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【えーる】金峰を歩く

10月10日、晴れ。絶好のウォーキング日和に、周南市鹿野の金峰地区を歩いた。約6キロメートルの道のりは、鹿野のイベントなら無条件に参加するような勢いでスケジューリングする自分でも、運動不足という足かせがあって、参加を決意するまでには2週間近い期間を必要とした。

しかし、結論から言って、参加してなんらの後悔もなかった。
参加しなければ、グジグジとした気持ちだけが残ってしまったであろうから、さわやかな1日を過ごすことができたことを考えれば、鈍った体にしばらく残った倦怠感も、まぁ笑って受け入れられる範疇のものだった。

紫の花

午前10時に出発した約50人の参加者は、唐突に坂道を上り始めることになる。冒頭の写真を見てもわかる通り、周囲には人工物など1つも存在しない山道だ。

時折、見上げればいったいビルの何階に相当するのかというほどに雄々しく育った木々の隙間から、電信柱やアスファルトの舗装路が、はるか眼下に見えることがあるぐらいで、最初の道のりはひたすらに山だった。

背中は汗でぐっしょりと濡れ、紙製マスクは休憩の時に新しいものに取り換えなければならないほどに濡れていた。それほど汗をかいている状態だから想像に難くないだろうが、息もひどく荒れてハァハァと苦しい。

思わず視線が下がると見えたのは、足元の小さな紫色の花だった。

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なんていう花だろう、高原に咲く植物でしょうか、など、一緒に歩く人と言葉を交わす。花自身も、緑の葉が茂る山の中にあって目を引くものだったが、何より同行する参加者との会話の種としてうってつけだった。

けっきょく名前もわからずじまいの花だったが、おかげで会話にも花が咲いてくれたのだった。

心遣いの道

そういえば、と土がむき出しの道を踏みしめながら会話が続いた。この道は、どうしてこんなに整備されているのだろう、と。

むろん、アスファルトの道とは比べ物にならない、単なる土の道だ。だが、周囲にうっそうと茂る草木を見れば十分に想像のつく話だが、この道は「草がない」のだ。

すなわち、整備された道なのである。本来なら、草をかき分けながら進んでも不思議ではない道だったはずなのに。

後々の休憩時間に、主催の方に聞いてみたところ、

「刈っておいたよ」

さらりと、何でもないことのように答えが返ってきた。手入れが必要だったのは、6キロメートルある道のりの、ほんの一部だけだという話であったが、なんとそれは1人の手で整備されたのだという。もちろん、このイベントにやって来る人たちのために、だ。

偶然にも同級生のお父様であることも知ったので推測がつくのだが、もうそれなりに年齢を重ねた方である。それほど楽な作業でもないのに、ただただ、脱帽だった。

イベントのために道を安全に整備するのだ、と言えば確かにその通りであるかもしれないが、険しい山道を、1人で整える、ということは大変なことである。このイベントは、参加費もイベント保険の代金程度のきわめて少額であり、利益を生むような目的のものでもない。

それでも参加者のためを思っての整備作業である。感謝、の一言に尽きる。

青空、そして水の涼

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そんな山道を進んでいると、ぱっと視界の開ける場所までたどり着いた。

荒い息を吐きながら、それでも思わず「おお」と声が出た。秋晴れの空はどこまでも澄んでいて、紅葉も始まらない山々は、まだまだ深い緑色をしていた。

遮るものがなくなったためか、こればかりは10月を感じさせる涼しい風が吹き抜けていく。目の前に広がる絶景と合わせて、汗の噴き出る体に心地よいさわやかさを感じることができた。

涼しさは、風だけではない。再び木々に囲まれた道を歩いていると、石の間から水の音が聞こえてくる。山水の流れる音は、耳から涼を届けてくれている。

体を動かし続けて汗だくになったからといって、暑さにあえいだという記憶は、実はない。どちらかと言えば、涼しい中を歩くことができた、そんな道のりだった。

アサギマダラ

長らくの山道を歩き抜き、ついに昼食をとる場所へとたどり着いた。

この場所は、今回のウォーキングイベントの目玉でもあるアサギマダラが舞う場所でもあり、また、4月には桜の咲き乱れる場所でもある。

アサギマダラについては、以前投稿したこの記事を参照してほしい。

鹿野の町なかにもフジバカマは咲き、アサギマダラの姿を見ることはできるのだが、この場所はその量が段違いだ。一面のフジバカマ、そこに舞うアサギマダラの数は、今までに見たこともないような数だった。

10月にはまた足を運びたい。素直にそう思える、そんな場所だった。

時には車を降りよう

ウォーキングイベントを通して再認識したのは、歩くことの大切さである。

と言っても、それは健康的な意味ではない。車を降り、ゆっくりと徒歩で巡ることで、見えてくるものがあるから、である。

自動車のハンドルを握っただけでは気付かなかった。踏みしめる坂道の感触、汗だくの頬を撫でる風の涼しさ、青空を目にとらえた時の爽快感……それらは、実際に汗を流して歩くことで知ることができたものだ。

時にはゆっくりと歩くのもいいものだ。
季節は秋。車を降りるには、うってつけの季節である。

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