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20年の投稿生活と、縁側ごろごろ日和

去る5月19日に開催された文学フリマ東京で、ひとつの小説を制作しました。

タイトルは「縁側ごろごろ日和」です。

あらすじ

十五子(といこ)は小学一年生。
「あのお方の娘御」であるおかげで、不思議なモノたちから慕われています。

娘の嫁入りを控えた狐、手紙に込もった想いの化身、数百年越しの恋、小さきものを守る小さなモノ、そして、なつかしいにおいの風。
わかりあえるようで、わかりあえなくて、油断できないけれど、それでも通じ合うモノたち。

「聞き上手」と評判のおトイちゃんの縁側は、いつも不思議で、ちょっと切ない出来事に満ちています。

私の灯台

この作品は、私にとって特別な意味を持っています。文学フリマに何を出そうか? と思ったとき、すぐに「これを出そう」と決めました。私にとって「書く」ことの喜びと意味を見失わないための、灯台のようなものだからです。


黒焦げ時代

初めて小説を投稿したのが17歳で、小説家デビューしたのは36歳です。
37歳になる年だったので、足掛け20年投稿しつづけていたことになります。

言うまでもなく、めちゃくちゃしんどい20年でした。
何度もやめようと思いました。

私は1983年生まれです。
同世代では、若くして活躍されている小説家がたくさんいます。史上最年少(当時)で大きな賞を受賞した方とか。
神の子の躍進を見るたび、嫉妬と焦りでのたうち回りました。
同じ年数を生きているのに、なぜこうもちがうのか。「情熱大陸」や「プロフェッショナル」を観ようものなら(作家以外でも)トップランナーから何かを学び取るよりも劣等感で黒焦げになるほうが先でした。

32〜33歳頃のことだったでしょうか。長編2本・中編3本・短編4本を公募に出しました。すべて落選でした。

「数撃ちゃ当たる」も通用しないのか。いや、数が足りないのか。ちがう、クオリティの問題だろう。もっと傾向と対策を練らねば。 というか私はどうして小説家になりたいんだっけ?

小説を一本書くのには、大きなエネルギーが必要です。しかし「落選」は、誌面やウェブサイトに名前が「無い」ことによって知らされます。「そこに自分の名がないこと」は何よりも強い拳となって、私の横面を殴ってきました。 私が心血を注いだとしても、何も変わらない。私が必要とする世界は私を必要としていない。書いても書いても選ばれない。土俵にも上がれない。私には、戦う資格もないのだ。

相次ぐ落選に疲れ果て、小説家を目指すのはやめようと決めました。
周りの友人は着々とキャリアを積んでいるのだし、非正規雇用でいつまでも夢を追っているわけにもいかない。
なにより、若くして小説家として活躍している方々のようにはなれないのだから。

でも、書くのをやめたら、暇になってしまいました。平日の夜も、休日も、ずっと書いていたものですから、何をしていいのかわからなかったのです。

書くのをやめると書き方がわからなくなりそうだから(書くのをやめようと思っているくせに)、何かを書こう。
自分が書いていて、楽しいものを。一日数行ずつでもいい。
心が安らぐものを。
自分のための物語を。

そうして書き始めたのが「縁側ごろごろ日和」でした。プロットも立てず、キャラクターも作り込まず、これまで学んだハウツーもセオリーも関係なく、「一日◯文字以上書く」というノルマもなく、書けるだけ、書きたいように書く。

主人公のおトイちゃんは、私の中でのびのびと動き回ってくれました。久しぶりに書くのを楽しいと感じました。楽しく書けたものは誰かに読んでもらいたくなりました。友人に見せたところ「すごくいい! 好き! 続きちょうだい!」と言ってもらえました。
自分がなぜ小説を書きたいのかを思い出しました。

あふれてくるからです。
私の中にある世界を、自分の中だけにとどめておくことができないからです。

あふれる世界は、そのままにしておくことができません。
できるかぎり、丁寧に、形を整えて、誠実な形で外に出したい。
私はふたたび、公募に向けて書き始めました。

そこからデビューするまでにも、また数年かかったのですが。

売れたい。読まれたい。成功したい。
その気持ちは大事です。仕事である以上、多くの方に喜んでいただくものを作りたいと思う気持ちも、忘れてはいけません。

ただ、その真ん中にある心臓を見失ってしまうと、

「これ、私じゃなくても書けるよね?」

というものが、出来上がってしまうのです。

いまも、しょっちゅう黒焦げになっています。
嫉妬と焦りの炎からは、どうやって逃げることができるのか。教えてほしい。

しかし、そんなとき、おトイちゃんのことを思い出すと、サウナの扉を開けたときのように、冷たく新鮮な風が流れ込んでくるような心地がします。

おトイちゃんは私からちょっと離れた場所で、自由に駆け回っています。私はそれをスケッチするように、ペンを取ります。

この涼やかな時間がどうやら、私を焼く炎を鎮火してくれるようなのです。

「縁側ごろごろ日和」は、当時の原稿をもとに書き下ろしたものです。
小説家となりましたからには、「自分が楽しい」だけではなく、「読んで楽しい」ものに仕上げています。

私を支えてくれたおトイちゃんと、彼女たちが駆け回る透き通った世界を、ぜひご覧ください。









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