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「時間の日本史」読了

何となく読み終えるまでに時間がかかったが、最近の本は良いなと、久しぶりに感じた本「時間の日本史」を読み終えた。

日本人がどう時間のことをどう思っていたのか。どう時間と暮らしてきたのか。その工夫や民俗などの歴史が楽しかった。

時計作りにも、長年の工夫やアイデアで、どんどんと便利になったり革新的になったり。逆に暦を管理したい人の都合が優先された様子もあったり。時間の制度も多様で、国内だけでも同じ時間を過ごしていなかった時期があったり。

安定した時計がなかった時代の不安定さとともに、たくさんのクリエイティブさを感じた。今は、どんどんと精密に時をカウントできるようになっていることで、地球上でも宇宙でも、クリエイティブさが発揮されていく途中という方向性も感じた。

最終章に「ひとまず、豊かな時間とは人々の心が響きあう状況にあると考えてみよう。」という一文がある。時計だけでは測れない時についての章。

この本は、表紙にある筆者名が複数あることからも伝わるかもしれないが、いろいろな人が章を担当した本で、章によってテーマがかなり違う。が、どの章も繋がりを保った調和を感じ、心地良かった。きっと「豊かな時間」も提供されたのだろう。

工夫や民俗などの歴史とだけ書いてしまったが、和時計や腕時計などのメカニカルな歴史や、時計会社の歴史、今の標準器である原子時計の仕組みや今後など、メインの内容だけではなくコラムもあり、多岐にわたる内容が含まれている。

時間や時計と聞いても、身近過ぎ、改めて考えることもないような想像力のなさで読み始めたが、時間や時計の影響力を知る良い機会になった。

装丁も表紙やページのデザインも、とても丁寧というのか、緻密さを感じる本。とても調和のとれた緻密さを感じながら読んでいる途中、誤字を発見し思わず笑ってしまったが。

一時いっときは現在の約2時間、一分は一時を10等分した現在の約12分。郵便や鉄道事業で決められた発着時刻には、「時」との混同を避けるために「字」が用いられた。

という話の直後。

鉄道事業の仮開業で品川-横浜を1日2往復という話とともに、発着時刻が書かれていた。が、「朝、横浜を8字0分に出発し…」という見慣れない表記が続く中、最後に横浜に到着する時刻が「17時35分」。極めて見慣れた表記だった。

そう。「じかん」の「じ」は「時」だよね。
と、校正漏れにも、どことなく民俗を感じた。

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