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どうして茅葺きを残したの?④橋本さん

茅葺きのお話シリーズ第4段

こんにちは。
茅葺き屋根の住人の方にインタビューする「なぜ茅葺きを残したの?」のコーナーです。
今回は第4弾、トタンの被った屋根をお持ちの橋本さんにお話を聞きました。

文字が読めない先祖からのお墓

橋本さんの家、今はリフォームしてとてもきれいなお家です。
しかし、どのくらい古いものなのか、はっきりとはわからないそうです。

大体は家の古さは、お墓に行ったらわかるそうなのですが、
橋本さんのお家のお墓はなんと文字が読めないそうです…!
何時代かわからないようなお墓を守っており、そこから推測するしかないのだとか。
 
昔は農家は苗字はなく、屋号があるくらいでした。
庄屋さんはかろうじてあるかもしれないけど、その当時は戸籍などもしっかりとしたものは残っていません。
現存する戸籍からわかっていることは、橋本さんのお母様が明治34年生まれということだそう。

このように、今残されたものから推測することでしか、家がいつからのものなのかを知る術はないようです。

なぜ茅葺きをトタンにしたの?

別の方のインタビューでは「お金がなかったのでトタンにした」という言葉が印象的でした。
橋本さんの場合はなぜだったのでしょうか。

茅葺きの屋根にトタンを被せたのは、高度成長期である昭和37年ごろ。
当時の橋本さんは小学3年生くらいだったそうです。

山が売れてお金ができたため、その時に家のリフォームも全部一緒にしたそう。
売れた山の土地は新興住宅街などになっていき、農村地帯の農家はこぞって立て替えるという風潮があったんだとか。
 
橋本さんの家は蔵以外の建物である母家、納屋、裏の建物など、全部が茅葺きでした。
これらの建物を全部建て替えるにはでより多くのお金が必要で、母家の茅葺きだけが残ったそうです。
今でも 2階は屋根裏で茅が残っているそうですが、私は見ることができませんでした!残念🫤

奥様が来られたときはまだ母家に土間が残っていたそう。
今は茅葺きの家に住んでいるなんて、優雅な生活をしていると言われるんだとか。

記憶の中にある昔の生活

そもそも、この辺りに住んでいる人はみんな農家だったので、茅葺きの家が多かったようです。
しかし、大きな茅場があったわけではなく、自分敷地の山や川に生えていたススキなどを刈り取って、少しずつ屋根裏に置いておいたそう。

山から持ってきたのは茅だけではありません。
木を切って薪にして、それでご飯炊いたり、風呂を沸かしたり、、、昔はそういう生活をしていたんだとか。

水道も昔はなかっため、どの家にも井戸があるそうです。
今も使えるそうですが、飲料水としては使えないみたいですね。

職人さんとの思い出を聞いてみたところ、自分が屋根を触ったり、手伝った経験はあまりないそう。
茅をあげたり、職人の手伝いはお父様がやっていたようで、子供は邪魔扱いだったみたいです😭 

茅葺きに対する思い

茅葺きに対し人によってそれぞれな意見がありますが、橋本さんは
「茅葺きがいいというのはわかっている。みすぼらしいとは思わなかった。」
と堂々とお話ししてくれました。

また、震災の時は、瓦の重さで潰れたりした家もあったそうですが
茅葺き屋根は軽いため、茅葺きの家が潰れたなんて聞いたことがない。
という特徴としての良さも教えてくれました。

そもそも、昔の農家の家は大黒柱をはじめとした柱が太く、しっかり丈夫にできているんですね。
 
トタンをかぶせることに抵抗もなかったそうで、しょうがないという感じだったようです。
見た目は綺麗にしておきたいという思いがあり、
家紋を入れたり、色をできるだけ黒く、重厚な感じをイメージしたんだとか。

 維持管理と相続の課題

この家を今後どうしていきたいか尋ねると、やはり「維持管理」が大変とのこと。
人口が減っており、年金生活をしている老人が増えていること。
家の処分や活用をどうするのかは心配であるとのことでした。
息子たちは帰って来こないのではないか、といった相続の心配も…

他の人に譲るという選択肢があったとしても、
茅葺きは維持管理が大変なため、所有している方からすると、そんな家を誰が買うのだろうか?という感覚のようです。

トタンを被せたとはいえ、ペンキの塗り替えは必要です。
現在は今は15年〜20年に1回、費用をかけて塗り替えをしているそう。
塗り替え費用だけではなく、高い足場代も必要なんだとか…
確かに、葺き替え費用よりは少なくて済みますが、トタンを被せたからといって全く費用がかからないわけではないということがわかりました。

古民家の活用は面白い

お隣の町、淡河町は古民家をリノベーションして、活用している事例がたくさんあります。
 
橋本さんは古民家の活用は面白いとお考えです。
娘さんは古いものを守りたいと思っているそうで、あとを継いでくれると言っているのだとか。
奥様も、空き家の活用は前向きで、
「家族じゃなくても、使ってもらえるならいい。空き家になるよりはいい。
家は住まないと意味がない。」

とお話ししてくれました。

保守的(?)な山田

橋本さんのお話から、昔の山田の様子がなんとなく伝わってきました。
山田の人は保守的な人が多かったようで、空き家を含め、他人に貸したくないという意向が強めなようです。
その事実として、電車や道路の計画を全部反対してきた歴史があるよう。
その間に、周りが開発されていき、発達。今の山田小学校区域のエリアは取り残されたのでは、というお話を聞けました。

これは、農家特有の考え方なのかもしれません。
田んぼをよそ者にとられるかも、などなどそう言った思いから、「よそ者は要らない」という雰囲気だったんですね。

まとめ

橋本さんのご家族の前向きな話を聞くことができ、とても嬉しくなりました。
娘さんともお会いできるので、今後一緒に何かできるのではないかとワクワクしています😀
少しずつ、良い方向に向かっていけばいいなと思います。


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