見出し画像

成田 悠輔の経済指標

2022年11月12日

成田 悠輔の経済指標

ゾンビと波平:持続可能な高齢化社会を考える - 流転の時代をどう生きるか(成田 悠輔さんコラム - 第3回)保険市場TIMES 2022-11-10

「ゾンビ企業」が生産性低迷を生んでいる

長年、日本企業からイノベーションが起きていない、新しい産業が生まれていないと嘆かれています。ただ、前にも触れたようにこれらは狙って作り出すことは難しい。異常値的な企業を人為的に作り出そうという一発逆転的な議論をすることにはあまり意味はないんじゃないでしょうか。ずっと新産業の波の先端に居続けられてる国ってアメリカしかないですし。

画像 成田悠輔


画像 成田悠輔 小田駿一フォト


それよりも、日本の経済再生のために着目すべきなのはもっと地味なことです。例えば低迷する労働生産性―特に第三次サービス産業(飲食・宿泊・小売・教育・医療など)での生産性の低さです。その要因としてよく挙げられるのが、生産性の低い企業がゾンビのように生き残り続けてしまっていることです。日本は税制優遇や低金利・低担保での貸付制度など、中小企業を保護する政策が充実しています。その結果、もはやほとんどビジネスとして成立していない中小企業も存続できてしまっていると言われています。


経営資源が乏しく不利な中小企業を守ることは、正義のように思われるかもしれません。ただ、その負の側面にも目を向けるべきだと思います。例えば、ここ30年ほど日本の賃金がほとんど変わっていないことはよく知られていますが、さらに労働生産性や賃金の格差も広がっていることが知られています。低賃金で人を雇いとどめている主な受け皿がゾンビ企業です。ビジネスとして成立しているかいないか怪しい企業が生き残ってギリギリの低賃金で人を雇い続けることで、低賃金デフレスパイラルから抜け出せない悲しい循環が起きている可能性があるのです。このような悪循環構造にきちんと目を向け、メスを入れていく必要があります。オンライン診療から教員免許の規制緩和まで、昭和な既得権益を守っている岩盤規制をいかに切り崩していくか。この点こそ、日本経済再生のための地味だが最もインパクトの大きい戦略ではないでしょうか。
「少子高齢化」で衰退確定とは限らない生産性の低さに加え、もう一つ日本社会の大きな課題として挙がることが多いのは少子高齢化でしょう。ただこの問題についても、私たちはちょっと認識を変える必要があると思っています。日本で高齢化が語られる際には必ず「だから日本経済は衰退していく」といった運命論的な暗い論調で語られますが、少子高齢化をネガティブにとらえすぎる必要はありません。たしかに、人口が減れば国全体としての総GDPも減る傾向はあります。でも、高齢化が進んでいても一人当たりのGDPをきちんと保ったり、成長させたりしている国は世界中にいくらでもあります。ドイツや韓国、シンガポールなども日本に近いくらい高齢化していますし、後二者は出生率だけ見れば日本よりひどい状態です。それにもかかわらず、日本と比べものにならない経済成長を遂げている。その背後にあるのは、高齢化というピンチをチャンスとして活用した製造業やサービス業の合理化や自動化だと言われています。少子高齢化で人口減少が進む社会でも豊かな国を保つことは可能だということです。
“引退”の概念をリセットするそもそも高齢化といっても、人間の能力は思っているほど高齢化していません。例えば、ある医学系の研究では人間の肉体的能力、認知能力は半世紀前の60歳と今の60歳ではまったく異なるそうです。先進国の昔の60歳は、今の80歳くらいに相応するとも言います。つまり、同じ年齢でも今の人は昔の人より大幅に若返っている。例えば、漫画『サザエさん』に登場する波平さんは54歳です。これは今の福山雅治さんとほぼ同い年です。この二人が同い年だとはとても思えませんよね(笑)。これは極端な例ですが、現代人はだんだんと若返っているのです。昔とは50~60代の体力も能力も大きく異なっていること、実質的な高齢化は年齢の額面ほどは進んでいないことを認識する必要があります。
日本には現役引退後はボランティアのような値段で働くことが当然、という謎のカルチャーがあります。一見心暖かい貢献に見えますが、安売りする人が増えると結果的に現役世代の賃金も押し下げることになってしまいます。引退後に悠々自適な人たちが、趣味で採算度外視の価格で提供する飲食店と同じです。それによって、普通に営業していた近隣の飲食店がつぶれてしまう。それに近いことが、日本の労働市場全体で起きている。さらに、引退後の労働力にまともな値段がつかないなら、高齢者も新しいことを学び、スキルを身につける気になれません。そうやって、一見人のためになるように見えて結果として全員を不幸にする文化が、形成されてしまっているように思います。根強い年功序列があり、そこから外れた高齢者や非正規は買い叩かれるという構造を変え、誰しもスキルや能力に応じて労働市場で適切な値段がつくようにする必要があります。それが最初に触れた生産性問題への解決の糸口にもなるでしょう。年齢という呪縛を社会全体でリセットする必要があるのです。

