山田ピンポンショッキング⑤岸本治さん
第5弾!岸本さんのお話
地域の方にインタビューを行い、次の人を紹介してもらう。
「山田ピンポンショッキング」も第5弾までやってきました。
谷口さんが3人目のバトンを繋いでくれ、自治会長の岸本治さん(67)にお話を聞くことができました。
今も現役!帰れる場所にある山田。
岸本さんは、生まれも育ちも山田。67年間山田にいます。
山田小学校、中学校を卒業し御影工業高校に進学。
土木関係の勉強をしていたそうです。
その後、建設会社系に就職し、2年間働きます。
現場を転々とするようなお仕事でした。
阪神電鉄の杭瀬、大阪万博の歩道橋の工事、北区大池の奥のサボ堰堤など…
山田から通う現場もあれば、事務所で寝泊まりしたりする現場もあったそう。
その後、神戸電鉄に転職。65歳まで働くことになります。
長男なので転々とするのがあまりよくないと言われて、そうだなと感じていたそうです。
勤務地も変わらず、実家から通える仕事に変えました。
ちょうど、年配の方が退職し中途採用をしていたようで、ちょうどいいタイミングだったんですね。
そして現在は、有馬温泉の温泉の管理のお仕事をしているそう。
上がってくる温泉を汲み上げる管を交換したり、送湯管を掃除したりするお仕事をしているそうです。
今も現役でお仕事をされていますが、ずっと山田から通っているんですね。
農業は趣味?
畑は、家の前と裏、軽トラでちょっと登ったところにあるそうで、お休みの日にやられています。
育てているのは、お米、野菜、ブルーベリーなどたくさん!
インタビューの時にブルーベリーをいただきましたが、とても美味しかったです🥺
そんな岸本さんですが、実は小さい頃にたくさん畑を手伝っていたわけではなく、ご両親が亡くなってから始め、見よう見真似でやっているとのことでした。
昔からそばで見ているだけでも違うんだなと思いました。
作ったものは売ることはせず、家庭で食べたり、親戚や知り合いの人に分けているそうです。
販売しようとすると量と時間がいるため、今の感じがちょうどいいのだとか。
いろいろな方に話を聞いていると、務めながら畑している方も多く、山田の方は趣味的な感覚で農業をやられている方もいることがわかりました。
遊びは自分達で考える
小さい時は自然でたくさん遊んだ思い出を聞くことができました。
現在は川に降りれなくなっているところも多いですが、岸本さんが子供の頃はよく、夏に川や三つ池で泳いで遊んでいたそう。
いかだをつくったりもしていたんだとか!
冬は雪が降ったら、竹でソリを作って遊んだり
ため池に氷がはったら、竹を靴につけてスケートしたりしていんだそう。
割れたりするの怖いな…と思いましたが、それも考えて小さめの池でやっていたそう。
池は上から1mはあったかく、それから下は急に冷たくなるそうです。。。大きくて深い池は危険ですね😅
前さんの時と同様で、遊ぶものを自分で作るということが印象的でした。
私も小さい頃、そのような経験はあまりありません。
当時は遊ぶものがなかったからこそ、いろいろな遊びを自分達で考えて、生み出していたのですね。
改めて考える山田の良さ
ずっと山田で生まれ育った岸本さんに山田の好きなところを聞いてみました。その答えは…
「そういうことすら考えたことがなかった。
根付かないといけないと思っていた、しゃーないからここに住んでた感じ。
最近人が減ってたので、どうにかしないとと感じ、それで考え始めた。」
とのことでした。
岸本さんは自治会長なため、山田のことについて自治会で話し合ったりする機会が増えてきたそう。
そこで初めて地元の良さを考え始めたそうです。
改めて考えても、立地の良さは実感しています。
インタビューの前日、実は甲子園に行っていたのだとか!😀
谷上駅に車置いて、三宮まで出て甲子園まで1時間で行けるのは、確かに便利です。
車さえあれば三宮にもすぐに出れます。
しかし、バスが1時間に1本しかない、最寄駅が遠いなどがあるため
車乗れなくなったらとても不便になってしまうので、そこは問題だと思っているそうです。
田舎だからこそできる生活をとても楽しまれているのも印象的でした。
岸本さんは息子さんが2人、孫が5人います。
一緒には住んでいませんが、月1くらいで帰ってきており、家族みんなでピザや焼肉パーティーや流しそうめんをしているそうです。
写真を見せてもらいましたが、めちゃめちゃ楽しそうでした☺️
薪も買ったら高いですが、山から切ってくることができます。
ピザ窯はすごく煙が出るのでピザが焼けるのも、、それができるのもいいところだと感じています。
竹炭もネットで調べて作ってみたり、、などなど
田舎だからこそできることを色々やっているそうです!
「毎日楽しい。何しようかな〜っていつも考えている。」
こんないきいきと生活ができるのも、山田の良いところですね😀
今後の山田、「自分達も変わっていくべき。」
小さい頃は人口が減る意識がなく、最近になって過疎が進んできたという実感があるそうです。
昔は隣同士の人たちと、井戸端会議のような光景がよく見られたそう。
今は年寄りは外に出なくなっていたり、子供が少ないなどは感じているそうです。
昔からの変化を自分の目で見てきているからこそ、
「人がふえないと何もできない。人口減少をどうやって防ぐのか、考えていかないといけない」
という考えをお持ちでした。
新しい人が入ってきても、近所付き合いがないことなどもよく言われていますが、そこに対する意見も聞けました。
「そういう人がきてほしくないわけではないけど、自分達も意識改革しないといけない」という言葉が印象的でした。
もとからいる人も、自治会の役割も嫌々やっている人もいるそう。
そういった田舎ならではのことは考え方を変えていくべきで、
子供が帰ってきたがるような雰囲気づくりが大事だと思うとのこと。
駅までの迎えにも行くなど、帰ってきたら面倒だ、ではなく住みやすくする協力はしたいとお考えでした。
そんな岸本さんのお孫さんは、帰ってきたいとずっと言っているそうです。息子さん家族が月1では絶対帰ってきていることが、周りからは変わり者!と言われているそうです😅
しかし、一緒に住んでいるわけではないので、家の維持管理は岸本さん夫妻2人でしなければなりません。
家がとても大きいので管理はとても大変です。
まとめ
岸本さんのご家族の関係はとても素敵だなと思いました。
すぐに帰って来れるのも、山田の立地の良さなのではないかと感じました。
まずは近くの人が帰ってきたい、住みやすい、と思える環境づくりも大切なのだなと、勉強になりました☺️