見出し画像

僧侶(LGBTQ活動家)西村宏堂

2022年06月12日記事

ハイヒールを履いた僧侶(LGBTQ活動家)

ハイヒールを履いた僧侶(LGBTQ活動家) CHANGE / DIVERSITY & INCLUSION 2021年10月13日 vogue.co.jp

LGBTQの僧侶で、NYの名門パーソンズ美術大学出身のメイクアップアーティスト、そこにあえてもう一つ付け加えさせてもらうなら、ダイバーシティのアドボケイト──『正々堂々』と題した自著を2021年7月に出版した西村宏堂の肩書きは、とてもカラフルだ。

著書に記された「本当の自分を隠して、他人と同じ色に染まっていくのって、ラクなように見えて、とっても苦しいじゃない?」という問いかけに大きく頷きながら、東京にある西村のお寺を訪ねた。
2021年10月13日 BY MAYA NAGO

ハイヒールを履いた僧侶、西村宏堂が語るダイバーシティ──「つらかったからこそ、社会を変えたいと思った」
──宏堂さんにまず伺いたかったのは、メイクについてです。今日、メイクされる過程にも立ち会わせて頂きましたが、宏堂さんなりのメイクの流儀はありますか?

西村宏堂(以下、西村) 私は、自分のことを男性でも女性でもあると思っています。そして、男性と女性の中間にいる自分がすごく好きなんです。だから私は、華やかなイメージを演出する赤やピンクなどのきれいな色は、あまりしっくりこない。一方で、私は目にコンプレックスがあったので、目を強調させるのが好き。あとはヌードカラーのリップで仕上げて、できるだけ中性的なイメージを表現したいと思っているんです。メイクには、ただ美しくしたり華やかに見せるだけではなくて、かっこよくするとか、妖艶な雰囲気を演出するとか、いろいろな表現がありますから。

──赤やピンクが女性性を強調する色であるように、社会にはさまざまなステレオタイプがあります。そのステレオタイプは、国や文化、宗教、時代などに影響を受けながら生成されると思うのですが、中間性を求める態度というのは、こうしたステレオタイプを乗り越えるための良いツールにもなるかもしれませんね。

西村 そうですね。例えば紫とか黒のリップなど、時流にあまり左右されないリップカラーなどを使うことで、バイナリーな美の定義から解放されて、自分らしさを出せることはあると思います。

──宏堂さんが今、いちばん壊したいステレオタイプは何でしょう?

西村 今、私が個人的に今一番壊したいステレオタイプは、僧侶に対するものです。僧侶は一般的に、気難しいとか真面目とか、すごく質素だというようなイメージを持たれていると感じますが、私が自信を持ってそうしたイメージとは違う行動をすることで、そのようなステレオタイプを壊していきたいと思っています。職業だけでなく、社会にはあまりにたくさんのステレオタイプがある。「こうあるべき」と習ったから、それに従って生きているという人は結構いると思います。だけど冷静に考えると、そうした「あるべき姿」を宇宙のルールとして決めた人など実はいない。つまり、そうしたステレオタイプに抗ってはいけない理由なんてないんです。自分の好きなものを着て、思ったことを恐れず伝え、時代に合わないことや理不尽なことがあれば考え直すような傾向をつくっていけたらいいな、と思っています。

──一方で、中にはこうしたステレオタイプや属性が持つ記号性に従うほうが楽な人もいるかもしれません。

西村 それが好きで楽なのであれば、全然構わないと思うんです。でも私は、そういう生き方ではやっぱり自分らしくいられない。同性愛者でありおしゃれが好きなのが本来の自分の姿ですし、それを制限されたり否定されることがとてもつらかった。私はつらかったからこそ、社会を変えたいと思ったんです。同じように感じている人たちのためにも、私は声を上げたいんです。

──宏堂さんは、メイクアップアーティストであり、実家のお寺を継がれた僧侶でもいらっしゃる。全く異なるように見える立場を両立させよう、つなげようと思われたきっかけはありますか?

