見出し画像

友達作りに翻弄する新生活と、アパートのベランダから見える景色と、移りゆく悩みの種

さて、またも久しぶりの日記になってしまった。この春に大学に入学したので、大学の入学式こそ無くなったものの、履修登録、ガイダンスなど、なんだかんだ忙しく過ごしていた。

初日はとにかく緊張したり、相手とのコミュニケーション能力の差に、落ち込んだりしていた。つい数ヶ月前までは家族との不和で悩んだり、進路の事を考えて憂鬱になったりしていたのだ。それが、入学して一人暮らしを始めてからは、友達ができるか、話しかけれるか、などということで深刻に悩んでいる。

そうやって自分の悩みが180度変わったことが我ながらに滑稽で、アパートに帰ってから少し笑ってしまった。部屋が7階にあるので、寝れなくなってベランダに出ると、転々と光の群れが見えた。辺り一面が学生アパートや居酒屋なので、何万ドルの夜景、とは言えないのだが、別の美しさがあった。

一眼レフで撮影したような写真が撮れるアプリで、月とマンションを撮る。安上がりだが、綺麗と思えるだけ良い。インスタはまるで使いこなせないが、虹が見えたり、夕陽が綺麗な時はまた、ストーリーに写真を載せよう、と思った。それをみんなが見てくれるなら、1人じゃないような気がする。

緊張したり自己嫌悪したりしていたが、入学式や新歓が無くなって不安なのはお互い様なので、大学で同級生に声をかけ続けていると、面白いほど友達が増えた。

だが、如何せんマスク越しに話すので、まるで顔と名前が一致しない。記憶にまるで確信が持てない。そういえば健康診断もあったが、徹底したウイルス対策がされていて(おでこにレーザーを当てて熱を測ったり、めちゃくちゃこまめに手をアルコール消毒したりした)、SF映画のようだった。

晴れて受験勉強を終え、大学へ進学したわけだが、また実家に帰って、学校に通えない日々が続く。今はバイト先もなかなか見つけにくい。勿論、バイトどころではなく、多くの職業は経営自体が追い込まれているのだから、仕方がない。


大体、労働で生活のためのお金を得なければいけない一方で、半ば強制的に経営を自粛させられる職業があるというのは、よくよく考えればひどい矛盾である。その上、イベントのキャンセルにしても、飲食店の休業にしても、本来ならかからなかった筈のお金がかかる。そのお金を出すのは、その特定の職業に付いている人だ。ウイルス自身が、すんませんねお手数かけて、と払ってくれたりはしない。やるせないものである。

クラファンや何かしらのキャンペーンに参加してみようかな、と思ったりしたが、いつもお世話になっている飲食店や、いつも行っているライブハウス、というものがはっきりと思いつかない。少し前まで、自分のお金であまり消費活動をすることのない、バイトもしたことのない高校生だったのだ。せっかく大学生になったのだし、事態が終息してからはたくさん自分の稼いだお金で経済を回したい。ライブハウス、はやく行きてぇ。

重たい防音の扉や、そこから漏れる低音、独特な素材感のあるフロア、ストローを刺したジンジャーエール、バスドラムに描かれたバンドの名前、そんなものを思いながら、来たるべく自由の日を待ちわびている。オンラインも、インドアな生活も、確かに良さはあるかもしれないけど、やっぱり私は人が好きだし、誰かの体温を感じていたい。

なんか色々、ほんとに色々な立場の人がいて、お互い余裕が無くなったり疲れてしまったりするけど、お互いこの瞬間に呼吸をしているということを、見れないにしても覚えていたい。

人の脳には、恐怖を感じた時にもドーパミン(快楽物質)が分泌される。不安がること、物事を過度に怖がることは、自分にとってストレスになると共に、自分にとって快楽にもなり得る。取り返しのつかないほど何かを怖がって、正義を都合の良いように解釈してはだめだ。

確証バイアスと言うが、信じたいものがあるときは、信じたいものを肯定する情報ばかりが見えるようになるし、信じたいものを否定する情報は見えなくなる。誰もがそう。私もそう。違和感は大切にしたままで、お互い柔らかくいきたい…。

眠れない夜に捧ぐ