つちのこ

徒然なるままに心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きます。

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最近の記事

ヒトの生息域

田舎育ちの私はたまに都会に出てくるとバスや電車の窓を過ぎていく建物の大きさと量に圧倒される。 そう書いておいてなんだが、田舎のフェリーに乗ったときにも、海の上から陸を見て似たような気持ちになることがある。 感じ入るのは見渡す限り、無駄なスペースを省き高効率で建造物が、すなわちヒトの巣が張り巡らされていること。 ヒトと同じく社会性動物としてアリが対比されることが多い。 アリは地下にそれぞれ役割を与えた部屋をつくる。種によっては蟻塚を築くものもある。 ヒトが平地には耕作地や居住ス

    • 一次関数が表す直線に対して垂直方向に任意の距離mだけ変異した式の導出

      タイトルの通りの計算が仕事で必要になり、簡単に調べたところ「これ」といった公式はなさそうだったので自分で導出しました。 一般に知られている公式は単軸方向への平行移動用かと思います。 点と直線の距離の公式をこねくり回せばそれでも求まりそうですが、本稿で紹介する公式を用いれば一発で欲しい式を求められるのがミソです。 中学生程度の理解度があれば簡単に扱える公式になったので以下に紹介しておきます。 数学の初歩的なエッセンスが詰まっていますので演習問題としても有用です。 もしかしたら業

      • 多元宇宙論や次元についての解釈

        筆者は一応物理学専攻でしたが、専門は物性理論なので量子力学、宇宙物理については素人です。 なんとなく考えたものを備忘録代わりに残す意味でこのノートを作っています。 なにかの創作に使えないか、誰かのアイデアの素にでもなれば嬉しいです。

        • 覚書:資本主義と格差社会と持続可能性について

          「持続可能」とはすなわち停滞ないし後退であるといえる。 現在、世界でおよそ78億人が生活しており、人口はいまだ増加傾向にある。 人口が増加傾向にあるということは、今この瞬間だけを切り取れば、地球上の資源は78億人を維持するのに十分な量が確保されているということだ。 しかし、現在広く使われているエネルギー資源である化石燃料は天然の資源であり、その消費速度は生産速度を大きく上回ることは最早常識となっている。 現在以上の(あるいは既に飽和している)人口を維持するためには生産速度、消

        ヒトの生息域

          3Dプリンタ用PLA樹脂の乾燥について

          FDM(積層)3Dプリンタに用いられる樹脂材料は湿気に弱く、吸湿により大きく劣化する。 筆者は主にPLA樹脂を使用しているが、碌な対策もしないまま梅雨〜夏を経験してきたフィラメントたちは最近よく詰まるようになってきた。 といってもノズル自体は詰まっておらず、どうもそれより上、エクストルーダー〜ヒートブロックの間で熱され、太ってしまうせいで樹脂が射出口まで届いていないようだった。 上からフィラメントを押し込んでも進まず、かといってノズルは詰まっておらず、途切れ途切れに(ミシン目

          3Dプリンタ用PLA樹脂の乾燥について

          IT化と雇用 今後の働き方について

          イーロン・マスクによるTwitter社大量解雇のニュースが騒がれている。 これについて賛否両論あるようだが、現時点でTwitter自体がストップしていないことからも、少なくとも短期的には不要と見做された人員の整理だと考えれば、経済学的な視点から一企業の運営としてはある種当然の対応ともいえる。 GAFAとはじめとする巨大IT企業は世界を股にかけ、今やインフラとも呼べる規模になっており、コンピュータ技術を根底に効率化・システム化が進めば進むほど我々の生活は便利になってきた。 効率

          IT化と雇用 今後の働き方について

          自由とは-今後、「社会」はどうなるか

          自由とはなにか、現時点での私なりの考えをまとめておこうと思う。 マキャベリの君主論を読んでいると「君主がその領地を上手に統治しなかった場合、民衆は自由を勝ち取ることを名目に反乱を起こす」というような記述があった。 そこでふと考えた。自由とはなにか。 フランス革命、アメリカ独立戦争は自由を勝ち取った戦争だと、歴史に疎い筆者はなんとなくそんな印象を持っていた。 独裁的な王家からの、また、宗主国からの独立は「自由への第一歩」なのだろうか? そもそも前提として、筆者は極端な合理主義

          自由とは-今後、「社会」はどうなるか

          「他人からの評価」を気にして落ち込むのは何故か

          ここ最近、私の周りには他人からの評価を気にしては一々落ち込み悩む人が多かった。 私自身はというと、他人からどう思われようが知ったこっちゃない性分なので相談を受けても今ひとつピンと来ない。 本稿では、私自身はなぜ他人からの評価をほとんど気にしないのかを考えてみたい。 思い返してみると、私が他人からの評価に無頓着なのは下記のような哲学に基づく。 ①人は人、自分は自分。同じ人間は2人と存在しない。 →人は生まれてから死ぬまで、一瞬たりとて他人と平等ではなく、同一足り得ない。 ②

          「他人からの評価」を気にして落ち込むのは何故か

          『ジュラシック・ワールド 新たなる支配者』は駄作なのか

          先週末『ジュラシック・ワールド 新たなる支配者』を観た。 個人的には大満足の映画だったが、世間の評価はイマイチのようで賛否両論。 各所のレビューを見ると「否」が目立つように思う。 本noteではあくまで個人的な感想として、私が満足できた理由と否定派の意見との乖離について考えたい。 以下、ジュラシック・パーク=JP、ジュラシック・ワールド=JW 『ジュラシック』シリーズはあくまで娯楽映画 今回、私が見た中では下記の否定意見が多かった。 ・前作で提示された「恐竜との共存」に

          『ジュラシック・ワールド 新たなる支配者』は駄作なのか

          視覚芸術の階層構造についての考察

           視覚芸術にはしばしばメタ的な演出が取り入れられる。 「一枚の絵画の中に右手が描かれている。絵の中の右手は、一枚の紙に右手の絵を描いていて、更にその右手は。。」 といった表現は多くの人がどこかで観たことがあるかと思うが、既にありふれて新鮮味がないようにも感じる。もっとも原始的なものは合わせ鏡だろうか。 漫画、アニメ、映画の中のキャラクターが、鑑賞者である私たちに話しかけてきたり、当人たちがフィクションの存在であることを示唆するような表現も分かりやすい例だろう。前者では、鑑賞対

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