自分の就職活動について③
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「歴史学」への興味を失ってしまった頃、自分は「社会学」に興味を持ち始めていた。
私はその頃、「1946年の戦後日本」という授業を受けていた。その授業では最終的に一つテーマを決め、「1946年のそのテーマ」について発表した。私は「映画」をテーマにし、占領下に「映画」というカルチャーが受けた影響を調べてまとめた。日本で制作された映画はGHQの校閲が入っていたため、内容の変更を余儀なくされていたこと、また諸外国で制作され放映された映画も戦勝国のきらびやかさを強くイメージさせるようなものが多かったことなど を調べてまとめたことを覚えている。
また、それと関連して、「音楽」についても少し調べた。1946年というのは、ちょうど『リンゴの唄』が流行した年。映画がアメリカからのトップダウン的なサブカルチャーだったのに対して、音楽はラジオと結びつき、市民を代表していくようなボトムアップ的なサブカルチャーになっていたのだったということを学んだ。
ちなみに「1946年」と中途半端なのは、前年の授業が「1945年」だったかららしい。調べにくいから中途半端な年をテーマにするな。
同時期に、講義とは別に『リトルピープルの時代』という本を読んでいた。
大まかに言えば、仮面ライダーなどのサブカルチャーが、日本戦後史の影響をどのように受けているのかという内容である。東大を進めてくれた高校の担任が読んでいたのが気になって手に取ってみたのだが、これが大変興味深かった。高校までの「教科」の枠に縛られない、大学からの学問の広がりを感じた。
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どうせ研究職を目指さないのならば、多少難しくても自分が面白いと思う少し変わった学問をやろう
こうした体験を経て、サブカルチャーと社会が相互に与えあう影響が学問として面白く思え、社会学を専門にして学びたいと感じるようになった。
「やりたいことが自然に見つかる」ということは、高校までの自分では考えられなかった。なんという運命の巡り合わせだろう。これは、大学で受動的になることの危険性を早々に学び、自分から動くようになったことによる好循環であった。
私は 社会学コースへの進学を目指すことにした。
成績が多少良くないと進学できないので、一般教養の勉強を今までよりも少し頑張る必要があったが、信頼できる友達の支えもあり、どうにかギリギリで希望のコースに滑り込むことが出来た。
また、テーマを「バラエティ番組」に設定することも決めた。
進学後、卒論の前段階として「自分のサブカルチャーの文化体験を語る」という講義を受け、バラエティ番組の体験を他の参加者に伝えたのだが、これが中々に楽しかったからだ。
その頃、3年生を目前に控え、どんな業界を目指すかをぼんやりと考え始めないといけない時期に差し掛かっていた。
文系の就職は、大学で学んだことをあまり活かせないことは聞いていた。私は、それを「もったいないこと」だと思い、せっかくならば大学で学んだことを少しでも活かせる職業に就きたいと考えた。
そうして、私は メディア系の業界を目指すことを決めたのだった。
④へ続く
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