覚書:資本主義と格差社会と持続可能性について

「持続可能」とはすなわち停滞ないし後退であるといえる。
現在、世界でおよそ78億人が生活しており、人口はいまだ増加傾向にある。
人口が増加傾向にあるということは、今この瞬間だけを切り取れば、地球上の資源は78億人を維持するのに十分な量が確保されているということだ。
しかし、現在広く使われているエネルギー資源である化石燃料は天然の資源であり、その消費速度は生産速度を大きく上回ることは最早常識となっている。
現在以上の(あるいは既に飽和している)人口を維持するためには生産速度、消費速度のバランスの取れた、もしくは制御可能なエネルギー源への転換が必要になるだろう。
そのようなパラダイムシフトが起こらなければ、物質資源と人口のバランスがとれた状態での平衡状態、現在から見て、停滞か後退に落ち着くことは想像に難くない。
今この場に留まるためには全力で走り続けなければならない、というのは不思議の国のアリスの登場人物「赤の女王」に由来し、生物学用語ともなっているが、それはそのまま国内のみならず世界中の格差を許容することに通じるように思う。
資本主義社会は格差による競争と、社会が発展し続けることを前提とした仕組みだ。
近年、日本含め、欧米諸国でも階級格差の固定化が騒がれているが、そもそもそれ以前に、私たちは資本主義の名の下に「格下」の諸外国から搾取して豊かな生活を築いていることは忘れてはならない。
格差と競争を嫌い、その場に留まる社会は恐らく資本主義ほど大きな発展は望めず、現代と比して停滞、もしくは後退することになるだろう。
また、その場合は発展途上国でこそ人口増加が起きていることから近い将来、国同士のパワーバランスは崩れることとなるのではないか。
あらゆる人種があらゆる土地で入り混じり、制度や思想までも均質化された真のグローバル社会となるかもしれない。
そうでなく、飽くまで資本主義を貫き、持続可能な発展を目指すのであれば現代以上の格差を許容し、パラダイムシフトを待つことになるだろう。
少子化が着々と進む先進国の体力がそこまで持つか、チキンレースの様相だ。

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