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国家公務員での思い出。戸惑った” 平仄”という縛り...。


自由に文章表現が出来ない不自由さ。



私は長年広報の業務を経験し、数多くの”プレスリリース””ニュースレター”などの文章を作成し報道関係者に届けた。

ナイキジャパンの広報だった時は、『Number(文藝春秋)』『FENガイド(アルク)』『ダンクシュート(日本スポーツ企画出版)』等に、ほぼレギュラーのかたちでNBAやUSのスポーツ事情の署名記事を寄稿していた。
特に1993年の5月20日発売の『Number』では、”NBAファイナル特集”(下記写真)で、マイケル・ジョーダン率いるシカゴ・ブルズとチャールズ・バークレー率いるフェニックス・サンズのNBAファイナルの予想記事という、その号の目玉記事を執筆したのは今も私の誇りになっている。

1993年の5月20日発売の『Number』。
メイン記事の執筆を任された記念すべき号。


そういった執筆記事で、記事の書き直しや修正を依頼されたことは一度もなく、私が当時使用していた”キャノワード”のワープロで打ち出したままの文章をいずれの出版社も掲載してくれていた。
『ダンクシュート』の当時の編集長からは、「リズム感の良い文章で一気に読めちゃいます」と好評だったし、通勤の時に吉祥寺駅のホームで私の書いた『ダンクシュート』の記事を一心不乱に読んでいる高校生を見かけたときは、思わず声を掛けそうになった時もあった。

そんな風に長年自由に文章を書くことを許されてきた自分が、還暦を迎える歳になり、国家公務員となったことで、一つ一つの文章、語句、送り仮名の全てにおいて、前例を踏襲する呪縛にはまり込んでしまったのだ・・・。
”公文書”というほぼ永久に残される文書を記述するうえでは最重要なことではあるが、当時の私にはそれが嫌で仕方がなかった

”平仄”、そして『最新公用文 用字用語例集』という縛り



私の職名は、政策企画専門職というもので、契約更新もある1年契約の仕事で、白書の執筆や、調査の企画をし競争入札をするといった仕事だった。
以前勤務していた会社では、秘密保持やセキュリティのため、オフィス内でスマホで写真を撮ることも禁止されていたのだが、そういう規則もないし、前の会社では不可だったデスクで昼食も取ることもOKだし、最初のうちは、国家公務員って結構ゆるいところがあるんだとも思っていた。

ところが、特に白書の執筆においては、何人もの関係者が執筆するため、コラム毎に表記が異なる不統一を避けるため、”平仄(ひょうそく)”が絶対的なルールとなるのだ。

私が生まれてからほぼ60年、一度も耳にしたことのなかった”平仄(ひょうそく)”という言葉。ウェブ辞書の説明は以下の通りなのです。

”漢詩の発声で、平声と仄声を意味する言葉。現在では、つじつまや条理を意味する。つじつまを合わせるという意味で「平仄を合わせる」という表現がある。”

これは、例えば、「○○に関しては、20歳代で28.9%、30歳代で18.2%」という文章でいうと、20という数字を全角にするか半角にするか28.9%とするか約30%とするか、約3割とするかなどなど。
この平仄は、その年の白書のみならず、前年、そしてその前はどうだったかということも確認する。また、例えば、Instagramという言葉を英語で表記するか片仮名にするかなど、省庁内のホームページで検索して確認したり、場合によっては内閣府の表記なども確認するのだ。

そして、役所で文章を書くためのバイブル的なものがあり、それがぎょうせい公用文研究会というところが出している『最新公用文 用字用語例集』だ。
ある言葉を書く際に、どの漢字を使うか、送り仮名はとか、すべてはこの本が基準になるのだ。
各言葉の正しい表記のみならず、過去の内閣告示(田中角栄の名などもある)なども掲載されており、私は仕事を始めてすぐにこの本をAmazonで購入した。

これが公文書記載のバイブル的存在


さらに追い打ちの文書チェック


文章の平仄チェックは課内にとどまらない。
必ず文書の統一性やつじつまなどをチェックする部署に一度、もしくは二度以上提出し、そのチェックを受けなければならない

よって、白書で自分が担当したのはほんの短い部分ではあったが、多少の推察を含めた分析や挿入しようとした図表も、客観性に欠けるという理由でそれらは課内で全てバッサリ切られ、その後も、文書チェックのプロセスで平仄を整えるうちに、もう自分が書いた文章という意識はなくなり、何の愛着も執着もなくなってしまったのだった。


私の仕事を喜んでくれた亡父


ただ、実際に出版された白書をAmazonで購入し、実家の父に、「ここの記事を書き、そしてここに執筆者として名前が掲載されている」と送ったら、たいそう喜んでくれた
先月、2月に父が急逝し、私は喪主を務めたのだが、遺影や父が希望した戒名のメモを捜しに通夜の前に実家に行き、父の書類などを探していたら、父は私が送った白書に細かいメモをつけていて「あぁ、本当に喜んでくれていたんだなぁ」と思い、「これが最後の親孝行だったのかもしれない」と思ったのだった。

公文書とは


本当に短い公務員生活であったが、あの文書執筆にかけるエネルギーは、今考えると永久に残る公文書への責任だったのかもしれない。
1年から2年で部署異動してしまうため、当時の業務にどれだけ真剣なのだろうと疑ったような課長も、白書の文章チェックに関してだけはすさまじい粘り腰だったのも、そう考えると理解が出来る。

だからこそ、公文書改ざんだとか、最近のどこかの大臣の捏造発言を見るにつけ、私は文書を作成した公務員の方々の失望や政治家への恨み節を感じてしまうのだ。
今思うと、長時間労働にも純粋に真摯に取り組んでいた若き国家公務員の姿には日々とても感銘していた。でもそんな彼らが「あーあ、転職しようかなぁ」なんてため息を漏らすのを聞くたびに、この国の将来を危うく感じたものだった。

通勤に使った国会議事堂前駅の道。
秋の紅葉🍁は見事だった。


見方の変わった国会中継


退官後、あれだけつまらないと思っていた国会中継の見方も変わった
というのも、国会期間中、国会議員の提出した質問が自分の部署に関係があると、その部署で回答を用意し、実際に質問がされることになると「アタリ」、質問がキャンセルになると「ハズレ」というように連絡が来る現場を見ていたので、これまではつまらない質疑応答のやり取りにしか見えなかったものが、背景まで見えると面白いものになってきたのだ。

毎日、国会対策で遅くまで残業している国家公務員の方々の健康と幸せを願ってやまない。

ライトアップされる議事堂

今回も最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。




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