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彼に貸したお金が「高い勉強代」になるまでの話①


これは、私の恥ずかしい話かもしれない。

ただ、主軸を忘れず、成長した自分を保てるよう、
記録していきたいと思っています。

そして、
ほんのちょっぴりでも、
尽くし型恋愛をして疲れている人
恋愛と私生活のバランスが傾いてしまった人
はたまた、恋人を巻き込んでしまったと自責の念に駆られてしまっている人など、誰かしらの、自分軸を取り戻せるヒントになれますよう、心から願っています。

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恋愛経験値が低い=耳心地の良い言葉に弱く、善人悪人の見極めが難しい

騙される恋愛、都合の良い女、可哀想な人となり終わる。

私が経験した恋愛すべて、
友人から応援された事がまずない。

「そんな人やめた方が良い。」
「もっと良い人がいるよ。」

大体、お決まりのこの二言である。

もっと良い人がいるなら、今すぐ目の前に連れてきてほしいと、友人に対して、心の中で悪態をついていたこともある。
自分のためを思って言ってくれている友人に対して、なんて我儘な私なのだと思う。

ただ、そこまで深く捉えられていないことも、それとなく、表情や声色で伝わっていたため、私もその言葉に対して弁明したり、反論するつもりもなかった。


29歳になってからは更に、この言葉が増えた。


「そんな関係、時間の無駄。」


確かに、手のかかる彼氏といったら、プライドを曲げられない女のように聞こえるかもしれないが、のめり込まざるを得ないほど時間を費やしていたのは事実だ。また、結婚を意識し始める年齢でもあり、この言葉が追加されたのであろう。

みんなが出来て当たり前
普通だったらしない
自分を大切にして

「当たり前」「普通」「自分を大切にする」

私にとって「普通」というのは相当難易度が高いものだ。

常識を軽んじているわけではなく、周囲の意見を否定したい思いもない。かといって、自分は周りとは違う、ふんっと鷹を括りたいわけでもない。

私自身、敢えて、回り道をしたり、困難をアトラクションのように捉え、熟考し、行動する生き方が好みであることに気づいたのだ。

恋は盲目という言葉があるように、気持ちが浮つき、その人のことばかり考えてしまうといったような、春のような感覚は、坊やと出会って1ヶ月程経った時に既に消化していた。

好きではなくなったというわけではない。

冷めたという感覚でもない。

これは、恋愛関係である以前に、私の人間関係の一つだと捉え始めていた。

一歩進んで、敢えて、二歩退がる。
そのまま進めば良いものの、なんて面倒くさい女なんだと思った人はいるだろうか。


面倒事と向き合えずして、母親にも、我が子を育てることなどできるかと、エゴともとれるようなこの信念に火が着いてしまったのである。

この、エゴともとれる信念が、どん底に陥るきっかけともなり、また復活するきっかけにもなったのである。

では、私が坊やに抱いていた感覚は総括して「執着」という重苦しい感情だったのだろうか?

②に続きます☺︎

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