西村 僧侶になったら、メイクしたりハイヒールを履いたりできなくなるのか、とがっかりした時期がありました。それまでに教わってきた先生の中には、お坊さんになったらずっと作務衣を着て、どんなときに誰が来てもお坊さんらしくいられるようにしなさい、とおっしゃる方もいらっしゃったので。でも、お坊さんには、おしゃれしたりお酒を飲んじゃいけない、というようなさまざまな戒律がある一方で、見渡すとお酒を飲んでいるお坊さんもいっぱいいる。何が本当で何がそうじゃないのか、わからなくなりました。

そこで最後の修行のときに、皆の信頼を集める高名なお坊さんに、私は同性愛者であり、メイクしたりおしゃれすることが好きだと打ち明けたんです。すると、「仏教で一番大切なことは、みんなが平等に救われるということを伝えることです。それができるのであれば、メイクやおしゃれは問題ありません。日本の現代のお坊さんは、医者や教師などを兼業している人も多く、時計を着けたり白衣を着たりしている。それと何が違いましょうか」と言ってくださいました。それで、この体験と学びを世界の人にも伝えていきたい、これが私のお坊さんとしてのできることなのだと自信を持つことができました。私がメイクをしたり好きな服を着るのは自分のためでもあるし、苦しんでいる人たちのためでもあるんだ、と思ったんです。

──一番大切なことは何か、と日頃から考える訓練が必要ですね。私たちはときに、目先の「やらなければならないこと」を片付けることに追われたり、形式や常識にとらわれるがあまり、なぜそうなのかという本来の目的を忘れてしまうことがあります。

西村 そうですね。形式や伝統に疑問を持つことなく、「そういうもの」として物事を進めた方が楽だし簡単なこともあるかもしれません。でも、「なぜそうなのか」を考えなくなるというのは、人間として浅はかなことだと思うんです。「ただやっている」のはAIでもできること。本当はこうしたかったけどルールでそう決まっているから、と言って考えるのを止めたら、宗教だって本来の目的が見えなくなってしまう。論理的に説明できないことを盲信して従う必要はないと思います。

──既存のルールや伝統でも、これはおかしいと思ったときに正しく抗うにはどうすればいいでしょうか?

西村 先日何かで、人は誰かを怒らせるようなことしなければ歴史を変えることはできない、という言葉に触れ、確かにそうだなと思いました。つまり、今まで誰もやらなかったこと、常識はずれだと思われていることをやった人たちが、時代や文化を変えてきた。私は、道徳的に正しいことをしているのであれば、たとえ反発されても正々堂々と信念を貫く勇気と覚悟を持っていたいと思いますし、それができる人を心から尊敬します。社会を変えられる力とは、そういうものだと思います。

──そこで最近気になるのは、ネット自警団のような存在です。正義という名のもとに誰かを傷つけたり叩くのが本当の「正義」なのだろうか、と感じます。

西村 例えば、環境問題の議論において、プラスチックを絶対悪として皆に脱プラを強要するというような人は、プラスチックを使わないでも生きていける環境にいる人たちかもしれません。今日、ご飯を食べられるかどうか、という状況に置かれた人たちにも同じ選択ができるとは思いません。私は、人に何かを強制したり、自分が正しいと断言するのは、自分の見識の低さを露呈することでもあると思います。世界中の人たちの生活を全部知っている人など存在しないわけです。だから本質的には、さまざまな社会運動においても、こちらの方が理想的ではないですか? という提案しかできないと思うんです。ですから、違う意見を持つ相手のことも理解しようとする態度が必要だと思います。

──それはダイバーシティとは何か、という問いにもつながりますね。

西村 私は、ダイバーシティは希望や可能性が詰まった宝物だと思うんです。私は男性の体に生まれて、男性として生きてきました。けれども小さいときから、女性と男性どちらの気持ちも持っていましたし、相手が男性の場合も女性の場合も、私を同性として、あるいは心が通じ合う仲間として、心を開いてくれるということがありました。だから私は、いろんな人の正直な気持ちを理解して、聞いてあげることができるんだと思うんです。そういう立場であるからこそ、新しいアイデアを提案したり、言葉や背景を補いながら物事を伝えることができます。そういうときに、こんな配慮をしてあげたらいいんじゃないですか、とか、こういう言葉の掛け方であれば人を傷つけないかもしれません、というように、多くの人がより心地よく生活できるような提案ができると思うんです。

