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「羊と鋼の森」読了

先日、子どもの学校の図書室で借りられた本、宮下奈都・著「羊と鋼の森」。今日は読み終えた。もう少し時間がかかるかと思っていたが、楽しかったのでどんどん読んでしまった。

貸出時の学校では、子どもの個人帯出カードを束から探し、書名など鉛筆で書き込む、というレトロな体験も嬉しかった。大人はもう、リアルに体験する機会はない貸出システムではないかと思う。

この本が学校にある、という選書に優しさを感じた本だった。
主人公の高校生からの成長が描かれていた。
その内容も、もちろん優しかった。
久しぶりに、読書でたくさん泣いた。

以前にも気になったことはあった書名だが、読んでいなかった。
パラパラとめくったうえで借りることにした。

とはいえ。
借りたときには、最後まで読める本なのか自信はなかった。
あまり縁のないピアノや調律の話のようだった。

古いアップライトピアノが家にあった時期があり、その調律を見かけたりはしたものの…
表紙に貼られたペン字は、「この本は面白い!読んで!」と伝えているようだったが…

読み始めてみると、読み終えられるのかどことなく不安を感じる、何だか調子の外れた主人公。
なのだが、昔の私も似たことをやらかしてきたなー、と笑ってしまう部分も多かった。

どことなく親近感のある動きの主人公で、思わず笑ってしまったりしているうちに、どんどん読み進んだ。
読み進んでいるうちに、主人公は社会人になり更に成長していく。

終盤の展開は、これから読む人が楽しみにした方が良いのだろう。
私の感想としては、「優しい本だった」という一言しかない。

「ピアノの音が戻って、部屋の中が明るくなったみたい」
 よろこばれると、うれしい。僕の手柄ではないのだけれど。ピアノの音がよくなっただけで人がよろこぶというのは、道端の花が咲いてよろこぶのと根源は同じなんじゃないか。自分のピアノであるとか、よその花であるとか、区別なく、いいものがうれしいのは純粋なよろこびだと思う。そこに関われるのは、この仕事の魅力だ。

羊と鋼の森

上の引用は、主人公が社会人になって間もない、初めの方に出てきた箇所。何だかとても印象的だったし、同意しかないと思った文。

私の同意は実は一部、足りないのだが。
最近発覚した自閉スペクトラム症ASDの特徴でもあるらしいが、「人がよろこぶ=私のモチベーションが上がる」ではない。そういう報酬系の反応は、私の機能にはないと思う。

ただ、ピアノの音と道端の花を同じに思う、その日常が優しいと思った。

ピアノに詳しくなくても、音楽に詳しくなくても楽しめた本。
ピアノには少ししか親しんでこなかった私には、やっぱりピアノは難しいなと思うところもあった。が、奥深さや良さを感じたりもした。

話題としてはピアノや調律の話だったが、内容は普遍的な感じもした。
良い読書体験になったと思う。

弾き方だけではなく、調律で演奏の印象まで変わるなんて、ピアノは生き物のようだなと思ったりもした。
そんなことを感じた後に弾くメカメカしいエレクトーンは、何か物足りないんじゃないかと思ったりもした。

ただ、エレクトーンは調律しなくて良いのが長所でもあったなと思い出した。むしろ、音感の足りない私の感覚の方が、ずれて収拾がつかなかったりする。最近、弾いている「怪物」の途中にある変調に、私の感覚はまだついていけていない。

エレクトーンの話に限らず、調律しないといけないのは私の方ということか、と思ったりもした。

が、エレクトーンはエレクトーンで優しいと思う。
ASDの特徴でもあるが、相手が人でも特別扱いしない。人ではなくても好きなものは好き。その気持ちを隠す気もない。隠す方が難しいのではないか。
私の場合は「好き」にもどこか一部、足りないと思うのだが、それが問題になるのは相手が人のときだけ。

読後も普段通りに楽しく弾けていた。

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