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遠い地の友 ーいつの日かまたきっと②ー

①に引き続き、今回は②回目
まだ読んでない方、是非①から読んでいただきたいです☺


大学2年を休学して行ったインド。
本当に色んなことがあったけど、最終的には行って良かったと思ってる。
過ごした10カ月のことを思い出して書いたものがあったから、それを何回かに分けてnoteにも...。


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教えてあげて「グッドモㇽニングハウ アㇽユー」

 コースの初めの頃は、英語の授業があった。だけど、生徒5人の英語のレベルは全然違っていた。特に、彼女にとってはその授業がとても難しいようで、ほとんど理解できていないことが多かった。だから、授業が終わってから少しだけ2人でもう1度見直すことも何度かあった(最初の頃の話)。
 私の英語はもちろん完璧ではなったし、これまで誰かに英語を教えたことなんてなかった。それに、共通して理解できる言語が私たちにはなかったからもっと大変だった。だけど、知っていることは一緒に勉強しようと努力した。授業中、私は彼女の隣に座っていた。だから先生からも「教えてあげて」と、よく言われて、最初の頃はもちろん頑張っていた。だけど、ずっと言われるものだから途中でイヤになることもあった。それに、最初英語を教えてくれていた人の訛りの強いことといったらもう―ザ!インド英語と言われるような発音で、SとRの発音が独特だった。単語の頭にSがある場合には、「エス」と発音する(例えばstudyはエスタディー)。Rは基本的に舌を巻いて「ル」と発音する。初めてでは中々難しい(例えばGood morningはグッドモㇽニング、How are uはハウアーㇽユー)。加えて、話すスピードもものすごく速い。いったいこんなに早く話して会話ができるのかと思って不思議に思ってしまうほど。こんな具合だったから、私は先生の言ったことを聞き取るのに必死になっていた。何て言ったか分からないことも多々あった。でも、ここでインド訛りの英語は難しい…なんて言っていてはダメだと自分に言い聞かせて、早くインド英語の特徴を理解して、慣れようと思っていた。
 そんな中で先生から「ふうな今のところ教えてあげて」と言われて、私なりに説明してみるものの、ほとんど彼女には分かってもらえなかった。とっても難しかった。一生懸命説明した。

 だけど、全然通じなくって、途中であきらめて、それ以降私から説明することも少なくなった。

 今になって振り返ってみると、全然通じなかったのではなく、分かるように説明していなかったのだと思う。本当は私だってちゃんと理解できていなかったのに、説明したってどうせ分からないから、というとても失礼な態度で接していたのだと思う。もう少し側に寄り添って、熱心にやればよかったと、もの凄く後悔している。


彼女には彼女のペースがあった

 彼女はとてもまじめで、毎日勉強することを欠かさなかった。最初の頃は、暇さえあれば机に向かっていた。その彼女の姿は、今でもくっきりと目に焼き付いている。朝起きてから、朝ごはん食べてから、朝のミーティングが終わってから、お昼の休憩時間、夕方の授業が終わってから、夜ご飯の後…。ほんとに、よくそんなに勉強できるなっていうくらい机に向かっていた。ガロから持ってきた「英語とヒンディー語とガロ語のちょっとした辞書」を何度も何度も繰り返し声に出して読んでいた。

 彼女は文字を書くのがとてもゆっくりだった。だから授業でも、黒板を写すのすら追いつかなかった。だけど毎回授業が終わると、私のところに必ず来て、「ノートを写させて」と言ってきた。そして、毎回全部自分のノートに書いていた。彼女の努力には幾度となく驚かされた。
 授業では課題が出ることもあって、ある時英語の先生が課題を出した。と言っても、次の週まで毎日ノートに1ページ分、新聞や本の英語を写すというものだった。私にとっては苦ではなく、すぐに終わった。だけど、彼女にとってはとても難しく、1ページ終わらせるのにもすごく時間がかかった。
彼女は右手と右足に少し不自由があった。
 だから何か作業をするときは基本左手でやっていた。字を書くのも左手だ。早くはできないけど、一生懸命終わらせようと手を動かしていた。
ある日彼女はいつもの様に机に向かって宿題をしていた。もうすぐ提出の日が迫っていた。「終わらない終わらない(汗)」と言いながら、終わっていない分を完成させようといつもより長い時間机に向かっていた様に思う。

