IT化と雇用 今後の働き方について

イーロン・マスクによるTwitter社大量解雇のニュースが騒がれている。
これについて賛否両論あるようだが、現時点でTwitter自体がストップしていないことからも、少なくとも短期的には不要と見做された人員の整理だと考えれば、経済学的な視点から一企業の運営としてはある種当然の対応ともいえる。
GAFAとはじめとする巨大IT企業は世界を股にかけ、今やインフラとも呼べる規模になっており、コンピュータ技術を根底に効率化・システム化が進めば進むほど我々の生活は便利になってきた。
効率化が進む、ということはそのまま人間の手がかからなくなる、ということであり、すなわち雇用の減少は必然である。
また、それら技術や企業の周囲へ及ぼす影響を考えても、従来通りの、現代的な価値観で「特に強みを持たない」零細な企業(話に聞くところでは書店等で顕著)の需要を喰い尽くし、一強体制は増していくばかりである。
巨大企業とその技術によって直接的にも間接的にもヒューマンリソースの需要「雇用」が減少していくことになるが、これからの時代の「働き方」はどうなるのか、考察してみたい。
未来に想いを馳せるにあたり、まずは過去について考える。
農耕以前の石器時代に雇用はあったのだろうか。力の強いもの、餌場を知っているもの、生き残る上で重要なスキルを持つものを中心に群れを作ることはあっただろう。
その中で貢献に応じてなんらかの報酬が支払われていたとすればそれが石器時代の雇用だろう。
農耕の時代以降には既に現代の感覚に近い雇用が存在したことは想像に難くない。また、江戸時代には「宵越しの金は持たない」と評されるように、浮世のニーズに合わせて日銭を稼ぐ人たちも多かったそうな。
現代の我々が「雇用」と聞いて想像する形態の歴史は浅く、産業革命以後のものだろう。
大量消費、大量生産を下地にした世界的な技術発展と領土資源獲得競争には従順な国民による労働力が必要不可欠であった。
そうして「豊か」になった現代の私たちは目の前で少なくなっていくかようにどう考えればいいのか。
個人的にはなにも恐れることはないと思っている。
元々、人類には雇用は存在しなかったのだから。
現代風の、働かなくては生きていけないという価値観の方を捨て去るくらいが簡単である。
人は一銭も使わなくても山に入れば生きていける。長生きはできないかもしれないが。
安定した雇用という幻想を追いかけ続けるのではなく、現代より貧しくも大衆文化が発展し、日々を生きていた江戸型のライフスタイルに近づきつつあるのではないだろうか。

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