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花宮さんとねこ


 花宮さんはねこが大好きで今は風太という雑種ねこを飼っている。白い毛に黒の大きめのぶちが幾つかあって、頭の天辺から左耳と左の目にかけて黒い毛で覆われている。公園に捨てられた子猫のもらい手を探していた老夫婦から引き取って以来の大切な家族だ。


 チーン...... 
 仏壇のりんを鳴らして花宮さんが手を合わせる。今日はラベンダーの香りの線香を選んだ。毎月十日に、数種類ある花の香りの線香から一本選んで火を点ける。煙が真っ直ぐ立ちのぼり、風が広い野を渡っていくような香りが小鼻をくすぐる。風太が花宮さんの右のくるぶしに黒い耳をこすり付けてくる。同時に左のくるぶしにも、くいくいと押しつけられる感触があった。

 手を合わせ目を閉じている花宮さんの頬が緩んで口の両端がわずかに持ち上がる。

 もう随分前、今も思い出す、夏なのにどうしてか肌寒くて薄手の長袖を羽織っていたそんな日だった。毎月必ずやってくる十日は、十四年も一緒に過ごしたあの子とお別れした月命日なのだ。
 生成りの毛並みが甘いクリームのようになめらかで、すらりとしたシルエットのシャム猫だった。


 数多のシャム猫の例に漏れず、その子も掃き出し窓のカーテンにバッと飛びつくと、だだだだだっ、と上っていくお遊びを好んでやっていた。ジャンプ一発、身長 162・5センチの花宮さんの肩に飛び乗るくらいはお手の物だった。むしろ花宮さんより背の高い簞笥にだって飛びあがり、天板を傷付けるのだって簡単にやってのけた。尤も稀に失敗もする。高い所から落っこちるのだから打ちつけた背やら腹やら足やらがそれなりに痛いだろうに、決まって小さく辺りを見廻して、此方から はバツが悪そうにも見えるのだが、何事も無かったように振る舞う仕草が可笑しみを誘った。
 仕事から帰ってきたら必ず玄関で待っていてくれた。ついそこのコンビニへ買い物に行くだけでも、玄関先で待っていた。迎えに来たと言うよりは、ずっとそこで 待ち続けていたかのように、焦げ茶の耳先ごと顔をくい~っと上にあげ、まんまるの青い目をきゅうんと細めて、甘えた声でみゃぁぁうと口を大きく開けて訴えた。 

 さみしがり屋のねこだった。

 とっても甘えん坊だった。

 ちょっぴりビビりなところさえ、なによりかにより愛おしかった。

 夏休みの晴れ渡る空を写したように、青い、青い目をしていた。


 お別れしてからの月命日には線香を上げているけれど、仕事が立て込んで夜遅い帰宅が続いたり、花宮さん自身のお楽しみごとで忙しい時だってあるから、当日に忘れている日もあったりする。
 そんな日は必ず某かの〝お知らせ〟がやって来る。例えば風太が花宮さんの膝でゴロゴロ喉を鳴らしているのに、別のしっぽがそおっとふくらはぎを撫でていったり、見ていたテレビ番組がコマーシャルに切り替わった途端に、シャム猫の顔が 大写しになって思い出したり。今日みたいに、たとえ忘れていない日であっても、そっと足首に身体を沿わせて歩いて行ってくれたりもする。 


 月命日はあの子がちょっとだけ自己主張する日。 

 さみしがりだったから。 

 甘えたさんだったから。


 お別れする前の日、あの子はもうご飯を食べなかった。少しでも食べて欲しいと願っても、歯を食いしばり、頑として受け付けなかった。
 夜、フラフラの身体を引き摺りながらも布団に入ってきた。粗相をしてしまったけれど、それでも来てくれたのが嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。
 

 あの一瞬、空に帰ろうとしたあの一瞬。堪え切れずに、名前を呼んだ。そのまま逝かせてあげてたら、安らかだったに違いない。呼んでしまったばっかりに、引き戻ってしまったあの子には、かえって苦しい思いをさせた。


 あまりにも長いこと一緒に過ごしてきたので、焼き場からあの子の小さなお骨を持ち帰ってしまった。舶来製で金を施した持ち手の蓋が洒落ている、真っ白な陶器の小物入れに、生成りのハンカチーフをきれいに敷いた中に入れ、今も仏壇に置いている。
 いつか風太ともお別れするのだろう、その時にはあの子のお骨も一緒に埋葬するつもりだ。あの子はさみしがり屋だったし、一緒なら、我が道を行くタイプの風太にしたって心強いに違いない。

 いつの間にやら花宮さんもいい年になってしまった。だから風太が逝ってしまったなら、その後はねこを飼うつもりはない。最後まで看取ってやるのは難しいかもしれないから。代わりに誰かのペットの世話のお手伝いなんかが出来たらな、そういうことも必要になるかもしれない、なんて思って、最近花宮さんはペットシッターの勉強を始めた。
 今年は大きな流行病があって、これから先の世の中が少々、今まで通りとはいかない様子だ。それも一つの後押しにはなった。商売にするつもりはない。



*2020.8.18pixiv初出分です。元々は縦書き用に書いています…       大好きなIさんへ捧げます*


☆☆☆☆見出し画像はみんなのフォトギャラリーより、にきもとと様の作品『秋支度』を拝借しております。ありがとうございます😊☆☆☆☆☆


***黒猫セシボンと過ごした19日間はこちらです↓↓↓  🐈‍⬛🐈‍⬛🐈‍⬛***




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