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『黒い皮膚・白い仮面』フランツ・ファノン

 白人から疎外されるとき、黒人は内面において自己を疎外する。フランス領マルチニック島に生まれた著者の(自己)批判は徹底している。植民地的構造によって強いられたその暴力について、6章〈ニグロと精神病理学〉では精神科医として分析を加える。


 西洋の白人文化から生まれた精神分析学は病的原因を家庭環境に求めるが、黒人の子供は正常な家庭内で成長しても、その後白人世界に接触すれば異常になる。著者の出自であるアンティル諸島では、黒人の子供はフランス人として、黒人差別に染まった白人文化のコンテンツを吸収しそれらを内面化する。「野蛮人に真理をもたらす白人」に自己を同一視するという倒錯として。


 著者はフロイトを一定評価しつつも、エディプス・コンプレックスがニグロに当てはまらないことを冷静に述べる。あるいはユングの「集団的無意識」(集合的無意識)は遺伝的脳髄の中に位置づけられるが、黒人からすれば、それは単に社会の偏見、神話の総体にすぎないと批判する点は明快である。

アンティル人は自分をニグロとして認識した、だが倫理的横すべり(glissement ethnique)によって、ひとは悪人であり、意気地なしであり、陰険であり、本能的である限りにおいてニグロなのであることに気づいた(集団的無意識)からである。
(207ページ)

 自分はニグロを憎んでいるが自分がニグロであると認識している。この神経症的な葛藤を免れるために、著者は二つの解決があるという。「私の皮膚に注意しないよう他人に要求するか、あるいは逆にひとが私の皮膚に気付くことを欲するか、のいずれかだ」(213ページ)。著者はこの「共に受け入れ難い双極を斥け、特殊的人間を通じて普遍を目指すこと」と結論づける。しかし、その後エメ・セゼールの詩を長く引用しながらニグロの情感に沈潜していく後半部から、(非黒人の)読者は普遍を共有するカタルシスなど容易に得ることができない。その深い漆黒の海に潜ることができるのか、と著者から迫られているように感じる。

『黒い皮膚・白い仮面』
著者:フランツ・ファノン
訳者:海老坂武・加藤晴久
発行:みすず書房
発行年月:新装版 2020年8月6日

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