁側で風に当たっている方が好きだ。
「ロクー、祭り行がねのかー?」
「俺人混みきらいなのー」
 お祖父ちゃんの声をそうあしらって、TikTokを開く。広告スキップで表示されるおすすめのトップ。白地に椿の浴衣姿、与須賀神社と書かれた提灯、目にかかりそうな前髪、覗かせる丸い目、平行二重。
「よすがちゃん、」
 真っ直ぐにこちらを見つめてくる目。ばちりと僕の視線を掴んで、離さなかった。6インチの画面が僕に教えてくれたのは、ソーシャルネットワーク世界の広さじゃなくて彼女ただ一人だった。@縁 がそこにいる。どこか遠くに住んでいるはずの彼女が、与須賀神社にいる。反射的に、縁側に立てかけてあったお祖父ちゃんの下駄を履いて駆け出した。
 カラ、カラ、と走るスピードに合わせて下駄と地面が擦れる音が早くなっていく。それにつれて大きくなっていく太鼓の音、通り過ぎる祭り提灯。
 大きな鳥居がある与須賀神社前は人で溢れていた。このカラフルな人混みの中から白地に椿の花びらの浴衣姿を探しだすだなんて不可能に近いと思った。
 辺りを見回したが、彼女らしき人物は見当たらなかった。しばらく彷徨った末に見つけたのは彼女じゃなくて、りんご飴綿菓子ヨーヨー等々片手にドロドロな純愛を繰り広げる中学生男女七人組。数年したらお前らも僕みたいになるんだぞ、と心の中で悪態をついて人混みから逃げるように神社を後にする。次第にどんちゃん騒ぎの音が遠のいていく。やっぱり、彼女が映っていた場所が与須賀神社だなんて思い違いだったんじゃないかと思った。

 目が覚めて、僕は縁側で寝ていた。午前4時半、薄明の頃。昨日何をしていたかを思い出す。
 朝起きて、支度して、軽トラ乗って、お祖父ちゃんの枝豆狩りの手伝いして、帰って、風呂入って、縁側で、なにしてたんだっけ、縁、よすがちゃん!
 寝起きで朦朧としていた意識がはっきりとしてくる。思い違いだったとしても、彼女のことを探したい、ただそれだけだった。

 一日中探しに出るわけにもいかず、日中はお祖父ちゃんにつかまり今度はスイカの仕分けの手伝いをして、空の色は束の間の白さを見せる頃になっていた。
 スマホのロックを開けて、TikTokを開く。おすすめ一番上の @縁 。
 あの大鳥居の前での自撮り、投稿時間は3分前。走って向かえばまだそこにいるかもしれない。今日は玄関から自前のクロックスを履いて出る。人が集まり始めるにはまだ早いようで、参道の屋台と提灯はそのまま、人混みだけがスコップで掬い取られたように消えていた。
 15秒の動画が数十回繰り返されて僕が大鳥居の前に着いたとき、彼女は、既にそこにはいなかった。
 藁にもすがるような思いでおすすめ欄を一つスクロールする。現れたのは見慣れた長い黒髪、背景は屋台、7分前の投稿。もう一つスクロール、5分前。次の投稿、4分前。次は、つぎは、つぎ、つぎ、つぎ! スクロールして次の投稿を見る動作を繰り返す。おすすめ欄は @縁 ただ一人で埋まっていた。
 スクロールする指が止まった。20秒前の投稿を見つけた。湖のへりの、白い小さな鳥居の前に佇む浴衣姿。白地に椿の花びら。画面越しでも、彼女のことが鮮明に分かった。
 ゆっくりと、引き寄せられるように境内の裏へと進んでいく。まるで僕の意思なんかはじめからないみたいに、まるで糸で手繰り寄せられているみたいに。境内の裏には小さな湖が広がっていて、その手前の砂利浜に、白い小さな鳥居があった。
 鳥居の前に、よすがの姿はなかった。張り詰めていた気が抜けて、もう一つスクロールしようとTikTokを開いた。
 流れ出したのは、一昨日僕が適当に撮った空の動画に適当につけたピアノの音源。流れ出す、柔らかい音色。

 後ろから、柔らかい声がした。
 「@六ロク、?」
 振り向いた先には、僕を見つめる大きな瞳。液晶越しにしか見つめあったことのない顔が、なにひとつ隔てるものなく、僕を見つめていた。
「うん、@六ロク江西えにしロク。」
 僕が、@六 と、重なった。彼女はまだ真っ直ぐ僕を見つめている。
@縁よすがちゃん、ですか、?」
 彼女は僕を見つめたまま、小さく微笑んで応える。
「そう、@縁よすがです。四菅よすがみどり、っていいます。」
 縁ちゃん。画面の中で出会った @縁 は、四菅みどり として僕の前に現れた。僕が感じていた彼女への一方的な距離感を、彼女は全く感じていないようだった。
「ロクってさ、空撮るの上手だよね。」
「そう?ありがとう」
「いっつもおすすめ出てくるから見てたんだよ!見てただけだけど」
「いいねくらい押してよ。俺いつもコメントしてたのに」
「……へへ、まだいいかなって」
砂利浜の音を立てて一歩づつ、二人が近づいていく。178センチの僕より20センチ近く低い彼女がだんだん上目遣いになる。あと一歩で手が触れる、距離。
「…よかったら、今日、一緒に祭り、」
 行きませんか、と言いかけて、僕のポケットに入っていた御神籤がはらりと落ちた。彼女がそれを拾う。
「あ、縁あれば千里。」
「それ、どういう意味なの?」
「んー、わたしたちのこと?みたいな。」
 夕暮れあとのブルーモーメントの動画の、15秒のピアノの音源が数十回リピートした頃。日が傾いていた空は黄昏時も過ぎて、青藍に染まり出した。どんちゃん騒ぎの音が遠くでだんだん大きくなる。振り向いて笑う三歩先の彼女に、僕は一歩踏み出して、左手を伸ばして、色白で華奢な手を掴む。
「、行こ。」

ありがとうございました。こちらは執筆より一年以上あとの加筆修正版ですので、ぜひ昨夏開催されたNovelJam2021onlineにて三日間で完成させた、ぎこちなさやあどけなさが残る初稿版もお読みいただければと思います。


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