おやすみ私_ヘッダー1

おやすみ私、また来世。 #9

 次に彼女と会えたのは、年も開け、受験も終わった二月の初めだった。最後に会ってから二ヶ月弱が経過していた。その間、ときどき様子を伺うようにしてDMのやりとりはしていたが、勉強に集中していた彼女は一切ツイートをしなかった。
 まだ正式な合格発表はなかったが、彼女がした自己採点は散々なものだった。結論から言えば合格には程遠く、全くかすりもしないということを彼女から聞いた。最初から志望校を一本に絞っていた彼女は、浪人することを早々に決意していた。さすがにショックを受けたのか、その報告のあとは連絡が途絶えていた。そしてようやく気持ちが落ち着いたのか、二週間ほどした頃、彼女の方から呼び出しがあった。
 彼女はいつもの場所で──と指令をしてきたが、僕は『初詣に行かない?』と返信した。通年欠かさず行っているわけでもなく、決して信心深くもなかったが、何となく彼女の気晴らしになればいいなと、そう思った。
 神の存在について一家言ある彼女が、初詣に対してどんな反応をするのだろうと戦々恐々でもあり興味深かったが、意外にも「いいよ」とあっさりとした返答を貰った。訊けば互いの都合さえつけば、家族と一緒に初詣をしていたらしい。流石に今年は参加しなかったようだが、『受験が駄目だったのは、きっと初詣に行かなかったから』と言えるぐらいに彼女の落ち込みは回復していた。
 初詣の場所として選んだのは湯島天満宮──湯島天神を選んだのは、御茶ノ水から近いということと、合格祈願で有名所だということだった。今更遅いということではなく、浪人を決意した彼女の来年の祈願のためだった。

 待ち合わせたのは上野駅。湯島天神の最寄り駅は湯島駅だったが、上野からもそれほど距離が変わらない。
人のごった返す上野駅でも、彼女を見つけるのは容易かった。中央改札を潜る黒山の中に、アンゴラウサギのような白いもこもこが混じっているのが見えた。今日は更に同じような白いふわふわしたベレー帽を被っていた。彼女は自動改札を抜け僕を見つけると、いつものように目の前でピタリと立ち止まる。
「あけおめ」
 彼女は一言そう言った。確かに今年初めて会ったけれど、すでにネット上では新年の挨拶は遥か前に済ませていたので、何だかむず痒かった。それでも僕は反射的に彼女に釣られて「あけおめ」と返していた。
 ──僕らはどちらからともなく、目的地に向かって歩き出す。
「なんだか今日は、いつもより服装が激しくない?」
 隣で歩く彼女は白いコートの中に水色の洋服を着ていた。それは『不思議の国のアリス』の中で、アリスが身につけているドレスのようだった。もちろんスカートの部分には、猫のシルエットがプリントされていた。
「うん、初詣だから」
「──そっか」
 初詣と言えば振り袖なような気もするが、彼女が以前言っていたことを思いだす。日常から華やかな洋服を着るほど彼女はマナが足りず、来るべきときが来たらそれを着ると謙遜していた。そして、その特別な日が今日なのだろう。
 二人で並んで歩いていると、以前と比べて二人の間にあった空間は随分と狭くなったことに気がつく。それでも捉え所のない彼女との心の距離は、すぐ近くに見えて、決して接触することのない地球と月の関係のようだった。彼女が一般的な神頼みなど必要としないことはわかっていたが、今はとにかく、少しでも元気になってくれればと思う。
「菅原道真が、あおりちゃんの信じる神様じゃないと思うけど──」
 湯島天神は学問の神様として知られる菅原道真公を祀っていることもあり、入試や資格を取得する合格祈願として受験生に人気のある神社だった。ただ特殊な神を崇敬する彼女が、それをどう思っているかが気になった。
「そうね。でも、お参りはするよ。私は学問の神様というより、失脚させられた死後、京の都に祟りをもたらしたってイメージが強い。それだけ道真には何かしらの力があったってこと。パワーの強い人にはあやからないとね」
「ふうん。そんな背景があったんだ」
 相変わらず、普通に返答はしない彼女の言葉に満足する。
 その後、二人の間に会話はなかった。とても肌寒く、吐いた息がすぐに白くなった。それほど遠くなかったこともあるが、それからは沈黙したまま目的地に到着してしまった。