仕事がアイデンティティになりづらい時代? - 流転の時代をどう生きるか(成田 悠輔さんコラム -
第1回)2022-10-13
リモートワークにおける仕事への愛着やプライド働き方改革の旗印のもと、大企業を中心に長時間労働の削減や育児休暇取得の促進、時短勤務やフレックスタイム制の導入といった、個人が働きやすくなるための施策が進められています。リモートワークもその一つですね。これまで日本ではなかなか普及しなかったものの、コロナ禍という偶然で一気に広がりました。
リモートワークは次の時代を象徴する入口になるかもしれません。私たちが仕事や職業に生きる意味やアイデンティティを感じにくくなる時代です。言うまでもなく、仕事や職業には、生活費を稼ぐという経済的な側面があります。ただそれと同じくらい、仕事や職業を持つということは、人に生きがいや社会の中での存在意義を感じさせるという精神的な側面もあります。だからこそ、経済的にはまったく働く必要がない億万長者でも、わざわざ時間と労力を割いて仕事をするのです。
ただ、異国の地にあることやディスプレイの向こう側にあることはどうしても他人事になりやすい。私自身も日米でリモート仕事をしていますが、アメリカにいるときは日本のことはどうでもいいと感じがちですし、逆もまたそうです。目的や手続きの決まった作業を淡々とこなす分には、リモートワークは便利です。でも、その仕事に、本質的な愛着やプライドを感じたり、目的や意味を添加するのは難しい気がします。リモートワーク時代には、家族や遊びと比べて仕事にアイデンティティを感じることが難しくなっていくのではないかと思うのです。
私がこう感じるのは、対面で仕事を進めることが基本だった時代を生きてきた老人世代だからかもしれません。最初からリモートワークが当たり前の今の20代前半以降の世代では、リモートアイデンティティとでもいった新たな仕事や会社に対する感情が芽生えてくる可能性もあります。リモートアイデンティティ醸造に挑んでいるのが、コロナ禍で創業したスタートアップなどでしょう。
組織への所属がアイデンティティだった正社員、それを支える雇用法制日本の古い企業ではリモートワークの普及が進まず、今再び対面へ揺り戻しが起きていると言われます。その理由の一つは日本の産業構造でしょう。工場のように物理的な物を扱ったり、レストランのように対人サービスを提供したりする仕事は、すぐにはリモートにしようがありません。製造・建設業とサービス業が占める割合が大きい日本は、リモートワークと相性が良くない国なのだと思います。
加えて、雇用法制と一体化した企業組織・雇用契約の形が拍車をかけていると思います。
よく「日本人は会社組織に所属していること自体にアイデンティティを感じている人が多かった」と言われます。毎日、満員電車に揺られて会社に行き、職場のメンバーと同じ場所と時間を共有する。会社という共同体に浸かることで「この社会に存在してもいいんだ」という感覚を得る。日本の会社員の多くは長らく、そのようなかたちで仕事のやりがいや存在意義を確立してきたと言われます。聞き飽きた話でしょう。
これはただの気分や文化の問題だけではなく、雇用法制と結びついています。会社側も正社員をクビにすることが難しいので、存在意義を感じられず不貞腐れて周りに害をもたらすガンのような存在になられては困る。だからなんとなく出社してなんとなく会議に出席しているだけの社員に、それだけで存在意識を感じてもらうのが理にかなっているのです。そんな日本社会では、個人側から見ても企業側から見てもリモートワークが進みにくいのは自然だと思います。
もう日本はメンバーシップ型社会ではないただ、こうした日本の文化や制度も崩れつつあります。今や日本の労働者の40%近くが非正規雇用です。派遣労働者はメンバーシップ型ではなく、ジョブ型労働の典型とも言えます。「日本企業はメンバーシップ型だ」という言説は、大企業の正社員を中心とした少数派にしか当てはまらなくなりつつあります。そして、契約や派遣を中心とする「報われないジョブ型」へ移行しているがゆえに、リモートワークが普及しにくくなっている可能性もあると考えています。非正規や派遣だと会社に対する交渉力が弱いため、コロナ禍だろうがなんだろうが、「オフィスに来い」と言われれば、従わざるを得ないからです。
リモートワークとともに、最近では大企業で副業や兼業を解禁する流れがあります。単純に選択肢が増えるという意味では、いいことでしょう。ただ現実には、副業や兼業ができることがメリットにつながる人は、ごく一部だと思います。そもそも本業で納得がいかない、十分に稼げていない人が、副業や兼業で巻き返せるとは思えません。報われない理想を抱いて、すべてが中途半端な人をつくりだすことになる危険性もあります。

