エゴかミッションか。
今日は「みん職フォーラム2020春」に参加しました。3/21、3/22の2日間で開催されるオンラインでの学びの場です。沢山の先生方が様々な話をしてくださいます。参加者はプログラムを見て、何時の誰の話を聞くかは自由に決めることができます。(フェスみたいな感じ?)
その中の「ミドル世代ダイアログ」という対談会で、エゴとミッションについての話がありました。対談されていたのは、坂本良晶さん、正頭秀和さん、木村彰宏さん、かわひ〜さんです。
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学校で何かに取り組んでいる時、ふと「これは本当に子ども達の為にやっているのだろうか?」と考えてしまうことがあります。
「子どもの為」という聞こえの良い理由を隠れ蓑にした「自分の為」の行動なのではないか。承認欲求を満たす為だけの行動なのではないか。
そう考え始めると、一気に自分が薄っぺらい存在に思えてきて、やる気が無くなってくる。そんな事が時々あります。
自分はエゴにドライブされているのか。ミッションにドライブされているのか。悩んでいるほどではないですが、最近自分の中で悶々と考えていたことでした。
そんな中でのエゴとミッションについての話。自分にはドンピシャの内容でした。
対談の中で印象に残っている言葉があります。正頭先生が仰った「エゴかミッションかは、その行動によって周りの人の笑顔が生まれるかによるのかもしれない。」という言葉です。
胸にストンと落ちました。
例えばこのnoteも、ただ誰かから認めてもらいたいというだけのエゴの塊なのかもしれない。でも、もしこのnoteを書く事で自分の内省に繋がり、子ども達との関わりにプラスの影響を与えるならミッションにドライブされた行動とも捉えられる。
完全なエゴであっても、それが周りの人の笑顔を副作用的に生むのであれば、エゴ=悪とも言い切れない。
きっと人は完全にはエゴを手放す事はできないし、エゴかミッションかは二項対立ではなく、紙一重なイメージなんだと思います。
「エゴかミッションか」なんて、どうでも良く感じるかもしれませんが、教育現場には「子どもの為に頑張りましょう!」と言いながら、全く子どもの為にならないエゴが沢山ある気がしています。偉そうなことを言いながら、自分もエゴにドライブされることがあるのですけどもね。
大切なのは「今の自分の行動はエゴにドライブされているのか、ミッションにドライブされているのか」をメタ認知し続け、適宜修正していくことなのかなと感じました。
色々な事を考えさせてくれる「みん職フォーラム」明日も楽しみです。
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