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エマニュエル・トッド(中国論)

2022年11月07日

中国が脅威ではない エマニュエル・トッド

「中国が脅威になることはない」
知の巨人エマニュエル・トッドが語った「世界の正しい見方」

『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』 #1  文春 エマニュエル トッド2022/11/06

「GDPで測られる『経済力』はもはやフィクションにすぎず、リアルな経済的実態を反映していないのです」――欧米を代表する「知の巨人」エマニュエル・トッド氏がGDPを「時代遅れの指標」と語る意味、そしてGDP2位の中国が「世界の脅威」になりえない理由とは?

 トッド氏の新刊『我々はどこから来て、今どこにいるのか? 上 アングロサクソンがなぜ覇権を握ったか』より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)
画像 文春オンライン

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GDPでは現実は見えない GDPがもはや「時代遅れの指標」であることも指摘しなければなりません──といっても、人類学的アプローチを重視する私が「経済」を軽視しているわけではありません──。
 現下の戦争をGDPの観点から見てみましょう。ロシアによるウクライナ侵攻前夜の2021年、世界銀行のデータによれば、ロシアとベラルーシのGDPの合計は、米国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、イギリス、EU、ノルウェー、スイス、日本、韓国のGDPの合計のわずか3.3%にしか相当していません。一国単位で見れば、ロシアのGDPは韓国と同程度です。
 ではなぜ、これほど「小国の」ロシアが、GDPで見れば、ロシアを圧倒している西洋諸国全体を敵に回すことができているのでしょうか。これだけ経済制裁を受けているのに、なぜロシア経済は崩壊しないのでしょうか。
 答えは簡単です。GDPで測られる「経済力」はもはやフィクションにすぎず、リアルな経済的実態を反映していないのです。
「栄光の30年」と言われた第二次世界大戦後から1970年代までは、鉄鋼、自動車、冷蔵庫、テレビといった実物経済が中心で、「実際の生産力を測る指標」としてGDPは意味を持ち得ていましたが、産業構造が変容し、モノよりサービスの割合が高まるなかで、GDPは「現実を測る指標」としてのリアリティを失っていったのです。
 ここでは米国の医療を例にとりましょう。医療部門は、欧州諸国ではGDPの9~11%程度を占めているのに対し、米国は約2倍で、GDPの18%にも達しています。
 では、これだけ膨大な額が費やされている米国人の健康はどうなっているのでしょうか。米国の平均寿命は77.3歳で、ドイツの80.9歳、フランスの82.2歳、スウェーデンの82.4歳、日本の84.6歳にはるかに及んでいません。
 米国の医療費の半分以上は、医師の過大な収入と異常に高価な医薬品(世界の支出の半分)で占められています。米国の医療は、莫大なカネがかかっているのに実質的な成果を生んでいないのです。これが、GDPでは見えてこない米国の現実です。経済統計は噓をつきますが、人口統計は噓をつきません。
 ちなみにロシアの平均寿命はまだ71.3歳で他の先進国に遅れをとっていますが、医療の効率性を最もよく計測できるのは、1976年に私がソ連崩壊を予言した際に用いた乳幼児死亡率です。ロシアの乳幼児死亡率は2000年頃から大幅に改善し、いまやロシア(2020年時点で出生1000人当たり4.9人)の方が米国(5.4人)を下回っています。
「経済構造」と「家族構造」の一致 GDPのこうした欠点を踏まえた上で、現下の経済的グローバリゼーションにおける「相互作用」に話を戻しましょう。
 まず経済のグローバリゼーションが進むなかで、「生産よりも消費する国=貿易赤字の国」と「消費よりも生産する国=貿易黒字の国」への分岐がますます進んでいることが確認できます。
 その地理的分布を見ると、ロシア、中国、インドという米国が恐れている三国がユーラシア大陸の中心部に存在しています。ロシアは「軍事的な脅威」として、中国は「経済的な脅威」として、インドは「米国になかなか従わない大国」として、それぞれ米国にとって無視できない存在なのです。

