『ジュラシック・ワールド 新たなる支配者』は駄作なのか

先週末『ジュラシック・ワールド 新たなる支配者』を観た。
個人的には大満足の映画だったが、世間の評価はイマイチのようで賛否両論。
各所のレビューを見ると「否」が目立つように思う。
本noteではあくまで個人的な感想として、私が満足できた理由と否定派の意見との乖離について考えたい。

以下、ジュラシック・パーク=JP、ジュラシック・ワールド=JW

『ジュラシック』シリーズはあくまで娯楽映画

今回、私が見た中では下記の否定意見が多かった。
・前作で提示された「恐竜との共存」について明確な回答がない
・恐竜よりイナゴが目立っている
・歴代主人公が活躍=誰もリタイアせず緊張感に欠ける
・ご都合主義な展開が目立つ
私がこれらの意見に共感できないのは、『ジュラシック』シリーズをあくまで娯楽映画として観ているからではないかと思う。
ご都合主義なのは6作品すべてそうであったし、イナゴは蝗害と出エジプト記に絡めたただの舞台装置だった。
JP3で活躍したプテラノドン、JWで活躍したモササウルスも恐竜ではない。これまでの主人公たちは過去の作品で四肢欠損してきただろうか。ご都合主義は「つまらない」のか。
「恐竜との共存」については、恐竜が現代の自然に溶け込んでいるJW3の世界観がそのまま答えになっている。
共存とは過剰に保護することでも駆逐することでも怖がることでもなく人間も含めた現代の自然に溶け込んで暮らすことではないか。「共存すべき」ではなく「共存せざるを得ない」。

娯楽映画に高尚な何かを求めていないか。
そもそもJP1に始まりJW3まで『ジュラシック』シリーズは学術的に真摯な映画であるとは言い難い。
リアリティがない、という人は恐竜のリアルを知っているのか。
恐竜が吠えるのか、ディロフォサウルスが毒を吐くのか、ヴェロキラプトルのサイズは適切か、スピノサウルスの水棲説が固まってきたが造形を修正して再登場させるべきか。
ツッコミどころはいくらでもあるが、それが娯楽映画に必要な演出じゃないか。
元々シナリオなんてあってないようなもの。
人気キャラが勢ぞろいして恐竜がたくさん!でいいじゃないか。

memo

記憶をたどりながら気がついたところ、思ったことをメモ。

ティラノサウルス=スカベンジャー説
羽毛恐竜の羽根はあそこまで鳥類に近いものだったのか
今作では一貫して恒温動物として描かれていたが、運動時の体温上昇にどう対処しているのか
鳴き声でコミュニケーションをとりながら獲物はうさぎ
パラサウロロフス、走行時は二足
トロサウルスのシルエットでフリルに穴、生体では皮膚に塞がれていたのでは

過去作オマージュがもりだくさん
恒例の発煙筒
自動車+崖+マルコム
エリ―+角竜
シリーズ最初の犠牲者と最後の犠牲者はどちらもディロフォサウルスに襲われる
ひっくり返った自動車と肉食恐竜
ブルーが子供を呼ぶ鳴き声
翼竜に襲われるパラシュート、木に引っかかる
etc…

終末の象徴であるイナゴと、それに火をつけ恐竜たちにとっての「審判の日」を想起させる火の雨を降らせるプロメテウスことドジスン社長
発想がチープな小物感、自分でパークを立ち上げてきた人たちには到底敵わない感じが良い
GOの指示も曖昧

ディメトロドンは暗い洞窟で暮らせるのか
ケツァルコアトルスがあそこまで器用に飛べるのか
羽毛恐竜は泳ぐのに向いてなさそう、あの羽根だし

ワールドのタイトルにふさわしく世界中が舞台に
シエラネバダ山脈はややこしい
オーウェンのバイク ナンバープレートに「CAL」

肉食恐竜の縄張り争い、人間に忖度しておらず、結果も特にストーリーに関係しないのが◎

ラプトルとクレアの追いかけっこ、人間用の街を走りづらそうにしている
クレアより重く、慣性が効いちゃうラプトル

シャイニングのhello

ケイト 動機薄い

ブルー親子とオーウェン親子の関係

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