 次の日の朝、彼女は目を覚ますと、とても変な顔をしていた。そして、手と腕を見せてきて「Funa! Pain!!」と言ってきた。一瞬、寝ているときに変な寝方でもしたのかなと思った。だけどすぐに「昨日ずっとノートに書いていたからだ!」と気が付いた。きっとかなり力が入っていたんだ。あまりにも「あいたたたた…あいたたたた…」ってずっと言っているものだから、 「勉強のし過ぎだよ~」と言って、2人で笑った。
 
 提出の日の朝、私は彼女に終わったのか聞いてみると、ニコニコしながら「NO…no…」と言っていた(笑)。だけど、もういいやと言って、提出することにしていた。もう手が痛くて書けないんだとか。彼女はそれだけ一生懸命やっていた。宿題が“全然終わらなくても”毎日一生懸命やっていた。


初めてのお願い

 とっても驚いたことがあった。
平日は毎朝、ギャザリングと言って誰か1人がみんなの前で自分の話をする時間があった。1カ月に1回、順番が回ってくる。
最初の月のある日、夜な夜な彼女は私のところに来て「Funa, Help me」と言った。彼女から話しかけられることはほとんどなかったから驚いた。どうしたのかと思って話を聞いてみる。すると何やらギャザリングの文を考えるのを手伝ってほしいとのことだった。
 その晩、私と彼女は夜遅くまで一生懸命話をした。何かをノートに書いていたので読み取ったり、話したり、彼女がどんなことを話したいのか、私は何とか理解しようと努力した。彼女の名前、メガラヤの事、家族のこと、それからあと何か…。確か全部で5・6文の短いものだったと思う。私が文を書いて彼女に渡したら、彼女は嬉しそうに「Thank you」と言って自分の机に戻っていった。彼女のその表情を見て、私も嬉しくなった。
 
 だけど、もっともっと嬉しくなったのはそれから数日後のことだった。それは彼女のギャザリングの日だった。実は彼女、私が書いてから自分でそれをもう一度ノートに書いて、毎日毎日それを読み続けていた。あまりにも何度も読むから私もその文を覚えてしまったほどだ。彼女はギャザリング当日の朝も、早起きして練習をしていた。朝早くパチッと明かりがついてびっくりして私は目を開けた。彼女はこっちをみてニヤッとした。どうやら私を起こさないようにそっと電気を付けたようだった。彼女側と私側、それから真ん中に1つ、部屋の天井には三つ電気があった。どれか1つでも電気が着いたらかなり明るくなる。その日は外がまだ暗いうちに電気がついたから余計に明るい。私が寝ているのはお構いなしだ。そして椅子に座ってまた読み上げが始まった。何となく、最初は気にして小さい声で話していたけど、段々と力が入ってきたようでこっちのことなど本当にこれっぽっちも気にしていないようだった。もう何か呪文のようにしか聞こえない…((笑))。私は、そんな彼女の姿を見ながらまた目を閉じて布団の中に潜った。
 
その日の朝のファーム作業も、彼女は「ギャザリングがあるから!」といつもより随分早く帰っていった。そんなに緊張しているのか、とまた心配になってしまった。朝食が終わり、いよいよ彼女のギャザリングが始まる。讃美歌と聖書の箇所を読み終え、彼女は話を始めようとしていた。彼女は文を書いた紙も机の上に置いていた。
 私は、彼女が話し始めて目をまん丸くした。だって彼女、少し突っかかることはあっても、最後まで1度も紙を見ることなく言い切ったのだ。全て暗記していた。きっと彼女の中で、暗記して読もうと決めていたから何度も何度も読んでいたんだと気がついて、涙が出るほど感動した。ギャザリングが終わってからすぐに彼女のところへ行き、思わず嬉しくってハグをしてしまった。まさか暗記して読むとは思っていなかったから、とってもとっても嬉しかった。彼女は努力家だ!!


彼女と出会って3カ月

 なかなかうまくいかないこともあった。

 3カ月くらいたった頃だったかな。時々話すことはもちろんあったけど、実はこの頃もまだ、あまり会話ができていなかった。彼女は英語を話そうと一生懸命だったし、私も話しかけるようにしていた。だけどある日、私はふと糸が切れたように、彼女が分かっていないことにイライラしてしまった。なんせ、朝起きてから夜寝るまで、1日中ずっと一緒だった。私はちょっと距離をあけることもあった。部屋ではほとんど話さない日もあった。授業でも、困っていることは分かっていたのに助けないことがあった。ファームに行くときも彼女は自転車に乗れず、一人歩いて行かないといけないことは知っていたのに、私は自転車で先に行ってしまうこともあった。しかし、そんな態度をとって怒っていたのは私だけ、一方的だった。