 ここで重要なのは、この三国がともに、「産業大国」であり続けていることです。ロシアは、天然ガス、安価で高性能な兵器、原発、農産物を、中国は工業完成品(最終生産物)を、インドは医薬品とソフトウェアを世界市場に供給しています。
輸出大国・輸入大国の違い それに対して、米国、イギリス、フランスは、財の輸入大国として、グローバリゼーションのなかで、自国の産業基盤を失ってしまいました。
 この両者の違いを人類学的に見てみましょう。
「生産よりも消費する国=貿易赤字の国」は、伝統的に、個人主義的で、核家族社会で、より双系的で(夫側の親と妻側の親を同等にみなす)、女性のステータスが比較的高いという特徴が見られます。
「消費よりも生産する国=貿易黒字の国」は、全体として、権威主義的で、直系家族または共同体家族で、より父系的で、女性のステータスが比較的低いという特徴が見られます。
 要するに「経済構造」と「家族構造」が驚くほど一致しているのです。それは地図B(各国の全雇用に占める第二次産業の割合)と地図C(家族構造における父権性の強度)を見れば、一目瞭然です。
「家族構造」の視点から全人類史を捉え直したのが本書ですが、このアプローチは、近年のグローバリゼーションによって何が生じているかをも理解させてくれます。
 まず父系的社会は、第二次産業に強く、モノづくりは男性原理と親和性があるといえそうです。
 これに対して、女性のステータスが比較的高い双系的社会は、第三次産業と親和性をもっています。女性の解放によって女性の社会進出が進んだわけですが、その過程で増えたのは第二次産業よりも第三次産業の雇用で、結果的に社会全体の第三次産業化が進み、自国の産業基盤は衰退してしまいました。
 現在の世界のかたちがどうなっているか。それぞれの家族構造にしたがって、一方は「消費」に特化し、他方は「生産」に特化するというかたちで2つの陣営に分かれています。しかもグローバリゼーションのなかで、2つの陣営が極度に相互依存関係にある。これがわれわれが生きている世界の構造であり、いま始まっている戦争も、こうした文脈で起きていることが、最も重要なポイントです。
奇妙な戦争 この戦争は「奇妙な戦争」です。対立する2つの陣営が、経済的には極度に相互依存しているからです。ヨーロッパはロシアの天然ガスなしには生きていけません。米国は中国製品なしには生きていけません。それぞれの陣営は、新しい戦い方をいちいち「発明」する必要に迫られています。互いに相手を完全には破壊することなしに戦争を続ける必要があるからです。
 なぜこの戦争が起きたのか。軍事支援を通じてNATOの事実上の加盟国にして、ウクライナをロシアとの戦争に仕向けた米英にこそ、直接的な原因と責任があると私は考えます(詳しくは『第三次世界大戦はもう始まっている』をご参照ください)。しかし、より大きく捉えれば、2つの陣営の相互の無理解こそが、真の原因であり、その無理解が戦争を長期化させています。
 現在、強力なイデオロギー的言説が飛び交っています。西洋諸国は、全体主義的で反民主主義的だとしてロシアと中国を非難しています。他方、ロシアと中国は、同性婚の容認も含めて道徳的に退廃しているとして西洋諸国を非難しています。こうしたイデオロギー(意識)次元の対立が双方の陣営を戦争や衝突へと駆り立てているように見え、実際、メディアではそのように報じられています。
 しかし、私が見るところ、戦争の真の原因は、紛争当事者の意識(イデオロギー)よりも深い無意識の次元に存在しています。家族構造(無意識)から見れば、「双系制(核家族)社会」と「父系制(共同体家族)社会」が対立しているわけです。戦争の当事者自身が戦争の真の動機を理解していないからこそ、極めて危うい状況にあると言えます。
「ツキディデスの罠」ではない  ■参照 事実上、米国とロシアが戦っている以上、「第三次世界大戦」がすでに始まったと私は見ていますが、今次の世界大戦は、第一次大戦や第二次大戦とは性質を異にしています。
 この点を明確にするために、古代ギリシアの歴史家ツキディデス(紀元前460年頃~紀元前400年頃)を援用して米中対立を論じた米国の国際政治学者グレアム・アリソンの著書『米中戦争前夜──新旧大国を衝突させる歴史の法則と回避のシナリオ』(藤原朝子訳、ダイヤモンド社、2017年)を取り上げてみましょう。
 ツキディデスは、新興国アテネに対してその他のポリス国家が恐怖心を抱いたことでペロポネソス戦争が起きたと『歴史』に記しました。このことにちなんで、「新興勢力の擡頭を既存勢力が不安視することで戦争が起こる現象」を「ツキディデスの罠」と呼ぶようになりました。
 この「ツキディデスの罠」を米中関係に当て嵌めて、「数十年以内に米中戦争が起こる可能性は、ただ『ある』というだけでなく、現在考えられているよりも非常に高い」と主張しているのが、アリソンの著書です。急速に擡頭する中国が米国に恐怖を与えている以上、戦争は避けられなくなる、と。
 しかし、ツキディデスの解釈をそのまま現代に適用するのは無理があるでしょう。戦争が起きたのは、中国と米国の間ではなくロシアと米国の間だったわけで、新興国の急速な擡頭によって戦争が始まったというのは、この戦争には妥当しません。冷戦期も含めた長いスパンで見れば、米露という、ともに凋落に向かう2つの勢力の間で戦争が起きているからです。
 ちなみに中国に関して言えば、これまで人口学者として何度も繰り返してきたように、中長期的に見て、出生率の異常な低さ(2020年時点で女性1人当たり1.3人)からして、世界にとって脅威になることはあり得ません。出生率1.3人の国とはそもそも戦う必要がありません。将来の人口減少と国力衰退は火を見るより明らかで、単に待てばいい。待っていれば、老人の重みで自ずと脅威ではなくなるでしょう。
戦争の当事国はどこも「弱小国」 他の先進国も擡頭の局面よりも衰退の局面にあります。ドイツでは、政治システムが機能不全に陥っていて、庶民層の不満が蓄積しています。イギリスも、ブレグジットにもかかわらず、欧州のなかで経済が一番うまくいっていません。少子化対策にも移民受け入れにも本格的に取り組んでいない日本が、対外膨張的な政策を展開することはあり得ないでしょう。私の目には、日本はそもそも国力の維持すら諦めているように見えます。
 つまり、どの国もうまくいっていない。今次の戦争の当事国はどこも「弱小国」で、どこかに弱みを抱えている国同士がやり合っているのです。ここに第一次世界大戦や第二次世界大戦との大きな違いがあります。このことは、人口動態を見れば、一目瞭然です。

