blanc!23

22歳から40歳までの17年間、小学校の教師として勤務。 現在は、夫と共にパン屋を経営…

blanc!23

22歳から40歳までの17年間、小学校の教師として勤務。 現在は、夫と共にパン屋を経営しています。 社会人・高校生・中学生の母。 ことばと文章に深くつながり、自分自身の思いを表現することがとても好きです。

最近の記事

「3」の魔法

「自分」という人間として生きてきて、42年。 トライアンドエラーを繰り返し、30代半ばを過ぎた頃から少しずつ、(ようやく)自分をうまく扱えるようになってきた(と思っている)。 例えば。 食べたり飲んだりしたものが、肉体に影響を及ぼし始めたと感じるのに必要な期間は、3日。 栄養分が行き渡り始めてきた…という感覚を得るまでに、3週間。 肉体に栄養が満ちてきた、と感じるには3ヶ月が必要。 週に一度の運動をし始めて、身体が変化してきたと感じるのに必要な期間は3ヶ月。 週に3~4

    • 学びたがる、奥底に。

      その日わたしは、参考書が並ぶ本屋の一画にいた。 小中学生向けの参考書を眺めたり、中身を見たりしながら、 「学んだほうがいいんだよなぁ」 「いやいや、『ほうが』じゃなくて、学びたいんだよ」 などと考えを巡らせていた。 子どもに学ばせるためではない。 自分が学ぶためだ。 と思ってはいるものの、 親である自分が学ぶ姿を子どもに見せたら、 少しは子どもにもいい影響があるのかもしれないなどという 打算的な考えも少しばかり存在しているのは否定しない。 数学が苦手なので、もう一度学び直

      • ていねいに、暮らす?

        2023年3月2日。 「ていねいに暮らす」というのは、こういうことか…! という場所に、わたしは立っている。 ていねいに暮らす、と聞いて、イメージする暮らし方は 人によって大きく違う。 だから、ていねいな暮らし方は人の数だけ存在する。 わたしは、「ていねいに暮らす」人になりたかった。 なので、それはもう…いろんなことを試しまくった。 「味噌を手作りする」 「子どもが使うランチマットや巾着を手作りする」 「カレールーを手作りする」 「床のふき掃除をする」 「服のお手入れを

        • ないものさがして、ないものねだる。⑧

          流行り病が、我が家にもとうとう訪れた。 最初に息子が感染。 看病したわたしが感染。 そして、家族全員の感染。 最も恐れていた出来事が、起きた。 わたしも夫も家族も全員、強制的に立ち止まらされた。 自営業者である我が家は、3週間仕事ができず収入は激減。 外出はできない。横になって休むしかない。 今、できることをするしかない。 「ある」ものを探して、「ある」ものに頼って、「ある」ことに感謝する。 そんな療養期間を過ごした。 ないものを探して、ないものをねだって。 ないもの

        「3」の魔法

          ないものさがして、ないものねだる。⑦

          わたしが学び、実践し、磨いてきたものは、ほぼ通用しなくなった。 話し合い ペア学習 グループ活動 合唱 楽器演奏 実習 実験 プール学習 … 他者と関わる活動が制限される。 そんな経験はしたことがない。 学校にいる全ての年代の人間、全員が、だ。 未知のウイルスによる恐怖は大きく、 子どもたち同士が関わる活動は全て制限された。 毎日の授業はもちろん、 休み時間の過ごし方も、給食も、 クラブ活動も、委員会活動も、 運動会も、学習発表会も、 何もかも、全て。 他者に自分の意

          ないものさがして、ないものねだる。⑦

          ないものさがして、ないものねだる。⑥

          小・中・高・大。 与えられた学習に取り組むって、実はラクなことだったのね…。 と、学校の先生になったばかりのわたしは、途方に暮れていた。 「どうやって、教えたらいいのかわからない」のだ。 教育雑誌を読み、先輩の先生に話を聞き、教え方をその通りに実践する。 「えっと…うまくいくって、何ですか?」状態。 うまくいかない。 わかってもらえている感覚も得られない。 どうしよう。 毎日、次の日の授業準備をするけれど、到底間に合わない。 困り果てていた。お手上げだった。 そんなわたし

