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ニュートンとパラノーマル(超常・錬金術)

エーテルの否定
「エーテルの風」の実験結果についてエーテルの風が検出されなかったことは、エーテルの概念そのものを否定する意見を生み出した。そして、アインシュタインの特殊相対性理論はエーテルの実在性を根本から完全否定するに至った。

「ローレンツ」がエーテルを基準とした絶対座標系の存在を考えたのに対し、「アインシュタイン」はエーテルも含めた絶対座標系及び絶対性基準は特殊相対性理論を根本から否定するとし、その存在を否定した。これは「相対性」理論と称される所以となっている。

「アインシュタイン」は、より根本的な原理から「長さ」や「時間」といった性質を導出できるはずであると考えた。そして、ローレンツ変換をマクスウェルの方程式から切り離し、時空間の性質を表す基本的な法則であると仮定した。
また、「アインシュタイン」は「エーテル」を物質を表す言葉とせず、真空であっても空間には重力場や電磁場が存在することから、こうした空間を「エーテル」と呼ぶことを提唱した。この場合、エーテルには位置という概念が存在せず、従って「エーテルに対する相対運動」を考えることは無意味となる。

「アインシュタイン」が相対性原理を最も根本的な原理として考えたのに対し、特殊相対性理論の基礎を造ったローレンツは相対性原理の根本がエーテルであると考え、「長さの収縮」や「時間の遅れ」に表されるように、物体の特性はエーテル中の運動により変化すると考えた。アインシュタインとの違いは、長さや時間について絶対的な基準を設けることを可能と考えるか否かである。これは物理哲学の問題であるため、決着はついていない。従って、エーテルの実在性は完全には否定されていないと言える。

エーテルと古典力学

エーテル仮説の最たる困難は、ニュートンの力学とマクスウェルの電磁気学の整合性である。ニュートン力学はガリレイ変換の下で不変だったが、マクスウェルの電磁気学はそうでなかった。従って、厳密には、少なくとも一方の理論は誤りであると考えざるを得ない。
ガリレイ変換とは、観測者の視点を変えることである。例えば時速八〇キロメートルで走る電車の中を、進行方向に向かって時速四キロメートルで歩いている乗客は、別の乗客からは、時速四キロメートルで動いているように見える。
しかし、電車の外にいる人からは、この乗客は時速八四キロメートルで動いているように見える。見る人が変われば運動も異なって見える、その見え方の違いを定式化したものがガリレイ変換である。そしてニュートンの運動方程式は、ガリレイ変換をしても、つまり誰から見ても、成立する。このように、常に成立することを「不変」という。

しかし、マクスウェルの方程式によれば、光の速さは誘電率と透磁率から定まるが、この値は、観測者の運動に依存しない。つまり、電車に乗っている人にとっても、外にいる人にとっても、光の速さは同じでなければならないことになる。
すなわち、マクスウェルの方程式はガリレイ変換について不変ではない。全ての物理学理論はガリレイ変換について不変であるべきだと考えられていたため、「エーテルに対する絶対座標系」が存在し、マクスウェルの方程式はこの座標系においてのみ厳密に成立すると考えられた。
そこで、地球の、絶対座標系に対する運動に関心が持たれるようになった。
マクスウェルは1870年代後半に、地球の運動が光の速さに及ぼす影響を調べることで、地球の絶対座標系に対する運動を知ることができると述べた。光の進行方向が地球の進行方向と一致すれば光は遅く見え、逆方向であれば光は速く見えるはずである、と考えた。
季節あるいは昼夜が変化すれば観測者の運動の方向が反転するが、この運動の変化は光の速さに比べて小さいものの、検出不可能なほど小さくはないと考えられた。
すなわち、地球はエーテルの中を進んでいるのであるから、地上ではいわば「エーテルの風」が吹いていることになり、これは光速の変化として捉えられると考えた。

出典・脚注~
^ a b c d 内井惣七『空間の謎・時間の謎 - 宇宙の始まりに迫る物理学と哲学』中公新書、2006年。ISBN 412101829X。

^ 小山 & 2003年.^ ジョン・ヘンリー 『一七世紀科学革命』 東慎一郎 訳、2005年、岩波書店、ISBN 4000270958
^ Aiton, E.J. (1969), “Newton's Aether-Stream Hypothesis and the Inverse Square Law of Gravitation”, Annals of Science 25 (3): 255–260, doi:10.1080/00033796900200151
^ 佐々木力「渦動説」『哲学 ・思想 事典』、1998年。