──つまり、みんなと違うからこそできることがある、ということですね。

西村 そうです。宗教やセクシュアリティ、ジェンダー、人種など、異なる背景を持つ人の気持ちや状況を本当に理解できなくてもいいんです。むしろ、背景が異なるから価値観も違って当たり前なんだということを理解することが重要だと思います。自分が相手を理解できないように、相手も自分を理解できないことがある。でも、違うけれど仲良くなれるって、すごく幸せで楽しいことだと思うんです。だから、ぜひ違った価値観を持つ人と仲良くなって、自分の可能性を広げてほしい。そうして、みんなで強く豊かになっていくことが、ダイバーシティの価値だと思います。

──人とは違う点について触れてはいけない、聞いてはいけない、というような空気が、日本の社会には根強いようにも思います。

西村 仲良くなりたいから質問したいのだけど、答えたくなかったら正直に言ってほしい、と誠実に聞くのはどうでしょう? そうすれば、相手も別に攻撃しようとしているわけではないと理解できますし、信頼感も増すと思います。

──では例えば目の前に問題があり、それを共に解決していこうとしたときに、なかなか他者の意見に耳を傾けてくれない人や、理解し合えない状況になったら、宏堂さんはどう対処されますか?

西村 例えば話し合いの場に自分を除く10人の人がいたとして、そのうちの2人とは共感し合えたけれど、別の2人とはどうやっても相容れず、残りの6人はそのどちらでもない、というように意見が割れたとします。もし本当に変化を求めるならば、まずすべきことは、共感し合える2人と固く結束することです。次に、どちらでもない6人にできるだけ分かりやすく論理的に主張を説明して、意見を支持してもらえるよう努めること。そして、努力はしたけれどもどうしても賛同してもらえない2人には、もうそれ以上時間と労力を費やさない。状況が好転するとは考えにくいですから。

──つまり変化を起こしたければ、その場にいる全員と100%理解し合おうとする必要はなく、流動層に働きかけて変化を起こすに足る票を集める、ということですね。

西村 そうです。同性婚の議論においても、当事者の気持ちに共感はできないかもしれないけれど、確かにジェンダー平等の観点から考えるとその方が良さそうだ、と言ってくれる人を味方に付けていくというように。

以下割愛


メイクで美の魔法をかけるお坊さん 西村宏堂の正々堂々生きる「決断力」キャリア・教育 2020/09/13 11:30 POPULAR 督 あかり , FORBES JAPAN
フォーブスジャパン編集部

アメリカと日本を拠点に活動するメイクアップアーティストであり、僧侶でもある西村宏堂。唯一無二のキャリアだが、さらにLGBTQ活動家としての顔も持つ。

西村は、自らは同性愛者だが、LGBTQの当事者としての体験を踏まえて性別や年齢に関係なく、悩みに寄り添いながら、少人数制のメイクアップセミナーも行なっている。

画像Forbes JAPAN(フォーブス ジャパン)

フォーブス

ニューヨーク国連本部UNFPA(国連人口基金)やイェール大学で講演したほか、SNSでも「性別も人種も関係なく皆平等」というメッセージを発信している。今年夏には初の自著「正々堂々 私が好きな私で生きていいんだ」(サンマーク出版)を出版した。

そのなかでは、西村自身がコンプレックスだらけだった過去から、同性愛者としてどのように胸を張って生きられるようになったのか、日本や海外での経験を振り返り、自分を大事にする生き方を説いている。実は、今回、Forbes JAPAN Webの問い合わせフォームに、西村本人から直接の取材依頼があった。

そのことに少し驚いたのは、昨年はネットフリックスの米リアリティ番組「クィア・アイ in japan!」に出演したり、これまでもCNNやBBC、日本ではNHKでドキュメンタリー番組が組まれたりするほど著名であるのに、依頼文には、丁寧に西村の熱い思いが綴られていたからだ。

なぜこのような特異なキャリアを歩むことになったのだろうか。取材依頼を受ける以前から気になっていたいくつかの疑問を胸に、西村が僧侶として奉職するお寺に、会いに行くことにした。

前編ではその「決断力」について、後編ではSNSとの向き合い方や発信について紹介したい。

前編

東京都内に、西村が僧侶としての日々を送るお寺がある。夏の暑い日で、少し歩いただけでも私は汗だくだった。

「ようこそ、いらっしゃいました。暑いなかをお越しくださり、ありがとうございます」

西村は、少しかしこまった笑顔で私を迎えてくれた。全身モードな黒い服に身を包み、シャイニーブルーのアイシャドウが引き立ち、クールな印象だった。でもどこか優しげな雰囲気もあった。