          ないものさがして、ないものねだる。⑥

          ないものさがして、ないものねだる。⑤

          「一年間、服を買わないチャレンジ」。 この第二弾を、先生をやめたタイミングでゆるーくやってみた。 仕事をしていると、ときめかないけれど必要な服を所有しなくてはならない。 スーツとか、ジャージとか。 普段着は汚れたらガシガシ洗える素材であることも必要だし、 そもそも汚れが目立ちにくい服を選びたい。 学校は冬、とんでもなく寒くなる。そうなるとモコモコあったかい素材の 羽織ものが必須。そして、あったかインナーも。 ジャージだって冬仕様にしないと寒すぎるし、 冬ならではの体育で使

          ないものさがして、ないものねだる。⑤

          ないものさがして、ないものねだる。④

          自分の家にあるのは、自分の好きなモノだけ。 自分の家が「素敵な場所」。 たどり着くまでにかかった年月は5年だった。 5年が経ち、「素敵な場所」=「家」になったわたしに訪れた 次の大きな転機は、 「自分の家を建てる」。 先生の仕事を辞めるまで、退職するまでは賃貸物件に住み続けるのだろう。 …と、ヤドカリライフを送る予定だったわたしにとっては、 とてつもなく大きな決断だった。 夫が自営業を始めることにならなければ、家を建てることなど考えても いなかったからだ。 しかし、過去に

          ないものさがして、ないものねだる。④

          ないものさがして、ないものねだる。③

          悲劇のヒロインごっこを(そうとは知らずに)味わうことを選択している。 そんなわたしの人生は、「モノを手放す」という行動を選択したことにより 急激に動き始めていた。 急激に、しかも大きく動いたものの一つ。 それは「両親との関係」である。 詳細はここでは語れないのだが、結果的にわたしは両親と距離を置く選択をした。 両親と物理的にも精神的にも距離を置いたことにより、わたし自身の思考も行動も少しずつ変化していった。 両親がわたしをコントロールしようとしていた、と気づくのは、ここから

          ないものさがして、ないものねだる。③

          ないものさがして、ないものねだる。②

          悲劇のヒロインごっこ。 そういう自分になりたがっているだけ。 「悲劇のヒロインである自分」をしたくて、生きていた過去のわたし。 そんな(はっきり言って)しょーもない自分も、わたし。 昔はそんな自分を許せなくて、自分のことを気持ち悪がっていた。 よしよし、そんなわたしでもいいんだよ。って言えるようになったから、 こうして文字にできるようになった。 さて、悲劇のヒロインになりきっていたわたしを、神さまは見捨てなかった。 こんな状態だったけれど、、チャンスをくれたのだ。 この三

          ないものさがして、ないものねだる。②

          ないものさがして、ないものねだる。①

          ないものはなあに? いつも、さがしている。 あっ、これこれ。これをさがしていたんだよ。 持ち合わせはないのに買う。 似たようなものを持っているのに買う。 わたしに足りないものはなあに? いつもさがしている。 あっ、これこれ。これを埋めればいいんだよ。 学びの場をさまよい歩く。 行きたいところはどこ? 自分が素敵になれそうなところをさがして、 無理やり行く。 あるものなあに? 後悔と、罪悪感と、後回しにする支払い。 これがわたしの得意技。 気がついたら、いつも「ないもの

          ないものさがして、ないものねだる。①

          それでも、凪いでいる。

          凪ぐ。 「風がやむ(やんで、水面が静かになる)。」 出典/三省堂 新明解国語辞典第八刷 より 「凪」の漢字からイメージするものは人によって様々あるだろう。 わたしの頭に最初に浮かぶのは「技」である。 (最近、映画が公開されました) 凪ぐ。 と言えば水面の様子を思い浮かべる人もいるのではないだろうか。 わたしが以前、2年間住んだ家の近くには有名な温泉街と湖があった。 一番深いところは、東京タワーがすっぽり入ってしまうほどで、 その深さゆえ冬でも凍ることのない湖であった。

          それでも、凪いでいる。

          チョコレートと壺

          教師として働いていた2年前までは、家族のためにチョコレートを買っていた。 下の息子には、恐竜モチーフのチョコレート。 娘には、ちょっとおしゃれなかわいいチョコレート。 夫には、お酒が入っていたり、クセがあったりするチョコレート。 同居する夫の母には、箱のデザイン重視のチョコレート。 既に家を出ていた息子にあげるなら…と、売り場であれこれ考えるのも楽しかった。 ところで、人生には「〇〇の壺」というものが存在している。 …と、わたしは勝手に思っている。 例えば、「努力の壺

          チョコレートと壺