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【小学生のわたし】ラジオ体操

私は小学生の頃、あまりにも素直だった。

6年生の時だったと思う。
その日の体育の授業はプールだった。

プールに入る前、私たちはラジオ体操をする。
ケガ防止のためにラジオ体操をする。

当時の担任の先生は「全力を尽くせ」「恥ずかしさを捨てろ」が口癖で、怒られるのが嫌いな私は、その先生のクラスだった1年間、恥ずかしさを捨て、全力を尽くした。

クラス全員が体育館いっぱいに、等間隔に整列する。
ラジオ体操第一の曲が流れる。

全力を尽くし、恥ずかしさを捨てることに、それこそ全力を尽くしていた私は、伸ばすところは伸ばし、曲げることは曲げてお手本のようなラジオ体操をした。

ラジオ体操第一が終わると、先生は言った。

「汗をかかなかった人は立ったままで、汗をかいた人は座ってください」

私は幼少期から暑い日はエアコン、寒い日もエアコンがかかった快適な空間で育ってしまったためか、汗腺があまり発達せず、汗をかきにくい体質だった。もちろん、ラジオ体操第一を一生懸命やったところで、汗をかくわけがない。

私は真面目なので、先生の指示通り立ったままでいた。
だって一生懸命やったし、悪いことはまったくしていないもの。
なんなら立ったままの人は、私を含め、これからみんなの前で褒められるんだと思っていた。だって一生懸命やったもん。座る理由が、どこにもない。

当時私は背が低かったので、背の順に並んだ列の先頭だった。
もちろん、一生懸命ラジオ体操をした私の姿を先生は見ているはずだった。
一番前だし一番よく見えているはずだ。

汗をかいた人が座り終わった後、先生はこう言った。

「ラジオ体操を一生懸命やったら汗をかくはずです。汗をかいていない人はもう一度やります」

・・・・・・!

一生懸命やったのにこの仕打ちはひどい!
列の一番前だった私は、クラスのどのぐらいの割合の人が座ったのか、あるいは立ったままなのかわからないまま、もう一度、一生懸命、ラジオ体操をした。

私は小学校6年生にしてやっと、言葉を文字通り受け取るのではなくその裏の意味を考えるこことの大切さを学んだ。

汗をかくことと一生懸命取り組むことがイコールでまだ結びつけることのできていなかった私は、先生の言葉を文字通りに受け取ってしまった。言葉通り解釈して、嘘をつかずに素直に立った。一生懸命取り組めば汗をかくという一般的な公式を「ああ、そうか。そういうことか。」と一生懸命取り組んでも汗をかかない私は、悔しいながらも自分を理解させ納得させようとした。

一番前だったから、どれぐらいの人が2回目のラジオ体操をしたかはわからない。
全力で取り組んだのに、嘘をついていないのに、とても悔しかった。

「一生懸命やっても汗をかかない人もいるんです!」とは言えなかった。
ちゃんとやれば汗をかくと思っている人に説明しても通じるわけがないと、子どもながらに解釈したからだ。

今となれば笑い話のひとつにすぎないけれど、当時は理解はできても納得できなくて、どうやったら汗をかけるんだろう、と考えていた。

汗だとわかりやすいけれど、1時間勉強して100点を取れる人もいればそうじゃない人もいて、運動が得意な子もいれば音楽が得意な子もいて、そういうことなのになあ、と思っていた。

将来、自分の子どもができたら、エアコンはほどほどにして、ちゃんと汗腺を発達させようと思う。いや、そのころには温暖化がもっとすすんでいて、ラジオ体操しなくても汗をかいているかも。いや、暑すぎてプールの授業なんてないかも。

プールといえば、腰洗い槽、臭くて死骸が浮いていてとても嫌いだったけど、もうないんですってね。


(📷タイはプーケット)

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