参考文献
内井惣七『空間の謎・時間の謎 - 宇宙の始まりに迫る物理学と哲学』中公新書、2006年。ISBN 412101829X。佐々木力「渦動説」『哲学 ・思想 事典』、1998年。小山慶太『科学史年表』中公新書、2003年。ISBN 4-12-101690-4。
関連書Julian Barbour, The Discovery of Dynamics: A Study from a Machian Point of View of the Discovery and the Structure of Dynamical Theories 2001. ISBN 0-19-513202-5 (ジュリアン・バーバー『動力学の発見』)関連項目
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

画像デカルトの『哲学の原理』第3版(1647年)に掲載されている、エーテルの渦と天体の図

ウイキペディア


パラノーマルはシャーマンの操る超常的ハレーション

作家「天野頌子」氏の著作を読んでみると、ストーリーに、そんなニュアンスの情景が描かれていた。
たまたま隣家の子供が読んでいた「錬金術師の秘密」だったか、そんなタイトルの文庫サイズの本だった。それは確か漫画ではなく本の記述スタイルのような気がした。

「錬金術」とか科学では説明がつかないとか、そんな話は、この近代社会に在っても話題に事欠かない。
例えば空飛ぶUFOとか紀元前からエジプトの上空を飛んでいた「ベヌウ」(アオサギ)だとかね・・・。

そうした古代ギリシア哲学と、また東洋思想の儒学とか、そんな古代思想が現代社会に連綿と継がれている、この近代において、それをどんなスタイルで判りやすく表現したらいいのか、これから試行錯誤しながら綴っていく。(その一片とし神武時代の「ヤタガラス」とか、鎌倉殿の傀儡女か「白拍子」など部分表記してきたが、それれらを一括り文体とし纏めたいと発起した起草である)。

【その古代記録はまるでレコード盤のように任意にピックアップできた】

年代は紀元前千二百年、古代エジプト王朝時代にさかのぼる。第十九王朝期、第三代目ファラオ、ラムセス二世の正妃「ネフェルタリ」墓所の玄室内の壁面に描かれている青サギベヌウの図がそれだ。

その王墓にはラムセスがネフェルタリを偲んで詠んだ詩がある。「愛する者はただ一人、ネフェルタリだけである。それに匹敵する妃はいない。生前のネフェルタリは絶世の美女であった」。

そのかたわらに描かれた聖鳥「ベヌウ」の壁画。ベヌウは、ギリシア語で「太陽の町」という意味の「ヘリオポリス」で信仰された鳥である。原始の海から太陽の卵が生まれたとき、その卵を抱いて孵化させたと伝えられる鳥ベヌウ。

その呼び名は色々あって「昇る」という意味であったり「太陽の魂」と呼ばれたりする。
またギリシアの不死鳥フェニックスの原型であるという。不死鳥「フェニックス」のフェニキア人の由来として。

ピラミッド・テキストでは、ベヌウはセキレイの姿に代わり「太陽神アトゥム」の化身とされる。さらに後の時代、新王国以降は、ベヌウは金星を象徴する鳥として扱われた。

古代エジプト、そのピラミッド内壁に描かれた「聖鳥ベヌウ図」が、時空を超えてユーラシア大陸の果て、さらに海を越えてたどり着いた「日いずる国」に飛来するに及んだと、まったく荒唐無稽で無根拠な説を解いたところで誰も耳を傾けはしまい。

民話のエッセンスが何処から生まれているのか・・・、そもそも、それが謎である。

民話「ツルの恩返し」を、ラムセス二世の正妃「ネフェルタリ」墓所の玄室内の壁面に描かれている青サギベヌウ図に転化してしまうというその策は、紀元前の出来事を今の時空にフォーカスするという目論見でもあるし、それは荒唐無稽な仮想バーチャル仮説の失敗作に終わるかもしれない。