次回は、このように変化の大きい時代をどう自分らしく生きていくかということついて、お話しします。


キャリアよりサウナ。キャリアにあまり興味がない私が考えるこれからの時代のキャリア論 - 流転の時代をどう生きるか
(成田 悠輔さんコラム - 第2回)2022-10-26
グローバル競争の波に正面から乗るか、きっぱり降りるか
どのように自分のキャリアを築いていけばいいのか、私からみなさんに「こう生きるべきだ」という答えやアドバイスはありません。みんな好きなように生きればいいと思います。ただ、これからのキャリアの築き方みたいなものを考えると、ざっくりいくつかの方向性があるのではないかと感じています。
 ×以下割愛  
閲覧多数のため、以下書きくわえました。

一つ目は欧米からアジアに重心が移っていくグローバル競争の波に思い切り乗る方向性。二つ目は今はまだ大きい、でも古びた日本経済を生かして日本の内側から大きな仕事や事業を創り出す方向性。三つ目は華麗なキャリアや経済的な豊かさを目指さず、地元の居酒屋おじさんやサウナおばさんみたいな感じで慎ましく幸せに生きていく方向性。重複も漏れもありまくる分類ですが(笑)。

まず、一つ目について言えば、単純に日本という枠と関係なく生きていくということですね。日本語や日本人同士のコミュニケーションや仕事文化のようなソフト面はほぼ無意味。英語や中国語で仕事をして、業務定義に直接関わるようなハードスキルや特定業務での経験や業績だけを大事にするという方向ですね。金融やIT、ものづくりのプロで国外脱出する人たちみたいな生き方がちょっとずつ広がり、他の業種にも浸透していく。今でも海外に住む日本人はどんどん増えてますし、日本国内でも評価の高い人から順番に外資系企業に移っていく、日系大企業はそのための予備校っぽくなる状態が色んな業界で生まれてるじゃないですか。その延長線上ですね。

ただ、ここで注意しなくてはいけないことは、「グローバル」の軸足が欧米からアジアに移ってきていること。これまでは欧米企業の日本支社で働いたり、欧米に移住して働いたりすることがグローバルっぽいエリートの典型的なイメージでした。でも今後は、上海や香港、シンガポールは言うまでもなく、インドネシアやベトナム、インドなどの東南アジアの国々に日本人が出稼ぎに出ることがごく普通になると思います。東南アジアが人口や経済の成長爆発の起点なので。大学や大学院もアジアに留学する人が多くなるでしょう。