#2 「米国社会について真実を言っていたのはトランプのほうだった」
エマニュエル・トッド見抜いた「トランプ支持者の合理性」『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』 #2エマニュエル トッド2022/11/05 source : 文春新書

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トランプへの投票の合理性 グローバリゼーションは、そもそも米国に先導され、管理され、当然米国に利益をもたらしていると思われていたのだが、その発展の果てに、ほかでもない米国の住民たちのただ中にまで、過剰な経済的不平等と社会的不安定を発生させた。かくして、バーニー・サンダースやドナルド・トランプの保護主義を選好する方向への逆転が起こるための必要かつ充分な条件が満たされたのだった。
 成功したトランプの擡頭のみならず、阻止されたバーニー・サンダースのそれをもよく理解するために、われわれはまず、アメリカが国外に対して相対的に閉鎖的だった1930年代初頭から、貿易と移民に最大限に門戸を開いている昨今の状況まで、どのような歴史的プロセスを辿ってきたのかを瞥見しておかなければならない。
 南北戦争の終結から1929年の危機まで、米国の経済的離陸は、高い関税障壁に護られた中で実現したのだった。1930年代初頭、課税輸入品の課税率は平均50%だった。1934年になって初めて、フランクリン・D・ルーズベルト大統領の下で、貿易の門戸が開かれ始めた。
 当時の関税率は、課税品も非課税品も一緒にして平均すると18.4%であった。それが2007年、ちょうど金融恐慌〔日本では「リーマンショック」と呼ぶことの多い国際金融危機〕にさしかかる頃には、1.3%という低水準にまで下がっていた。

