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ひとりでいたい/いたくない

自分から追いかけるのはいつも「私のことなんか簡単に好きにならなそうな人」だった。うわべで愛想を振りまいたくらいじゃ微塵もなびかないような人で、適当にニコニコしている私をかわいがったりしない人のことだ。心を開くのに人より何倍も時間がかかるくせに、とにかく私は「内」を見てほしがった。中身のある人間だと驕っているわけではないけれど、ただ、外から見た自分の姿を好む人のことを信用できなかったのだ。惰性で愛想よくする私をどうかきちんと見破ってほしい。人間くささに気がついてほしい。飄々とした個性的な人にばかり惹かれてきた。努力で手に入れたのではなく、持って生まれたのであろう器量のよさ、独特な空気感。揺るがない自己を確立している人には、作りものに騙されず本質を見出すことに長けている人が多い気がして、そこへ期待することをやめられなかった。独創的な彼らの見ている世界には、彼ら自身しか存在しない。他人への関心も、あくまで「外の世界での出来事」という距離感を崩さない。余計なものから切り離された彼らはとても自由に思えた。しかし、彼らとうまくやれたことはない。私は自由でいたいから、同じように、なによりも自由を愛する人とばかり恋してきた。けれど、私と彼らとは決定的に違っている。私は自由であることに必死だけど、彼らは生まれつき自由で、そこに執着していない。薄々気付いてはいたけれど、本当のところは、私自身がそうなりたいと願っていたがために、彼らが特別魅力的に映っていたというだけのことだった。長い間、私は自分の欲する愛を履き違えていた。私が求める自由は、無関心に放っておかれることでも、誰にも干渉されずに好き放題やれることでもない。自由な私に関心を持ってほしい。不自由な私も肯定してほしい。こっちを見てほしい。とんでもなくわがままでさみしがりなのに、そういう面倒くささを全然持っていないような、ひとりきりでも平気みたいな顔をしてしまう。ひとりの時間はとても大切に思っているけど、ずっとひとりでいたいわけじゃない。変わりたい。変わりたくない。違う自分になることもずっとこのままでいることも怖い。はやく大丈夫になりたい。

『勝手にふるえてろ』の松岡茉優がとってもとっても良くて、新宿の映画館で観たのをたまに思い出す。どれだけねじくれたら生きやすくなるの、とアンモナイトに問いかけて突然歌い出すシーンが特に好きだ。ずっとさみしくて生きづらさを感じている人に観てほしい。好きな音楽や映画や言葉は深いところに沈み込んでいても引っ張り上げてくれる力があるから本当にすごい、救いだなあ、お守りだなあ。

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