 合格祈願で人気があるだけに参拝客は多かった。もう二月になってはいたが、おそらく初詣に来たであろう参拝客の姿もぱらぱらと目についた。
 威厳を感じる古い鳥居を潜る前に、彼女は会釈して潜った。彼女のこだわりなのか両親の躾なのかはわからなかったが、見た目の印象とは違い、格式に則るんだなと感心した。
「──秘密結社が初詣をするっていうのはどうなの?」
「うん。郷に入れば郷に従え、で」
 そう言うなり彼女は手水舎に向かった。僕の周囲では、その辺りからきちんと熟す者はいなかったので新鮮に見えた。正式な作法を知らなかった僕は、躊躇なく熟す彼女を横目で見守る。彼女は右手で柄杓を持ち、まず左手を清めた。あとで調べて知ったことだが、“左右”と書くように、右手よりも左手の方が上位と考えられていたため、左手から清めるようだ。次に右手を清めると、今度は左手を受け皿にして口を濯いだ。そして再度左手を清めた後、柄杓を立てて残った水を流して柄を清めた。
「──わかった?」
 彼女は僕が作法を知らないのを見透かしたようで、そう言った。僕は照れ隠しに「なるほどね」と呟き、見よう見真似で身を清めた。
「本殿までの参道は、神様が中央を通るから端を歩くのが作法だけど、その辺りは気にしない人が多いね。初詣の人混みを考えると端になんて寄ってられないしね」
 僕が参道の中央を歩いていると、彼女がぼそりとそう言った。僕は慌てて端に寄ったが、「ジン君は好きにしていいんだよ。結局は気の持ちようだから」と口に手を当て笑われた。
 賽銭箱の前で僕が萎縮していると彼女は「二拝二拍手一拝」と呟いた。
「ニハイ……」
 お辞儀が二回と理解し、深く礼を始めると、「ジン君お賽銭が先。自販機でもお金を先に入れないと買えないでしょ?」と彼女に注意された。
「──それから鈴。これは神様に来訪を知らせる玄関チャイムみたいなもの。だから、無闇にガラガラやっちゃ駄目」
「なるほどね……」
 彼女の例えは若干罰当たりな感じもしたが、とてもわかりやすいものだった。そして彼女は賽銭をそっと放り、鈴を鳴らすと、二回深く礼をした。その後、二回手を打ち、ようやく目を閉じて祈り始めた。これもあとに調べてみたが、拍手を打つことで神様を招き、指先を揃えることで神人が一体になり、神様の力を受け入れられるようになるのだそうだ。
 どのくらいの時間が経ったのか、彼女は瞼を開け最後に深く一礼した。ここまでが一連の作法のようだ。
「──今は二拝二拍手一拝をしたけど、本当は三拝三拍手一拝が正しいとする説や、出雲大社の四拍手みたいに、場所によってちょっと違ったりするみたい」
 僕は彼女の動作を頭の中で反芻し、ニハイニハクシュイッパイをしてみる。滞りなくそれを熟して見せた彼女と違い、その動きはかなりぎこちなかったと思う。
「──コマンド『れい を する』→『れい を する』→『かしわで を うつ』→『かしわで を うつ』→『いのる』……なんか昔のアドベンチャーゲームみたいだな」
「あはは。そうかもね」
 朧気にしか覚えていなかった参拝の作法を彼女は丁寧に教えてくれた。所々に小ネタを入れてくるのが彼女らしいと言えた。彼女自身も三拝作法が一般常識とまでは思っていないようだったが、単なる知的好奇心の一環で覚えただけだという。
「──で、ジン君は何を宣言したの?」
「宣言? お願いじゃなく?」
「うん。本来は神様にはお願いをするものじゃなく、宣言をするものなの。来年は合格します、とかね」
「それだと神様いらなくない?」
