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『学ぶこと』と『勉強すること』の違い

「学ぶことと、勉強することは違いますよ」


かれこれ、2年半前の事になるのですが、
私はメンターが口にしたこの言葉に、小さな戸惑いを覚えました。


そして、その言葉の言わんとすることは何なのか?と強く興味を惹かれました。


そして、メンターは続けました。


「人は自由に生きることを望んでいるようで、
その実、誰かからやるべきことを植え付けたがるものなんですよ」


「そして、『勉強』したがるんです」


勉強したがる。という言葉に何か思い当たるものを感じるのです。


まるで、自分のことを見透かされ、指摘されているような気がしたからだと思います。


元来、私たちにはそれぞれに


趣味、嗜好、感性、持ち味 といった独自の性質が備わっています。


例えば、

YouTubeで動画を見ることが好きな人もいれば、noteで記事を読むことを好む人もいるでしょう。ネット関連のことよりも、友人たちに囲まれて過ごす時間を大事にしたい人だっています。


私たちは、自分が持っている興味に基づいて、自由に好きなだけそれを探求できる時代を生きています。何かわからないことがあれば調べられる環境は十分すぎるほど整っているわけですし。


法律に触れたり、誰かに迷惑をかけないのであれば、気兼ねすることなく気ままに、生きたいように生きればいいわけです。


ですが、いざ「自由にやっていいですよ」となると、


多くの場合、人は尻込みをしてしまう。とメンターは言います。


要は、好きなことをやってはいけないんだと思いこんでしまっているようなのです。そして、その思い込みは、既に潜在意識レベルにまで刷り込まれており、「はいそうですか」と言って、簡単に変えられるほどたやすいものではないようなのです。


なぜ、こんな、こんがらがったことになってしまうのでしょうか。


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近代社会の呪縛から、自らを解き放つ



その原因を求めて、時間を巻き戻し、辿っていくと、


私たちが子供のころに受けた、学校教育にまで遡ることができます。


そして、当然ながら、私たちの両親の教育からも同じように大きな影響を受けています。なぜなら、私たちのお父さん、お母さん も同様に義務教育を受けている場合が多いからです。


私たちの受けた義務教育の原型は、18世紀イギリスの産業革命に端を発します。


産業の近代工業化が国運を分ける時代。国家として有能な労働者の育成は急務となっており、教育制度の改革が推し進められていきます。


1870年には、初等教育法(Elementary Education Act 1870)が制定され、5歳から13歳までのほぼ全児童の教育が始まりました。


これが私たちが子供のころに受けた義務教育の原型とされるものです。


すなわち、義務教育とは工場で働く労働力を社会へ送り出すための、労働者育成所という性質をもともと備えているのです。


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人材として求められる能力は

・時間に従順である
・与えられた役割をそつなくこなす
・上司の言うことには絶対に服従する
・秀でた自由な発想は必要ない
・出された食事はきちんと食べる

本質的な部分は、今日にまで引き継がれているように思えます。


お伝えしたいことは、

私たちの脳には、自分以外の他者からやるべきことを与えられ、それを時間をかけて勉強するという常識が、自分が自覚している以上に深く潜在意識へと植え付けられてしまっているということです。


ですから、いざ「自由にやってみてください 」という状況に置かれてしまうと、


「何をやればいいのかわからないので、具体的に何をすればいいのか教えてください」という思考に陥りやすいのだと思います。


これは他でもない、私自身がそうだったからこそ、メンターの言葉を聞いたとき、自らの盲点に気づき、はっとさせられました。


メンターは、

人から言われて植え付けられたものは、まず間違いないくうまくいかないので、勉強したらダメだと言います。


『勉強』というのは、世間のレールに乗る方法で、『学ぶ』というのはそのレールを外れることだと。


今、これといってやりたいことが思いつかない、何をやればよいかわからない という人は、逆に何もやらないほうがいい。とまで言いました。


そして、まずは学ぶことからはじめてください。学ぶうちに、自然と身についてくるものです。自分のやりたいこと、やるべきことというのは、と。


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『学び』の武者修行へ


私は投資の分野から、ビジネスの分野へと軸足を移そうと模索するにあたって、これは!と感じたアフィリエイトの教材をいくつか購入し、そこで教えられている内容をただ勉強するということをしていました。


