祖父と酒とコロナと僕と

こんばんはナスオです。

なんかコンテストに「#また乾杯しよう」というテーマのものを見つけました。

三国志のように壮大な小説や、デヴィ夫人くらい激動の出来事を書いてみたかったんですが、開始二分で挫折しました。

なのでお酒が大好きな僕の祖父について語りたいと思います。

僕が生まれる以前

祖父は典型的な亭主関白だったと伺っています。

家業である町工場の二代目として働いていたのも関係があるかもしれません。

祖母を鼻で使い、模範解答のように酒ギャンブルたばこなどに手を出していました。

見た目はナニワ金融道のキャラのような風貌をしていました。

若くして真っ白の髪にパンチパーマをあて金のチェーンみたいなのを首につけた写真を見たことがあります。真壁刀義よりも強そうです。

この祖父は母方の祖父なので、婿入りした僕の親父は結婚のあいさつの時震えあがったと聞きました。

そんな祖父は一度も僕に怒ったことがありません。

初孫誕生

祖父にとって初孫である僕が生まれた時のことを母はよく語ります。

「今まで時しかめっ面しか見たことなかったのに、あんたが生まれてから別人のように恵比須顔になったの」

孫とはそんなにうれしいものなのでしょうか。子供もまだいない僕にとって、何十年後かに分かることなのでしょうか。

そんな祖父の孫大好きエピソードを何個か紹介します。

くれぐれも数十年前はナニワ金融道だったことを覚えておいてください。

①マッサージ

祖父はよく仕事で体が疲れるのか、孫によく全身マッサージを頼みます。

マッサージのやり方など義務教育でやっていない僕は適当に体をもんだり足で踏んだりそれっぽいことをしていました。

すると大体十分後「よっしゃ全部吹っ飛んだ」と言って立ち上がりどこかへ消えていきます。

数分後部屋に戻ってきて「ありがとうはいお駄賃」と言い2000円を渡してきます。

10分で2000円ですよ、、?

こんなマッサージ店あったら違法で摘発されてしまいます。

こんな感じで孫が大好きすぎるあまり、触れ合い方や好かれ方が分からず、お金や物に走ることが多々ありました。(こんなこと孫が言って大丈夫なんでしょうか、、)

ちなみに2000円はちゃっかりいただいちゃいましたてへぺろ。

②ジャイアントコーン

僕はアイスが大好きです。

中でもジャイアントコーンというアイスが好きでした。

祖父にジャイアントコーンっていうアイスが美味しいという話を一度したことがあります。

すると翌日祖父がジャイアントコーンを買ってきてくれました。

厳しい母からはあまり買ってもらえなかったのですごく喜んだのを覚えています。

問題はここからです。

それ以降週に8個買ってくるようになりました。

冷凍庫には毎日ジャイアントコーンで溢れかえるようになりました。

大好きでも毎日だとさすがに飽きるものです。それでも祖父への申し訳なさで一日一個は食べるようにしてました。

祖母からは「あんたそんだけ食べたら糖尿病になるよ」と言われました。(いやそこの祖父に言ってくれ)

③銭湯

祖父は銭湯が好きです。

よく僕を誘って二人で行きます。

しかし僕のことを大好きであるはずの祖父は、銭湯中全然話しかけてきません。

風呂から上がると「ソフトクリーム食うか」と言い二人で食べます。

しかしこの時も無言です。おまけに僕が食べてる顔をめちゃくちゃ見てきて怖いです。

その話を母に言うとこう言ってくれました。

「子供が食べる姿って大人からしたらかわいくて仕方ないのよ」

なるほどと思いました。にしてもデューク東郷のように鋭い眼光でにらまれたらそりゃカエルを通り越してオタマジャクシになりますよ。

ちなみにその行動は22になった今でもしてきます。いまだに怖いです。

乾杯

いかがでしたか?

ほっこり、あるいはぞっとしたんじゃないですか?

そんな祖父はお酒が大好きです。

いまだに大学生のサークルのような飲み方をしています。今年70です。

ちなみに僕が帰省するとお酒で冷蔵庫をパンパンにし、祖母に「他の食材が入らんやんか」と怒られます。亭主関白とは何だったのでしょう。

祖父にとって孫が20歳になり一緒にお酒が飲めるということは一つの夢だと言われたことがあります。

家族のお酒の席で、祖父とはほとんど会話はしないのですが、ずっと温かい目で見つめてくれます。きっと夢をしみじみと噛みしめているのでしょう。

僕が帰省の際は、「もうあと〇日で帰ってくるなぁ!」と毎日のように祖母に言って楽しみに待ってくれてるそうです。

しかし今年はこのような状況です。大切な祖父母を僕のせいで亡くすことだけは絶対に嫌です。

今年はお盆帰省できないと電話で言うと、声だけですごく悲しんでるのが分かりました。

普通の日常を普通に送れていたこと自体が、三国志よりも、デヴィ夫人の人生よりも、物凄いことでありがたいことだったんです。

さらに最近家業の町工場を畳むことになり、余計元気がなくなったと聞きました。

しかし祖父は「お前の結婚式までは絶対に死ねん」と言いました。

会いたいのは山々ですがまだまだ生きてもらわなければ困ります。

コロナが収束したら飛んで帰省しますから

無言で見つめらたら、今度はこっちが睨み返しますから

「#また乾杯しよう」

おじいちゃん最高ナスオでした。

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