「それ言ったら元も子もないけど……神様に私はこうしたい、こうなりたいって宣言した上で、助力してもらうってこと」
「神様も万能じゃないってこと?」
「うーん。それよりは、自分の努力で何とかなるものは、自分で何とかしなさいよってことなのかも?」
「なるほどね。じゃ、自分の力じゃどうしようもなかったから、あおりちゃんが受かりますようにってお願いで丁度良かったかな」
「むぅ──自分のお願いすれば良かったのに……」
 彼女は視線を外すと小声でそう言った。彼女にしては珍しく消極的だった。
「──あ、ジン君、おみくじ引こう」
 彼女は視線の先でおみくじを結ぶ参拝客を見て、そう言った。たぶん照れ隠しだったのだろう。
「あれ、こういうのって一月に引くものじゃないの?」
「ううん。引いた日から効力があるものだから、特に年始に引かなければならないって決まりはない。ちなみに納得するまで何回引いても構わない」
「なんだかスマホゲームのガチャ課金みたいだな」
「そうね。凶を引いたからって、ずっと悪いことが起き続ける一年って意味じゃなくて、そういった凶行が起こる可能性があるから気をつけなさいっていう神様からの啓示。だから大吉の場合でもただ受け身では駄目。努力を怠らないことで、より幸運が舞い込むっていう意味」
「それは受け手の解釈にもよるってこと?」
「うん。結局は気の持ちよう」
「なるほど。占いと同じで結構、曖昧な書き方だしね」
「そう。悩んでいるときに、そうっと背中を押してくれるような、そのくらいの感覚で受け取るのがいいのかも」
 僕たちはそれぞれ、おみくじを引いた。こういったくじを引く瞬間は、いつになってもどきどきするのはどうしてだろう。
「うわ! 凶だ……」
「あはは、本当に? でも大丈夫だよ。結局は気の持ちようだから……気になるなら、もう一回引く?」
「いや。せっかくだから受け容れるよ。戒めとしてね。これって悪い内容のときは木に括って、良い内容のときは持ち歩くんだっけ?」
「ううん。本来は肌身放さず持ち歩いて、新しく引いたときに、それと交換する形で古い方にお礼を込めて結びつけるみたい。おみくじと言えど、神様から力を授かったものだからね」
「そっか……じゃ、来年まで持ち歩くか」
「うん。それがいいよ」
「で、あおりちゃんはどうだったの?」
 そう言うと、彼女は僕の目の前におみくじを差し出して見せてくれた。そこには“吉”と記してある。
「吉か。ま、良いんじゃない? ──あれ? 吉って中吉より下位なんだっけ?」
「そうだよ。大吉>中吉>小吉>吉>末吉>凶>大凶の順かな。半吉とか末凶とかが入る場合もあるけど」
「いつも思うんだけど、吉の立場が低いんだよな。中吉は中くらいに吉だから、吉より低いと思ってた。同じ理由で小吉も吉より低いと思ってた。でも末吉は吉より低いんだよな。なんか納得いかない」
「でも目安であって、結局は気の持ちようだから。確率的には吉も凶も同じくらいの出現率じゃないかな」
「出現率って……レアとかスーパーレアとか? ──結果はともかくとして、だから大凶を引いたら逆にラッキーみたいな言われ方するんだな」
「うん。そう考えると、人にとって何が幸運かわからないでしょ? だから、全ては気の持ちよう」
「気の持ちよう、ね──」
 それは彼女の口癖のようなものだった。気持ち次第で、幽霊もUFOも見れる。そして彼女の言うアストラル界に行くこともできるという。でも僕は、気の持ち方が間違っているのか、未だにそれらを体験することはなかった。

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