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ないものさがして、ないものねだる。③

悲劇のヒロインごっこを(そうとは知らずに)味わうことを選択している。
そんなわたしの人生は、「モノを手放す」という行動を選択したことにより
急激に動き始めていた。

急激に、しかも大きく動いたものの一つ。
それは「両親との関係」である。
詳細はここでは語れないのだが、結果的にわたしは両親と距離を置く選択をした。
両親と物理的にも精神的にも距離を置いたことにより、わたし自身の思考も行動も少しずつ変化していった。
両親がわたしをコントロールしようとしていた、と気づくのは、ここから数年後のこと。

さて、人生で一番大量にモノを手放したわたしは、次の年に引っ越しをした。
実は、もうしばらく手放さなくてもいいだろうと思っていたのが…
新たな住まいでも、物理的な理由によってこれまた多くのモノを手放すことになった。
物理的な理由。
「インターネット回線がない」。

以前の住まいでは、光回線でインターネットを使うことができた。
ネットで簡単に買い物ができるため、モノを手放してもちょこちょこと
モノが増えていた。
しかし、買う量を手放す・処分する量が上回っている状況だったので、
「買い物依存症気味」になっている自分に目を向けようとしなかった。
いや、できなかった。
心の余白がなかったのだ。

インターネットが使えない。
デスクトップパソコンも使えない。
これ、いらないじゃん。
まずは、デスクトップのパソコンを手放した。
実家には小学校高学年の頃からデスクトップのパソコンがあり、
「あって当たり前」の状態であった。「ある」ことに疑問をもたないのだ。
だから、当然のようにデスクトップのパソコンを買って使っていた。
それまでの当たり前を、わたしは手放した。

使えないから、という理由で手放したこのパソコンの存在が、
「実家の環境が自分の人生に大きく影響を及ぼす」ことに
気づかせてくれた。
何の疑問もなく、実家の環境を自分の人生に持ち込んでいる。
ぞっとした。
親としての自分が作る環境も、自分の子どもに影響を及ぼす…ということだから。

ここからの片付けは、ひたすら手放しまくるというよりも
自分の人生を振り返り、モノに感謝を伝えて旅立たせる。
幼かった頃の両親との思い出を振り返り、今後の自分の在り方を考える…
という内容に変化していった。
これは「癒し」だった。と、書いている今、気がついた。

新しい住まいで、わたしは過去に大奮発して購入した「子ども用木製二段ベッド」を手放した。
娘が小学校中学年になり、弟と一緒に二段ベッドを使う状況を嫌がったことなど、色々な理由が重なってのことだった。
きっかけはささいなこと。
しかし、大きな家具を手放すと、大きな痛みと大きな変化がセットで訪れるとわたしはこのときに学んだ。
インターネットが使えない、けれども大好きなこの地域を、わたしは2年で離れることになった。

この頃にわたしが持っているモノたちの総量を、
こんまりさんの本に出会った頃と比べることはできない。
感覚的には「半分以下になったなぁ…」というところ。

「モノが少なくなると、心に余白ができる」という確かな感覚。
「素敵な場所に出かけたい」という気持ちは、いつの間にかなくなっていた。

まだ続く。


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