見出し画像

One and Onlyから学ぶ~そもそもそれって必要?~


日々生活をしているとこれまで新鮮だったものも当たり前の世界になってきます。新社会人になりたての頃は初めての給料があれほど嬉しかったのに、今ではもっとくれもっとくれという中堅社会人。新婚当時は幸せいっぱいだった夫婦もアラフォー世代になると旦那はヒエラルキーの最下層。こんなことが世の中にはびこっているのではないでしょうか。

僕の尊敬する先生の一人である沼田晶弘先生の著書である「One and Only」を読んで考えたことを書いていきます。

そもそも論

冒頭にも書いたように、当たり前の世の中だからこそ、その当たり前に対して問題提起をする必要があると感じます。

・そもそも何故学校に行く必要があるのか
・そもそも勉強は何のためにするのか
・そもそも…

問えば問うほどいろいろなことを考えるきっかけになります。これは大人である僕たち自身が考えることも必要ですし、先生である立場からすると子どもたちに問い直させる必要があると強く感じました。じゃないと、ずっと「学校に行かされている」「勉強させられている」という意識が根強く残ってしまう気がするのです。

僕が考えるに、そこに最適解はなくていいと思います。ただ、普段生活している「当たり前」を考えなしに捉えるのではなく、常に「そもそもそれって…」と問い直すことで必然性が生まれると感じました。


みてみて欲

人は多かれ少なかれ誰かから認められたいという承認欲求をもっています。特に子どもはその欲求が強い傾向にあるでしょう。だから学校の先生は(特に学年が小さいほど)子どもを褒めます。欲求を満たしていくことで、子どもの自己肯定感を上げていくことにつながると考えられます。

マズローの欲求5段階説はそれらを裏付けるものになっています。

画像1


学校でも子どもを褒めるチャンスはたくさんあります。

・新しいことができるようになった時
・テストでいい点数をとった時
・友達に優しくできた時
・上手に発表できた時

では、家庭ではどうでしょうか。親さんはお仕事で疲れている。ごはんをつくらないといけない。掃除もある…。そんな状況でいい笑顔で子どもを褒めることができるでしょうか。(もちろん中には褒め上手な親さんもおられることでしょう。)

だから、沼田先生は褒めてもらうことがあったときに、親にいうタイミングを見測れと子どもに言うそうです。ご飯をつくっている時にテストで100点とったことを言われても一言で片付けられるでしょう。なぜなら、親さんは別のことに意識がいっているから。だから、リラックスタイムを狙わせるのです。お風呂上がりやテレビを見ているときなど、比較的リラックスしているときに「100点とったよ!」と言わせることで、少なくともご飯を作っているときよりかは嬉しい言葉が返ってくるのです。

つまり、みてみて欲(承認欲求)は一見、誰かから褒めてもらうという「受動的」なものとして捉えると、なかなか満たされなくなってしまいます。しかし、「能動的」に褒めてもらおうとすると(褒めてもらうタイミングを考える等)より一層みてみて欲は満たされていくのです。

なるほど~。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?