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私が大切にしている新年の儀式 #001

明けまして、おめでとうございます。


元旦は近所の神社に初詣をしてきました。


今年は田舎で親類と過ごすことを控え、一人静かな学びの時間を過ごしています。


今日は私が密かに大切にしている
小さな正月の儀式についてお話させてください。


その儀式とは


『国旗を掲げること』です。


この文章を書いている部屋の窓からは


玄関先に掲げた国旗がゆるやかに揺れています。

大荒れと伝えられていた気象予報とは裏腹に

穏やかなひだまりの中を
新年の風を受けてやさしくなびいています。


時折、突風を受け、勇ましくはためく姿は

なかなか様になります。

我ながら感心してしまう瞬間です。

正月の三が日の間は、こうして掲げたままにしておきます。


これは

ここ数年の、私の中の小さな行事になっているんです。

靖国神社をお参りした時に見つけたお気に入りの国旗です。


国旗を掲げるには、ほんの少しばかり準備が必要となります。

年末になるとクローゼットから国旗の入った箱をおもむろに取り出してきて、中身に変化はないか確かめます。

この時、今年も無事に正月を迎えることができることに、しみじみとした気持ちになります。

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1年間、箱の中で折りたたまれたまま眠っていた日章旗には


くっきりと折り目がついています。

そのまま掲揚するわけにはいきません。


アイロンがけが必要です。

うやうやしく正座をして、丁寧に折り目一つ一つを消していくようにアイロンをかけていきます。


スチームのシューッという音が静かに部屋に響きます。

それが終わると、組み立て式のポールに旗を結わえ付けて

大みそかのうちに、自作した掲揚台に設置すれば


あとは正月が来るのを待つだけです。



実を言いますと、この国旗を掲揚する瞬間

いつも心にためらいが生じます。

「周囲の人から、変な人と思われないかな?」

「正木さんは右翼なんだ、とは思われたくないな」


ここまで準備しておいて、毎回こんなことを考えてしまうんです。


ちょっと心細くなって

「ほかにも国旗を掲げている人はいないのかな?」

内心そんな期待をもって

新年を迎えた町内を見渡してみると


国旗を掲げている人なんて一人もいないことに気付きます。

子供の頃の記憶を思い返してみると
たしか、ところどころに国旗が目に入った記憶があります。
(30数年前の話です)


数は多くありませんでしたが、ポツリ、ポツリと。


その記憶の中の正月には


神事として正月を迎え祝祭する、少し非日常的な雰囲気が確かにあって


子供ながらに、新しい年として世界が生まれ変わったような印象を五感を通して感じることができました。

他にも

着飾って地元の神社へ初詣に向かう人の姿や
駒回しの音がどこかから響いてきて...


今では少なくなってしまったように感じる新年の風景です。


そんな自分の郷愁の念も手伝ってか、せっかく国旗もあるわけだし、正月くらいは掲げてみようと。


それがたとえ自分一人だけだったとしても


周囲に気兼ねして、やめる必要なんてないはず。


国旗を掲げるというささやかな行事は


自分にとって、この世界を漠然と支配する同調圧力への抵抗でもあるわけです。


ある時、新年の陽光を浴びる旗を見て


「お、日章旗ですか、いいですね」


と、見知らぬ人が笑顔で声を掛けてくれました。


私はうれしくなり、会釈を返しました。


新年に掲げた一本の国旗が、一人の人を笑顔にすることができた瞬間でした。





たとえ周囲に賛同者が見当たらなかったとしても


自分の内側に聞こえる声を信じ、勇気を持ってその道を歩んでいく。


2021年という年をそんな想いとともに進んでいきたい。


そう決意を新たにする正月です。

皆さまにとりましてこの年が


笑顔に溢れ、希望に導かれる一年となりますように。


本年もどうぞ、よろしくお願いいたします。









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