一方で、国内で開拓できて大きな潜在性のある仕事や産業もあると思います。日本経済や大企業は何だかんだまだ巨大で、それが東京圏・日本語圏・20世紀っぽい仕事圏に閉じ込められている。それを効率化・デジタル化するっていうのは巨大な市場ですよね。だいぶ後ろ向きで、輝ける未来を開拓してる感じはゼロですが(笑)。ここ5年ほどで時価総額を伸ばしている国内のスタートアップを見ても、法務・労務・会計などのバックオフィスDXを支援するSaaSとか、運輸とか建築・土木をデジタル化するみたいな会社が多いですよね。他にもオンライン診療やAIを活用した教育など、古臭い業界を見れば見るほどたくさん巨大な課題が眠ってますね。そういった地味領域での起業は今後も有望でありつづけるんじゃないでしょうか。

さらに、日本の中小企業には地味で小さな分野の世界市場で巨大なシェアを持っている「グローバルニッチ企業」がたくさんあります。モーターとかガラスとかが典型です。従業員一人当たりとかで見るとすごい資産価値を持ってる企業群ですが、年を重ねて事業承継の壁に直面している会社も多いですよね。そういった業界の世代交代のために若い有能な人が入っていくことは、個人にとっても社会にとっても価値が高そうです。

イノベーションよりサウナ
最後の「ユルユルと日本でお茶碗一杯の幸せを生きていく」路線の背景には、何だかんだ日本は世界全体からみればまあまあいい国、という現実があります。

日本は生活のためのインフラや保障が手厚く、交通機関も時間に正確だし、物価も安くて清潔で安全なので、お金をかけなくても生活を楽しめますよね。数百円あればおいしい牛丼がサラダ付きで出てくるし、コンビニで缶チューハイを買って銭湯やサウナに行けば大体の不幸は忘れられます。私自身もそれくらいで幸せといえば幸せです。最低限の暮らしをしようと思えば、生活保護に毛が生えた感じの収入でもなんとかやっていけるでしょう。

劣等感さえ持たなければ、日本は貧乏でもそれなりに楽しい生活ができる国です。なので、コンビニと銭湯でフラフラして楽しく生きていくと、割り切ってしまうというのはアリだと思います。もちろん、割り切り方が中途半端だと、どうしてもコンプレックスや劣等感や後悔が生じてしまいます。よって、「自分にとって何が確保されていればとりあえずOKなのか」をしっかり見極めることが大事だと思います。

時代に取り残されることも面白い経験
私自身はキャリアを築くみたいなことは特に考えていなくて、色々なことに手を出してすべてが中途半端になって停滞している感じです。ごちゃごちゃした材料を闇鍋のようにかき混ぜて、どんな人生や仕事が生まれてくるのかをカオスエンジニアリングしているような気分です。そのために、ある仕事をやるかやらないかに関するルールをなるべく持たず、何でもランダムに、満遍なくやるようにしています。時間的にほとんどは断らざるを得ないんですが、ギャラ的なメリットが大きいものと搾取されるもの、自分が得意なものと苦手なもの、人から「すごい」と言われるものと風評被害・ブランド棄損が起きるだけのもの、「なんでこんなことやってるんですか」と言われる意味不明なもの。そんな相反する要素を化学反応させるというざっくりとした方針だけはあります。

こんなやり方をしている理由は好奇心と、飽きっぽさです。昔から、自分がやっていることに価値があるはずだと思いこむ力がめっぽう弱くて、何をやっていても「マジで何の価値もないな」という気がします。だから次から次へとやることを変えるしかない。

官庁やマスメディアなどが典型ですが、これまで価値があるはずだと思われていた組織や業界にいた人も、時代が急に変わって「自分がやってきたことや信じてきたものは無意味だったのではないか」と不安を抱えているかもしれません。ただ、時代に取り残されてしまうこともそれはそれで面白い経験じゃないかと思うんです。大企業に入って、何十年もかけてキャリアを築いていくって今やすごいリスクと不確実性の塊に身を晒しているようなものですよね。ちょっとした武士ですよ(笑)。半分は嫌味ですが、半分は本気でそう思ってます。私がいる研究者の世界もハイリスクローリターンで似たようなものですし。

成田 悠輔(なりた ゆうすけ)_naritayusuke2-1
⇒成田 悠輔さんコラム「流転の時代をどう生きるか」第1回を読みたい方はコチラ

⇒成田 悠輔さんコラム「流転の時代をどう生きるか」をもっと読みたい方はコチラ

⇒各分野の第一線で活躍する著名人コラム「一聴一積」トップへ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?