その謎解きの糸口が古代エジプトのベヌウ壁画にヒントが隠されているのではないか、という途方もない推理を今、しているのである。
この青鷺「ベヌウ」は、アフリカ大陸、ユーラシア大陸、インドネシア西部に分布している。夏季にユーラシア大陸で繁殖、冬季にアフリカ大陸、東南アジアへ南下し越冬。アフリカ大陸南部やユーラシア大陸南部などでは周年生息する。

日本の上空を飛んでいるのは亜種アオサギで夏季北海道に繁殖、冬季九州以南で越冬しているが、本州、四国では周年生息する留鳥である。大きな翼を広げて飛ぶ姿は聖鳥と呼ぶに相応しい。 

ヨーロッパにおける十二世紀ルネサンスの話 

その現代事情とは、まったく一線を画した古代のアラビア文明は一体どこに消えてしまったのか、という疑問がある。

ある著書によれば、「十二世紀ルネサンス」とは1927年、チャールズ・ハスキンズの著した書物によって欧米で認知された研究成果であり、紀元前ギリシアで開花した人間世界の叡智が、どのような変遷過程で現代社会にもたらされたのか、というワンセクションを担ったのがアラビア文明である、と説明している。
 (「十二世紀ルネサンス」伊東俊太郎著 岩波セミナーブック)
紀元前五世紀に起こったギリシア文明の叡智は黄金期であり「ピタゴラス定理」など数知れず、幾何学・数学がアラビア文明を象徴する学問として現代社会にもたらされているが、その過程は殆ど知られることがない。

それは古典物理学「ニュートン」や現代物理学「アインシュタイン」に引き継がれた。

古典物理学ニュートン

通説リンゴのニュートンとは、大幅にことなる理論が展開してます。そこで疑問、もしリンゴが木から落下しなかったら、ニュートンは破綻してしまいます。そして地球物理学も存在しない。なぜなら、万物はもと来た道を戻る(家に帰る)が大前提で生きているからです。
(絶対的地球引力から逃げ切るには) 
宇宙速度(英語: Cosmic Velocity)とは、特に地球および太陽に対して、軌道力学的に、地表において物体にある初速度を与えたとして、衛星軌道などの「宇宙飛行」と言えるような軌道に乗せるために必要な速度のことである。地球の重力を振り切るために必要な、地表における初速度である。約 11.2 km/s(40,300 km/h)で、第一宇宙速度の {\displaystyle {\sqrt {2}}}{\sqrt {2}}倍である。この速度以上に加速すれば永久に地球から離れていくことができる。

永久に地球から離れる、は人間生命の物理的に死ぬことである。

もしそのリンゴが落下せず、宙に浮いたままだったら、人間は何をするのでしょうか。そしてアインシュタインの原理に戻って考えれば、光速度30万キロタイムストップをすると、あらゆる次元に出入りできるし、同期することになる。

そもそも光速度を越したら時間がとまると子供のころアインシュタインが考えた白日夢~。でも、誰もそれをやったことがない。

そのリンゴの落下を止めるのは、こうすればできるよと、アインシュタインはいった。

そんなことを耳もとで囁き一遇の風が吹きぬける。真っ白な白装束を身に纏った黒髪の少女、その場から足早に過ぎ去り消えた。

それはまったくバーチャルロボットのようでもあり「しんいせつ」に登場する呪術師祈祷師のようでもある。世の中を浮浪し帰るべき棲み処もない深海クラゲのような乖離浮遊体。

それに対応する東洋哲学思想 讖緯説(しんいせつ)中国の前漢から後漢(ごかん)に流行した経書の解釈に仮託した予言的な学説をいう。讖は「詭(いつわ)って隠語をつくり、予(あらかじ)め吉凶を決する」ことで、一種の未来記、予言であり、図(と)また図讖ともよばれる。緯は横糸で縦糸を意味する経に対し、「経の支流にして傍義に衍及(えんきゅう)する」。つまり経書を解説敷衍(ふえん)したもの。讖、緯は別だが、実際上は共存し緯書はほとんど讖の要素を含んでいるので一括される(難解哲学)。素朴な未来記はいつの世にもあるが、まとまった讖緯思想として組成されたのは、前漢の末「哀平の際」(哀帝・平帝の時代)というのが大方の定説となっている。

 (ニッポニカ引用)



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