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『故国喪失についての省察 2』より〈23 知の政治学〉エドワード・W・サイード

 サイードは「世俗世界性」(worldliness)という概念をよく用いるが、いまひとつ分かったようで分からなかった。この章を読み、よく理解できた。それは、知について語る次の箇所で明快である。

知的作業という人間のいとなみは、つねに世界のなかに位置づけられ、世界について語るものである。つまり世俗的(ワールドリー)なのである。そのため、そうした知的作業の対象が、同じような精神を共有した人たちだけにしか、もしくわすでに同じ考えをしている人たちだけにしか把握できないような、厳密に特殊化された難解きわまりないものにはなりえないはずだ。知的議論を組み立てるさいに、特定の想定された支持者なり受容者なりがはたす役割は重要で、これを否定するのは愚かなことだろうが、また一方で、多くの議論は、特定の受容者を念頭に置き、また特定の状況だけでなく多種多様な状況を念頭に置いて構成されていると見るべきである(85ページ)。

 言葉を換えれば「普遍的」という意味にとれる。しかし、続くアイデンティティ政治(ポリティクス)についての批判を読めば、それが歴史的・政治的に構築された帝国主義の認識論に対する政治的・文化的な批判であることがわかる。すなわち、近代西洋の大帝国の膨張により、フランス人やイギリス人のアイデンティティと植民地化された人々のアイデンティティに敵対的な相互作用が生じ、同質的な人種をメンバーとする民族(ピープル)と、排他的な意味でいう国民(ネイション)との分離が生まれる、という。そしてそこからナショナリズムが発生する。


 ナショナリズムが帝国主義に対する文化的抵抗として、その多くが初期段階で有益かつ不可欠であったことをサイードは強調する。しかしながら、それらの運動が最終的に新たな独立国家や分離国家を生み、アイデンティティ政治が変わらぬ状況について、歯止めのかからないナショナリズムについて懐疑的であったフランツ・ファノンを参照しつつ否定的に述べる。


 後半は文学論に移る。ガッサーン・カナファーニーの小説について、それらがパレスチナ人の特殊歴史的・文化的状況と結びついているのは確かだが、同時に、他の民族の文学や文学表現形式とも結びついていると評価した上で述べる次の引用は、とてもわかりやすい。

何よりもまず作品と文学として精査すること。それらを、様式をもつものとして、楽しませかつ啓発するものとして調べることをとおしてはじめて、他の作品と肩を並べ、言うなれば居場所を確保できる。…それゆえ、〈世俗世界性(ワールドリネス)〉とはつまり、そうした作品ならびにそれがグローバルな文脈のなかで取りうる場所についての解釈を回復することを意味する(94ページ)。

『故国喪失についての省察 2』より
〈23 知の政治学〉
著者:エドワード・W・サイード
発行:みすず書房
発行年月:2006年4月6日

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