エマニュエル・トッド氏 c文藝春秋 米国は、1970年代の初めにはすでに構造的な貿易赤字を抱えるようになり、以来今日まで、その状態から脱け出たことがない。つまり、当時からずっと、米国は全世界の主要で中心的な消費市場として、ケインズ経済学でいう世界総需要を調整する機能を担ってきたのである。しかし、早くも1970年代の終わり頃には、国内自動車産業が凋落するなど、産業危機が到来していた。ところが、まさに同じ時期に、新自由主義の政策が加速的に実施された。
 レーガンが1980年に大統領に選出され、さらに1984年の大統領選では民主党候補ウォルター・モンデールの挑戦を歴史的な大差で退け、悠々と再選された。この折、モンデールは選挙キャンペーンで保護貿易を唱えていた。当時の民主党は、まだ昔どおり、白人も黒人もひっくるめた労働者階層の代表として振る舞っていたのである。勝ったレーガンが打ち出していたのは、黒人を厚遇し過ぎるというイメージの定着した福祉国家に対して宣戦布告し、福祉政策に敵対する反連邦税的アイデアをうまく混ぜ合わせた政策だった。

輸入が伸び始めたのは、1960年代に入ってからだった。当時、「1965年の移民および国籍法」〔別名、ハート=セラー法〕が、1924年以来かなり厳重に制限されていた移民への門戸をふたたび開いた。これを機に、経済的に安全でないと感じていた米国人の心に、国境も安全ではないという新たな感情が加わった。
 1960年には、人口1億8100万人のうち、外国生まれが970万人で、総人口の5.4%であったが、それが推移して、2013年には、人口3億1500万人のうち外国生まれが4130万人で、総人口の13.1%を占めるという状況になった。2009年頃には、不法移民──主にヒスパニックである──の数が1000万人と見積もられた。実際、オバマ大統領時代のアメリカは、哲学者カール・ポパーのいう「開かれた社会」として描ける社会であった。
 1980年から1998年にかけての米国を振り返ると、第一に、いわゆる格差拡大のすさまじい勢いに目を奪われる。それでもこの間、世帯所得の中間値は、4万8500ドルから5万8000ドル(2015年時点のドル換算)へと上昇した。この上昇は、個人の給与額が上がった結果というよりも、世帯収入への女性たちの貢献の結果だった。当時、女性が大勢労働市場に参入し、共働き世帯の数を大きく増やしたのである。
 1999年~2015年は、米国にとって、経済的自由主義の推進が絶頂に達するとともに、グローバリゼーションに起因する危機が始まった時期だった。2001年12月に中国が世界貿易機関(WTO)に加盟し、中国は、米国で中国製品に課せられる関税が再上昇するという脅威から解放された。たちまち現れた結果は、米国の産業危機の加速だった。国内の製造業はぶん殴られたも同然だったからである。
 1965年から2000年まで、米国の第二次産業の被雇用者人口は、相対的には減少しつつも、絶対値では1800万人前後で横ばいに推移し続けた。ところが、2001年3月から2007年3月に到る期間には、その数値が18%下降した。
国際金融危機は本当に終わったのか? 格差拡大がまた始まった。1999年から2015年にかけて、米国の世帯所得の中間値は、2013年と2014年にわずかな上昇が見られたものの、5万8000ドルから5万6500ドルへと低下した。
 この途中に金融恐慌があったわけだが、あの国際金融危機は本当に終結へと導かれたのかどうか、よく分からない。なにしろ、2009年に10%にまで上がった失業率が、2016年初めには5.5%にまで下がったのは事実だが、人口に占める被雇用者率は、危機の前には63%だったのに、60%を少し下回る水準で止まってしまっている。
 2000年代初頭に米国の人びとが感じていたストレスの大きさを理解するためには、さまざまな経済的データや所得額の領域の外へ出なければならない。実際、「自由貿易をやめたら物価がもっと高い水準にとどまるので、消費者が商品を買えなくなってしまうのですよ」と、わずかな謝金で難なく教え諭してくれるノーベル経済学賞受賞者のたぐいは、いつだって見つけることができるのだ。しかし、消費者が買えるか、買えないかではなく、死んでしまうのだとしたら、果たしてどう考えるのか。
 人口学者の判断は決定的である。アン・ケース〔米国の医療経済学者、1958年生まれ〕とアンガス・ディートン〔英米国籍の経済学者、2015年ノーベル賞受賞。1945年生まれ〕が2015年12月付のジャーナルに発表した共著論文が、1999年から2013年までに、45歳から54歳までの年齢の白人住民の死亡率が上昇していたことを明らかにした。このような死亡率上昇は、世界中の他の先進社会にも類例がない。
