「他人からの評価」を気にして落ち込むのは何故か

ここ最近、私の周りには他人からの評価を気にしては一々落ち込み悩む人が多かった。
私自身はというと、他人からどう思われようが知ったこっちゃない性分なので相談を受けても今ひとつピンと来ない。

本稿では、私自身はなぜ他人からの評価をほとんど気にしないのかを考えてみたい。

思い返してみると、私が他人からの評価に無頓着なのは下記のような哲学に基づく。
①人は人、自分は自分。同じ人間は2人と存在しない。
→人は生まれてから死ぬまで、一瞬たりとて他人と平等ではなく、同一足り得ない。
②他人からの評価によって変わるのは私の「需要」であって「性能」ではない。


人は平等ではなく、同一でない。それこそが自由なんじゃないのか。
他人と比べることになんの意味があるのか。
わざわざ自分で不機嫌になる方に思考を進める人が多いのはなぜか。
みんな悩み好きか、ただ不機嫌になりたいのか。
悩み方ひとつとっても、いろんな人がいて面白い。


例えば他人からマイナス評価を受けたとして、私の能力自体に影響はない。
「原付って燃費いいけど、夏は暑いし冬は寒いし、自動車にも自転車にも邪険にされるんだよね」
これが他人からの評価であり、これらのマイナス要因を許容できない人は「では原付を購入するのはやめておこう」と思うかもしれない。
しかし、他人の評価の正負を問わず、原付の燃費自体は変わらない。
需要は他人の評価に左右され得るが、その能力は影響を受けない。
他人から正の評価を受けたなら素直に嬉しがっておけばよい。
負の評価には目を瞑るか、聞き入れて改善法を模索すればよい。
なんにせよ落ち込む必要はない。

個人の社会的需要が減価した際のデメリットについては別途考えたい。


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