勉強して、その内容を頑張って再現しようとしたのですが、思うような成果が得られず、挫折し、何が足りないのかを自問していました。


ですが、メンターのこの言葉を聞き、もっと実社会の中で自分らしさや、自分の持ち味というものを感じ取り、能力を試してみる経験が必要だと強く感じました。それが『学ぶ』ということなのではないかと。


その頃、丁度、縁あって経営者団体へと参加させていただいておりましたので、私はとにかく、自分が感じるままにその輪の中で活動してみようと思いました。


その団体には、日本全国の数多くの会社経営者が加入されていました。世の中に、これほど多種多様な商品・サービスを提供する会社が存在しているのかを知ることになり、驚くことは多かったです。


誰もが知っている子供向け菓子を作る会社、知る人ぞ知る事業用バッテリー計測機器の製造会社、有名俳優のお母さま、元力士、著名政治家...


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チャンスがあれば、勇気を出して自分からお声かけをし、名刺交換をお願いするよう心掛けました。


会場はホテルなので、普段は、ベビー服を着て赤いハートのがらがらを手から離さないのですが、この団体に参加するときは、スーツ・ネクタイ着用で、身長も175cmになり、TPOには配慮します。


また、打診された役職はお受けし、投資の事やパソコン関連の相談を持ち掛けられたときは、自分のできる限りのことでお応えしていきました。


そんなときの心構えは、自分のこだわりはまず横に置いておく。ということでした。自分を主張するのではなく、他者が自分をどのように評価し、自分に何を求めているのかを大切にして、そこで生まれる自然な力学と流れに身をゆだねるという心構えで行動するのです。


『勉強する』のではなく『学ぶ』ために、気づいたことは「勉強になった」で終えずに、行動に移すところまで持っていきます。


そんなことを続けていると、たくさんの経営者の皆さんが、わたしに対する印象や気付きを伝えてくださいます。それらの言葉は自分の長所と短所を浮き彫りにしてくれる、大変貴重なフィードバックとなります。


長所としては

・パソコン関連のスキルで、問題を解決する。
・プロ向けのソフトウェアを複数扱い、それらを融合して価値を生み出す。
・新しいデバイスを取り入れて、自分が持つ既存のスキルと融合する。
・人と相対で物事を進めるほうがうまくいきやすい。


逆に、短所は

・人脈をどんどん広げるような人づきあいが苦手。
・広がった人脈を維持しようすると、割合、人に流される。
・営業的雑談がうまくできない。

こんな気づきがありました。


その後、その団体では、運営する立場をいただきながら、イベントや広告・プロモーション向けの映像を作成する仕事をするようになっていました。


行動してみる前には、こんな結果になるなんて全く想像できなかったです。人生はやってみないとわからないものです。


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現在、私はメンターのもとで独りネット起業という分野について学んでおります。


この道を進む選択を下すことができたのは、今回お伝えさせていただいた『学び』の過程があったからだと感じています。


私たちが受けてきた近代的な学校教育のシステムは、現在の豊かな日本社会を構築する上で、欠かすことのできない国家の地盤であり、


常日頃、両手に抱えきれないほどの恩恵を与えてくれています。本当に、いくら感謝の言葉を尽くしても足りないほどです。


しかし、時代の変化は急速であり、その変化は止まることはありません。


『個』の時代といわれる今の世界を末永く、楽しく過ごすために、その時代にふさわしい『学び』の在り方が求められているのだと思います。


私も、少しでも皆さまのお役に立てる内容を配信できればと考えております。


お読みいただき、ありがとうございました。



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