白人の主な死亡原因は… 主な死亡原因は、グラフ14─2が示すように、明らかに社会心理的なものである。 すなわち、麻薬中毒、アルコール中毒、自殺。したがって、自由貿易と規制緩和の効用についての議論は、もはや「これにて終了!」である。成人死亡率のこの上昇が示唆するものこそが、2016年にドナルド・トランプがまず共和党の大統領候補者に指名され、次に大統領に選出されるという事態を可能にしたのだと、私には思われた。奇しくもかつて私が、1970年~1974年のソ連の乳幼児死亡率の上昇に注目した結果、早くも1976年の時点で、ソ連システムの崩壊を予想することができたのと同じように。
 その後、2016年11月に発表されたジャスティン・ピアース〔経済学者、貿易問題等を研究〕とピーター・ショット〔米国の国際経済学者、貿易問題等を研究〕のジャーナル論文が、米国各地の郡のレベルで、中国との貿易自由化と死亡率上昇の間に確乎とした統計学的関係があることを明らかにした。
 実際、産業面で中国製品の競争力に直接的に晒された郡では、死亡率が独特の形跡を残して上昇したのだった。彼らの分析結果によれば、最も意味深い死因は麻薬中毒よりも、むしろ自殺一般であるようだ。なお、J・ピアースとP・ショットの論文は、倫理的含意によっても読者を惹きつける。自由貿易の効用を公にアピールする共同嘆願書などに署名する経済学者たちが犯罪者に相当することを暗示し、その責任について、過去にさまざまな市民グループがたばこメーカーや製薬会社を相手取って訴訟を起こしたのと同じような手法での告訴の対象になり得ると見做しているのである。
 A・ケースとA・ディートンの論文で分析されている死亡数増加の分布は、教育による階層化を反映している。その増加は、中等教育またはそれ以下しか享受していない白人の米国人に集中しているのだ(10万人当たり134.4人増)。高等教育課程の途中まで就学した者の死亡率は横ばいであり(3.3人減)、高等教育を修了した「大卒」カテゴリーの死亡率は少し下降している(57.0人減)。
 しかし、だからといって高等教育享受者の幸福度を誇張するのは控えよう。やはりここでは──私がしばしば述べている方針と逆のように見えるかもしれないが──経済学的データに立ち帰るべきだ。所得推移の比較分析は、学歴による優位性が相対的なものでしかないことを示唆している。
2000年~2016年に起こった推移をよく理解するには、次の事実をつねに意識していることが重要だ。死亡率上昇のような種類の劇的変化が白人米国人の最低学歴層において特に目立つとしても、経済の推移は、高等教育修了者たちにとっても、もはや本当には恵まれたものでなかった。実際、2000年以来、グラフ14─3が示すように、彼らの世帯の平均所得は年々横ばいだったのである。
「社会的転落から身を守る術」と化した高等教育 この頃から高等教育は、社会的上昇への道であるよりも、社会的転落から身を護るものとなっていた。そして実際、それこそが、学生生活を長く続けようとする志向が近年復活してきていることの原因なのだ。
 背景には、知的な解放や自己実現への意欲よりも、むしろ身の安全を追求する心理が垣間見える。長期就学を支える財政手段を教育ローンに頼るケースがますます増える以上、累積する負債が将来の所得を減じる役割を果たすにちがいなく、経済的に恵まれない家庭出身の高等教育修了者たちは、悪くすれば何らかの形の経済的隷属に追い込まれかねない。こうなるとどうしても、昔の年季奉公人(indentured servants)の身分に思い到らざるを得ない。彼らは、米国がまだ植民地だった時代に、欧州から大西洋の向こうへ渡るための渡航費用を、何年もの「奉公契約」を結ぶことで捻出したのだった……。
 経済学者たちの不思議な魔法の世界から外へ出てくると、ドナルド・トランプの大統領選勝利という現象を理解することができる。ヒラリー・クリントンと彼の間で交わされた数々の侮辱と嘘をもってしても、次の事実を覆い隠すことはできない。ふつうの有権者の視点から見て、米国社会について真実を言っていたのはトランプのほうだったのだ。
 実際彼は、『THE TRUMP──傷ついたアメリカ、最強の切り札』の中で、米国社会が苦しんでいる姿を描いていた。その時、他方の民主党陣営は、アメリカとその「諸価値」──寛容性、開放性──の永遠の卓越を讃えていたのである。
 トランプへの投票の社会学的・人口学的構造はこの診断を裏書きし、グローバリズムというイデオロギーから離脱する時点での米国のメンタリティの様態を、まさにX線で撮影したかのようにまざまざと映し出してくれる。




