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書評

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記事一覧

『国道3号線 抵抗の民衆史』森 元斎

 九州は日本の急速な近代化をまともに被った地であるがゆえに、民衆による抵抗の蓄積も豊饒で…

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『黒い皮膚・白い仮面』フランツ・ファノン

 白人から疎外されるとき、黒人は内面において自己を疎外する。フランス領マルチニック島に生…

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『レンブラントの帽子』バーナード・マラマッド

 表題作は短編の名手の代表作として定評があるばかりでなく、巻末エッセイを綴る荒川洋治をし…

『女性・ネイティヴ・他者 ポストコロニアリズムとフェミニズム』トリン・T・ミンハ

 表題のひとつひとつの概念について、このように詩的な文体で書かれた書を読んだことがない。…

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『コンラッド短篇集』ジョウゼフ・コンラッド

 エドワード・サイードによって「故国喪失者(エグザイル)についてこれまで書かれた、おそら…

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『故国喪失についての省察 2』より〈27 歴史、文学、地理〉エドワード・W・サイード

 歴史と文学は人文学として親和性があるがゆえに、時にたやすく同じ枠にくくられることがある…

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『故国喪失についての省察 1』より〈12 故国喪失についての省察〉エドワード・W・サイード

 「故国喪失(エグザイル)は、それについて考えると奇妙な魅力にとらわれるが、経験すると最悪である」という感傷的な一文から始まるこの表題作は、文学作品などで英雄的にあるいはロマンティックに描かれることが多いエグザイルだが、それを経験した者にとっては癒しがたい亀裂と根元的な悲しみにあふれるという矛盾が指摘される。コンラッド、アドルノ、あるいはマフムド・ダルウィッシュの詩などを論じながら、サイードはエグザイルのネガティブな一面を描いたものとして文学を擁護し、同時にそれは説得力のある

『故国喪失についての省察 2』より〈23 知の政治学〉エドワード・W・サイード

 サイードは「世俗世界性」(worldliness)という概念をよく用いるが、いまひとつ分かったよ…

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『故国喪失についての省察 1』より〈17 被植民者を表象する━━人類学の対話者たち〉…

 《そもそも人類学とは、支配者たるヨーロッパの観察者たちと、非ヨーロッパ系原住民━━いわ…

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『ポスト・オリエンタリズム』〈第1章 亡命知識人について〉ハミッド・ダバシ

 エドワード・W・サイード著『知識人とは何か』の序文として書かれたハミッド・ダバシ著『ポ…

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『決定版 パリ五月革命 私論 転換点としての1968年』西川長夫

 1968年のパリ五月革命の現場に「偽学生」として居合わせた著者による手記。50年近く前の記憶…

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『パレスチナ/イスラエル論』早尾貴紀

 本書のあとがきで著者は、「パレスチナ/イスラエル問題をいかにして世界史的文脈に接続させ…

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『精神分析と横断性』〈看護人─医師の関係をめぐって〉フェリックス・ガタリ

 ひたすら「横断性」という概念についての関心から手に入れた本書は、フランスの精神分析学者…

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『逃亡くそたわけ』絲山秋子

 精神病院を抜け出した男女による車の逃避行。ルートは九州の北は福岡から南は鹿児島まで。なんとも興味をそそられる設定である。  一人称の「あたし」と成り行きで行動を共にする「なごやん」。絲山秋子が書く男たちは、ジェンダー規範による男性性にそぐわないイタさをみな持ち合わせているが、「なごやん」も同類といえる。もちろん、それは「あたし」から見るとそうなのだが。名古屋出身という出自をひたすら隠し、大学生活4年間を過ごしただけの東京に強い幻想を抱いている。「あたし」の博多弁はそのイタ