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『逃亡くそたわけ』絲山秋子

 精神病院を抜け出した男女による車の逃避行。ルートは九州の北は福岡から南は鹿児島まで。なんとも興味をそそられる設定である。


 一人称の「あたし」と成り行きで行動を共にする「なごやん」。絲山秋子が書く男たちは、ジェンダー規範による男性性にそぐわないイタさをみな持ち合わせているが、「なごやん」も同類といえる。もちろん、それは「あたし」から見るとそうなのだが。名古屋出身という出自をひたすら隠し、大学生活4年間を過ごしただけの東京に強い幻想を抱いている。「あたし」の博多弁はそのイタさに対し無遠慮にツッコミを入れるのだが、その野卑さは自信に満ちているかといえば必ずしもそうではなく、言葉を発したとたんに、どことなく含羞が感じられる。


 そのヴァナキュラーな言語を監視しているのが、「あたし」から執拗に離れない「亜麻布二十エレは上衣一着に値する」という幻聴である。マルクス『資本論』からの価値形態論の数式は、何と何とが等値であるかに厳密である。言い方を変えれば、差異を生み出すことに終わりがない。


 差異は二人が移動する風景にも点描される。どこにでもある郊外のそれであったり、場末の「街」であったり、厳しい自然であったり、と。二人は其処此処に値をつけようとするが、値をつけられているのは、実は「居場所」なく彷徨う二人の方であろう。


 始めから逃亡に終わり(end=目的)があることは、二人にも読者にも分かっていた。それは逃亡の短すぎる期間が、資本制からの逃走(からの困難)という両義的な動因であれば尚更。二人とも容易に言葉にはできなかった。だからこそ、最後の悪たれが切ない。

『逃亡くそたわけ』
著者:絲山秋子
発行:講談社文庫
発行年月:2007年8月10日

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