「美」との出会い コンプレックスをどう乗り越えたか

西村は18歳でアメリカへ留学したが、それまで日本では同性愛者であることを親にも先生にも同級生にも打ち明けられず、人知れず悩んでいた。西村自身が「暗黒時代」と表す高校時代には、同性愛者だと気づかれるのが怖くてクラスメイトとも口を交わさなかった。中学時代からアメリカなら自分を受け入れてもらえるのではないかと、夢見ていた海外留学のため、放課後には英会話教室に通い、ただひとり英語の勉強に勤しんだ。

なぜ、苦しくても努力をし続けられたのだろうか。西村は「当時の私にとって、英語は救いだったんです」と振り返る。「日本でも本当は正直な気持ちを打ち明け、誰かと分かり合いたかったです。でもそれは難しく、留学するためには英語を勉強する以外ないという気持ちでした」

そんななか、密かに続けていることがある。中学生の頃、英語の先生と英語で交換日記をしていたことから、英語や日本語で日記をつけるようになっていた。高校生になると、怒りや悲しみの感情を記すことも多かったが、小さな目標をノートに書いて整理し、それを少しずつ具現化していくようになった。

今も西村が続ける「モーニング・ページ」というメソッドがある。頭がスッキリしている朝の時間に、ふと心に浮かんだ自分の気持ちや今日やりたいことリストなど、ひたすらノートに書き出すという習慣だ。モヤモヤしたときにも、自分の気持ちを書いておくことで感情の整理ができる。また、やらずに後回しになっていたことも一目瞭然となり、見返すと何をすべきか気づくことができる、というのだ。

2.西村は、2007年にアメリカ・ボストンの短期大学に留学したが、すぐに事態が好転したわけではなかった。今度は「日本人であること」にコンプレックスを感じた。「目が小さくて鼻が大きくて、自分に全く自信が持てませんでした」。だが、そんなときにミス・ユニバース世界大会で日本人が優勝したというニュースが飛び込んできた。受賞したのは「アジアンビューティー」と評される艶やかな黒髪が象徴的な森理世だった。

「そのとき、私は美しさの基準を日本人目線でしか考えられていなかったことに気づかされました」
西村がメイクアップアーティストを志したのは、ミス・ユニバース世界大会で優勝した森に衝撃を受け、そのメイクを担当していた日本人のメイクアップアーティストを尋ねたことがきっかけだった。ボストンの短大卒業後は、ニューヨークのパーソンズ美術大学に編入し、ファインアートを専攻しながら、そのメイクアップアーティストの下でアシスタントとして修行を始める。

モデルの森理世と西村宏堂のちに、西村はモデルの森理世をメイクする機会にも恵まれた(本人提供写真)
お寺で生まれた西村の父はもちろん僧侶だが、母はピアニストで芸術肌。西村自身は8歳から華道を始め、幼少期は自分のことを「こうちゃん」と呼び、ディズニープリンセスに憧れて、母のワンピースを着てお姫様ごっこをするような子供だった。すでにこのとき、メイクアップアーティストとしての素養は芽生えていたのかもしれない。それについて親から咎められたことはなかった。
ニューヨークのパーソンズ美術大学では、絵を描くことだけではなく、彫刻や溶接、パフォーマンスアートなどありとあらゆる表現方法を学んだ。
そして、当時の学部長が同性愛者を公表しており、また周囲の人たちは、LGBTQであってもそうでなくても、分け隔てなくコミュニケーションをしていることに、大きな衝撃を受けた。

「実は、私はアメリカに行って最初の3、4年は、日本にいたときのように引っ込み思案でおどおどしていたんです。でも表現することが大好きなコミュニティに入ったことで、周りからも『もっとメイクしなよ』とか『さぁ、パーティー行こうよ』なんて声をかけられました。みんながカラフルに生きていたので、自分が悩んでいた意味が分からなくなるほどでした」
自分自身でも徐々にメイクをするようになり、中性的な美しさがあるハイヒールも履くようになった。「メイクは自分らしくできる魔法のようなもの。なりたい自分にさせてくれます」