( ■トゥキュディデスの罠、古代アテナイの歴史家トゥキュディデスにちなむ言葉で、従来の覇権国家と台頭する新興国家が、戦争が不可避な状態にまで衝突する現象を指す。アメリカ合衆国の政治学者グレアム・アリソンが作った造語。 古代ギリシャ当時、海上交易をおさえる経済大国としてアテナイが台頭し、陸上における軍事的覇権を事実上握るスパルタとの間で対立が生じ、長年にわたる戦争(ペロポネソス戦争)が勃発した。転じて、急速に台頭する大国が既成の支配的な大国とライバル関係に発展する際、それぞれの立場を巡って摩擦が起こり、お互いに望まない直接的な抗争に及ぶ様子を表現した言葉である。現在では、国際社会のトップにいる国はその地位を守るため現状維持を望み、台頭する国はトップにいる国に潰されることを懸念し、既存の国際ルールを自分に都合が良いように変えようとするパワー・ゲームの中で、軍事的な争いに発展しがちな現象を指す。)

エマニュエル・トッド 1951年5月16日(71歳)フランス生エマニュエル・トッドは、フランス人作家のポール・ニザン(1905-1940)の娘アンヌ=マリー(Anne-Marie、1928-1985)と、ジャーナリストのオリヴィエ・トッド(Olivier Todd)の息子として、1951年にサン=ジェルマン=アン=レーで生まれた。父方の祖父はオーストリアとハンガリーにルーツを持つユダヤ人の建築家であったが、彼はオリヴィエが生まれる前に妻子を捨てたことや、両親が第二次世界大戦中にカトリックに改宗したことから、ユダヤ人としての教育は受けていない。1967年から1969年までフランス共産党員だった。パンテオン・ソルボンヌ大学の学部生の頃、単位を取る必要から歴史人口学を履修し、ジャック・デュパキエ(フランス語版)の授業を受けた。パリ政治学院を卒業後、父の友人であるエマニュエル・ル・ロワ・ラデュリの勧めでケンブリッジ大学に入学した。1971年から1975年まで、家族制度研究の第一人者であるピーター・ラスレットの指導を受け、1976年に同大学よりPh.D.の学位を取得。学位論文は「工業化以前の欧州における七つの農民共同体。フランス、イタリア及びスウェーデンの地方小教区の比較研究 (Seven peasant communities in pre-industrial Europe. A comparative study of French, Italian and Swedish rural parishes) 」である。当時ラスレットは、アングロ・サクソンが工業化以前から核家族であったことを発見しており、核家族が世界に普遍的な家族構造であることを示そうとしていたが、博士論文において家族構造の多様性を見出していたトッドはそれに反対し、ラスレットの下を去った。なお、トッドは精神疾患を患っていたため、徴兵検査で「軍隊のような規律の厳しい集団生活には耐えられない」と判定されて兵役を免除されており、軍隊経験は有していない。 ウィキペディア




(編集#つしま昇)

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