見出し画像

【えーる】自分の「しあわせのはなし」

以前の記事で、鹿野のこれからを考えたときに「しあわせになれるまちってなんだろう」という問いについて書きました。

しあわせになれるまち……そこに住む人たちの幸せが実現するまち、とでも言うべきでしょうか。

「幸せ」をインターネットで調べてみると、「運が良いこと」「その人にとって望ましいこと」「めぐりあわせ」などという言葉で定義されています。

人それぞれでとらえ方が違ってくるので、頭で考えて「これだ」と絞り切ることは難しいもの。
ですから、これからたくさんの人に聞いて、さまざまな幸せの形を知りたいと考えています。

手始めに、鹿野に関わる1人である自分自身の、幸せについて考えていたいと思います。

安らぎと癒しの中で暮らせたら

自分自身が幸せを感じるのはどんなことか……そう思ったとき、自分の中の「幸せ」のイメージは、やはりこれに帰結するな、と思えるものがあります。

福岡から心身ともにボロボロになって帰郷したときに感じたもの。
心も体も安らいで、穏やかに癒される、そんな鹿野の魅力が、自分の「幸せ」というもののイメージを大きく定義してくれているように思います。

癒しのまち。

都会にはない、ゆったりした、穏やかな時間の流れ。
人工物よりもはるかに多い自然が、四季折々に見せるさまざまな顔。
人間以外の、数多くの生命が集まる癒しの場所。

今まで「何もない」「つまらない」と思っていた自分の故郷への気持ちを一変させるほどの強烈な気付きでした。
穏やかに暮らし、安らかな気持ちで生きていける、こんな空間の中で暮らしていきたい……それが、自分にとっての一番の幸せと感じました。

安らげる、帰ってきたくなるような場所をつくりたい。
それが、自分の思い描く「幸せ」なまちのありようだと感じています。

「誰か」と気持ちを分かち合いたい

しかし、その安らぎも、1人で得ることができるものなのでしょうか。
自分の場合は、それはいつも「誰か」と一緒に浮かんでくるイメージでした。

例えば家族であったり、友人であったり、仕事仲間であったり、一緒にまちづくりをがんばる仲間であったり。

あれほど人嫌いで、1人の方が気楽で面倒くさくなくていいや、と思っていたはずなのに、いま、自分の思う幸せは、1人ではなかなか成立しなくなってきているように思います。

嫁と一緒に楽しむラーメンは絶品です。

例えば、おいしいものを食べたときであっても、1人でもくもくと食べる味よりも、誰かと「おいしいね」と言いながら食べる方が何倍もおいしく感じられます。

友人とワイワイと騒ぎながらゲームするのも楽しいですし、困難な仕事に仕事仲間一丸になって取り組むのも好きです。

そして、まちづくりのためにがんばっている皆さんの姿を見て、取材し、記事を書いて発行するという日々の活動も、何よりも元気がわいてくるものだと実感しています。

かつて応援団時代に、懸命にがんばっている選手たちにこれでもかと声を張り上げ、エールを切ったことを覚えています。

誰かと一緒に何かをする……食べる、遊ぶ、働く、取材する、応援する……それは、決していいことばかりではなく、うざったかったり嫌だったりすることもあります。

それでも、こうした「誰か」と一緒にいることが、もう1つ自分にとっての「幸せ」なのだと、日々かみしめながら生きています。

みんなで、安らぎのまちをつくりたい

しあわせなまちとは何ですか? そんな問いは、少し漠然としすぎていて、とっつきにくさを感じることもあるかと思います。

でも、意外と「幸せ」というものは、大仰に考えなくても、自分のすぐそばで見つけられるものなのかもしれません。

皆で仲良く、できればポジティブな気持ちを多めに分け合いながら、ほっと安らげる場所をつくっていきたい。
それが自分にとっての「しあわせになれるまち」だと思いました。

ぜひ、皆さんの「しあわせ」が何なのか、教えてくれると嬉しいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?