パーソンズ美術大学在学中に学んだ大事なことは「作品を作る理由をしっかり考えること」だったという。「なんとなく綺麗な絵を描くのではなく、どのような社会問題や文化的背景を捉えて、何を訴えたいのか。その理由が大事だなと学びました」と西村は振り返る。

そのような経験から、メイクアップアーティストになってからも「自分自身が苦しんできたからこそ、LGBTQの人たちを助けるメイクを」という軸はぶれずに持ち続け、「美の魔法」のエッセンスを多くの人に伝えている。

後編3.「ある悩み」を突破し、僧侶の道へ

結局、西村はアメリカで18歳から11年間暮らした。メイクアップアーティストとしてミス・ユニバース世界大会やミスUSAの出場者、ハリウッド女優やモデルのメイクも手がけ、第一線で働いてきた。
「いつか森理世さんのメイクをしたい」とノートに書いていた夢も、昨年、ついに叶った。アメリカで開かれたミス・ユニバース世界大会の審査員として参加していた森のメイクを担当したのだ。

「2008年ごろからの夢だったのでとても緊張しましたが、気さくで美しい人でした」

「ある悩み」を突破し、僧侶の道へ

西村は、2015年には浄土宗の僧侶となるために一時帰国したが、昨年には活動の拠点を日本に移している。日本ではLGBTQを巡る環境の改善も徐々に進んではいるが、いまだに偏見も少なくない。そんな日本になぜ帰ろうと思ったのだろうか。西村に聞くと、こう答えた。

「アメリカには11年間住んで、たくさんのことを学ばせてもらいましたが、ある時『アメリカにまだいたいの?』と自問自答したら、心の声が聞こえました。アメリカでメイクの技術はとことん学んだけれど、日本では活動したことがほぼなかったので『私がメイクを教えることで性差別に悩む人たちに何かできるかもしれない。私が人の役に立てるかもしれない』。そう感じました」。

実は僧侶の修行をする際も「同性愛者でメイクもする私が、果たしてお坊さんになっていいのか」と悩んでいたという。
迷いが生じると、決断するのはなかなか難しい。そんな時の解決策は「自分の中で悩んだままにせず、決断する材料がない場合は、納得がいくまでその道に詳しい人に聞き続ける。そして判断材料を足していく」ことだと、西村は語る。

浄土宗では男女で作法が違うものもあり、修行中、西村は悩んで思いつめてしまった。そこで指導員に相談すると、最終日に高名な僧侶に呼ばれ、直接質問をすることができた。修行中にはまだ自分が同性愛者であることを周りに伝えていなかったため、西村はこんな風に質問したという。

「私の周りにはトランスジェンダーの人がいます。作法についてどのようにアドバイスをすればいいですか」「また、私はキラキラしたアクセサリーを身につけるのが好きなのですが、これについてはどうですか」

すると、師はこう答えた。

「どんな人でも平等に救われるという法然上人の教えがもっとも大事なことです。作法はこの教えの後に作られたものだから、男女どちらの作法でもかまいませんよ。日本ではお坊さんは洋服も着るし、時計もつけます。それとキラキラしているものを身につけることの何が違いましょうか」

その答えを聞いた時点で「悩みが終わった」と西村は振り返る。こんな高僧とのやりとりを経て、西村は「正々堂々とお坊さんになれた」のだという。思えば、観音様も黄金で綺麗な服飾品を身につけて「キラキラ」していたのだ。

正々堂々──。いまの西村をひと言で表す最適な言葉だろう。とはいえ、威圧感は全くなく、物腰は柔らかだ。どうしたら、そうやって自然体でいられるのだろうか。西村は静かにこう答えた。

「自分が胸を張ってさえいれば、意外とバカにされたり、揶揄されたりするようなことにはなりません。見た目もセクシュアリティも、人と違うことは恥ずかしいことではありません。自分らしさを愛する選択をして、胸を張っていられることは幸せですよ」

次回は、西村にSNSとの向き合い方や発信について聞く。

西村宏堂◎1989年東京生まれ。浄土宗僧侶。
ニューヨークのパーソンズ美術大学卒業後、アメリカを拠点にメイクアップアーティストとして活動。
2015年に僧侶となり、その傍ら、LGBTQ啓発のためにメイクアップセミナーも行なっている。

自著「正々堂々 私が好きな私で生きていいんだ」。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?