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「不登校は解消しないといけない」……のか?

※これは、親が中学校教師で様々な教師から話を聞く機会が多かったこと、兄弟5人中1人が完全不登校だった私の経験による個人的な考えとなります。


はじめに

まず、不登校とひとくくりに言っても原因自体は多数あると考えています。

それこそ、いじめなどを始めとした人間関係であったり、家庭に問題があったり、起立性調節障害であったり、事情はさまざまです。

今回お伝えしたいのは、ひとくくりにして「不登校は絶対によくない。学校には引き摺ってでも行かせるべき」という考えに対する思いです。

1.学校の本分は「学業」である

まず、ドがつく昭和を生きた教師たちから聞いたお話を紹介します。

「昔は"怠け病"と言われていたのに、起立性調節障害などと名前がついたことで、休むことが認められるようになった」
「そういう子達はどうしてだか勉強はできる」
「それなら学校に来れば良いのに」

というものでした。
私自身は平成生まれなので、ザ・昭和な教育環境については身を以って体験したわけではないため、ここでは触れません。

さて、ここで引っ掛かったのは
「昔は怠け病と言われていた」
「病名がついたら休むことが認められるようになった」
「勉強はできる子たちである」
「そうであれば学校に来れば良い」
このあたりです。

・昔は怠け病だった→今は実際に病気であることが証明された
・休むことが認められた→実際に病気であるため
・勉強はできる→怠けていない
・学校に来ない→病気なので

と考えるのですが、怠けていないのなら学校に来い、という解釈がどうにも引っ掛かりました。

そもそも、何らかの理由で登校が困難なのであれば、私は別に無理を強いて学校に行かせる必要はないと考えています。

勉強ができるのなら学校に来い、というのはイコールではないと思います。

学校に行っているからといって学力が高くなるわけではありませんし、皆勤賞だからといって勉強熱心である証明にはならないわけですし、「学校に行けないこと」と「勉強をしないこと」はイコールではないはずです。

学校に行けない分だけ勉強を頑張っている、と見る方が自然なのではないでしょうか。

学校に行くのは、公的な教育を受けるためです。
もちろん、勉学以外の教育も存在しているので、「勉強だけ」とは言えません。

「勉強をしていても学校に行かないと意味がない」
「義務教育なのだから、学校には行くべき」
「学校生活で社会性を身につけなければならない」

いずれも正論だとは思いますが、正解ではないなという感想です。

2.社会性の習得には「監督者」が不足している

学校という空間で集団生活を行うことで、社会性を育むのだ。という主張に関しては、私は全くその通りだと思います。

ただ、そうであれば、学校という空間がその社会性を育める環境でなければ意味がないでしょう。

たとえば、イジメが発生しているとしましょう。
そのイジメには加害者と被害者が発生します。

イジメといっても、全て悪意があるものとは限りません。
意図的に傷付けてやろうと思っている加害者もいれば、
遊びの延長で面白半分にやったことが結果的に嫌がらせになっていたという加害者もいるでしょう。

本当に学校が「集団生活」を通して「社会性を育む」場所なのであれば、集団生活から何者かを排除しようとする動きも結果的に排除してしまった動きについても、何らか対応するべきではないでしょうか。

しかし、実際としてイジメ問題は永遠に解決しないかのように、それでいて繰り返され続けています。

学校がそのような環境として機能していないとしたら、誰のせいでしょうか。

理由のひとつとしては、「監督者」の不足であると感じています。30人前後の人間を前にして担当教員・副担当教員だけですべて監督できるとは思えません。

本当に社会性を育むことを目的とした集団生活の場であれば、加害者側こそ秩序を乱していることから指導するべき対象になるのではないでしょうか。

それを差し置いて、「来ない方が悪い」として不登校を全否定するというのは問題の見方を誤っているように感じます。

3.解決を望んでいるのは「誰」なのか

次に、誰が不登校の解決を望んでいるのか、です。

当然、不登校になっている当人が望むのであれば、周囲の大人が何らかフォローやケアなどを含めて協力するべきだと考えています。

ただ、当人が望んでいないというのに、
物理的に校門まで連れ出して放り込む、とか
強制的に登校させてみる、とか
そういう手段を取るのは、何も「解決」していないといえるのではないでしょうか。

学校に行かなくても良いという意味ではありません。
どうして行けなくなっているのか、という部分を解決する必要があるということです。

その部分を無視して、単に「学校に行く」だけを達成させたとしても、問題は何ひとつ解決していないのではないでしょうか。


最後に

ちなみに私の兄弟5人中1人が不登校であったことを最初に記しましたが、この1人は中学校3年間、トータルで1ヶ月も通っていません。転校をしましたが、「どうして行けなくなっているのか」を解決しなかったことから、結局一度も通うことはありませんでした。

不登校を解決しないといけない──のであれば、何のために解決するのか、何が問題になっているのか、そのあたりを明らかにする必要があるのではないでしょうか。

不登校の生徒がいると、その親御さんに対して「愛情不足」だなんて心無い言葉をかける人がいますが、いくら愛情を注いだとしても学校でぐちゃぐちゃに傷付けられてしまったら意味がありません。

本当に解決するべきことは何なのか。

それを見つけなければ、本当の解決は難しいのではないでしょうか。


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