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生きた証を遺すこと

ここ2週間、内に篭っていた。一年以上動かし続けてきたXも、ほとんど毎日書いてきたnoteも、最近始めたラジオも休んだ。

やっぱり、わたしはSNSというものが苦手だ。自分を開示して不特定多数に見られるのがどうも好きになれない。

わたしが発信を休んでいる間もnoteやXのビューは伸び続ける。今この瞬間も、どこかで誰かがこの文字列を目で追いかけている。

なぜ、わたしはSNSをやるんだろう?

生きていくために必要なわけじゃない。プライベートのインスタや Facebookだって、自分から発信することは特にないように感じてしまう。

それでも今あるXとnoteは一年間動かし続けてきた。それはなぜなのか?

もちろん、X入口でわたしを知ってくれた方は多い。フリーランスで食っていく上で、仕事を受注するために必要だと言われればそうかもしれない。

けど、ずっとしっくりこなかった。それだけじゃできないと思っていた。その答えが、今日やっとわかった。

わたしにとって、これは生業だからだ。生きた証を遺すこと、生きるということそのものにも近いかもしれない。

ただ「仕事だから」では割り切れない。「クライアントの体験の入口だから」なんて気持ちじゃなかった。

これはわたしの生きた足跡を遺していくために必要だったんだ。だから毎日書こうと思ったんだ。

わたしは発信し続けることで、わたしの感情や思考や願いを、わたしのなかみを遺していきたい。だから、このアカウントは「のぞみのなかみ」だったんだ。

いつもX見てますとか、note読んでますと言われるのが嬉しい。のぞみさんのことばが好きですと言われるのが嬉しい。それはわたしのなかみが好きだと言ってもらえているように思うから。

わたしは、もっとたくさんのひとと繋がりたい。まだまだ地球には、両思いになれる相手がたくさんいるんじゃないかと思う。

そのひとたちと繋がるには、まずはわたしが「ここにいるよ!」って手を振らないといけない。大きく、手を振り続けないといけない。

わたしが遺してきた一瞬一瞬はどこかで誰かに届いて、たまに手を振り返してくれるひとがいる。それがとっても嬉しくて、ひとりじゃないんだと思える。

わたしはわたしのために生きていて、わたしのことを一番幸せにしてあげたいと思っている。それを見た誰かが、「あんなふうに生きたいな」と思ってくれたら嬉しい。多くのひとが、そう思えるようになったら嬉しい。

先日、発信を続けることは漫画の巻数を増やすことだと話した。1巻を読んでめちゃくちゃ面白い漫画があっても、1巻しか出ていなかったらそのうち忘れていく。何度も読み返したとしても、そのうち他の漫画を読み始める。

もし50巻まであれば、きっと50巻まで一気読みするだろう。読めば読むほど先が気になって、どっぷりファンになるかもしれない。

わたしが発信を続けるのは、「続きもあるよ」と伝えるためだ。2巻もあるから読んでね、明日もあるからまた来てね、と声をかけ続けるためだ。

だから今日も、こうして書いている。わたしのなかで、一つの区切りがついた新たな発信のスタート。

いつもここにいるので、また来てください。おやすみなさい。

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