 だから彼女にはとても申し訳ない。頑張っている姿も近くにいるからこそ知っていた。だけど、いくら頑張っても思うように会話できない。一生懸命話して伝えても「I don’t know」と言われてしまい、力が抜けて「Why!(なんでよ!)」と怒ってしまうこともあった。そんなことがあって、私は彼女に話しかけるのが難しくなってしまった。
 それでも彼女は努力していた。私の機嫌が悪くても、「授業のノート見せてくれる?」と必ず言ってきた。私は使ってもいないのに「これから使うから後でね」と言ってしまうこともあった。だけど少したって申し訳なくなって「はい」とそっけなく持っていく。そんなことも何度かあったと今振り返る。


彼女の親友

 彼女はいつも笑っていた。話しかけると大抵笑顔の返事が返ってくる。だけど、落ち込むこともたくさんあった。きっと人一倍あったと思う。
 彼女は、とっても若い!というわけでもなく、これまで英語を勉強したことがあったわけでもなく…話を聞いているとここに来たくて来たわけでもないという。だから、そこにいることが彼女にとってはとても辛い様だった。そのことで、彼女は何度も壁にぶつかり、落ち込むことがあった。
 これまでしてこなかったことをする。特に、言葉が通じない、新しい場所で生活するということはとても大変なことだ。同じガロから来た男の子ともあまりうまくいかず、「彼は助けてくれない」と嘆くこともあった。

 涙を見せることもたくさんあった。
 悲しくって泣くこともたくさんあった。
 だけど、悔し涙もたくさん流していた。

 最初の頃は、本当に話していることを理解していないことが多い様だった。もちろん、初めて使う言葉なんだから当たり前だ。だけど、彼女は毎日努力していたから段々と分かってきている部分もあった。それは私も見ていて分かった。
 それだけど授業中や実習中に「彼女はわかっていないから・・・(She doesn’t understand)」と、他の人からよく言われることがあった。彼女は恥ずかしがり屋でもあったから、中々反応しなかったし、答えないこともあった。だからみんなは彼女は分かっていないと言ったのかもしれない。だけど「彼女は分かっていない、彼女は知らない」と、目の前で言われたら、誰だって傷つく。彼女もさすがにそれは分かる。言われても笑顔でいる彼女だったけど、そこには悲しそうな顔を見せる部分もあった。だけど、何も反論することなく、彼女はその場にいた。
 「彼女は分かっているよ。」と、私は言うこともあったけど、何も言えないことの方が多かった。もう少し彼女の側にいればよかった。

 だからコースが始まって数カ月して、あの彼女の嬉しそうな顔を見た日はとても印象的だった。彼女はその日をずっとずっと楽しみにしていた。
 それは彼女の親友が来たときだった。彼女の所属する団体の研修で、マキノスクールにその団体から何人か研修に来ることになっていた。その中の1人に彼女の親友がいた。私は、彼女がここに来てからも、その親友と電話で話しているのを度々見た。電話でもずっと話しているけれど、親友が来てからもずっと一緒にいて、そしてずっと仲良く話をしていた。
 彼女の親友はガロからのお土産もいくつか持ってきた。彼女が頼んでいた上着と、小魚の干物、瓶に入った不思議な液体などなど。彼女はガロの匂いを手に取って、嬉しそうに、そして懐かしそうにしていた。
 その夜、彼女はお土産にあった不思議な液体を少し分けしてくれた。彼女は私の踵が乾燥してひび割れているのを知っていて、そこに塗ると良いと言って渡してくれた。

 彼女は親友が来てからすごく嬉しそうだった。彼女はガロ語を話すとき、いつもに増して元気になる気がする。普段彼女のガロ語は電話しているときしか聞くことはないけれど、親友が来てからというもの、私たちの部屋の中では毎晩毎晩ガロ語の生トークショウが繰り広げられていた。それは、それは、かなりの迫力だった。聞いているだけでなんだか笑えてしまう。彼女がガロから来た人とあんなに楽しそうにしている姿を見ていて、こっちまで楽しくなってしまう。心温まる時間だった。
 
だけどやっぱり私は、彼女とそこまで話し合うこともできなかったからすごく羨ましくも感じた。

 親友の研修中いつも彼女は嬉しそうだったから研修が終わって彼らが帰るとき、彼女はすごく悲しそうにしていた。私は彼女が一緒に帰ってしまうのではないかと心配してしまった。
 だけど彼女はみんなを見送った。その後、彼女は部屋に入ってベッドに座り、ひとりシクシクと涙を流していたのを覚えている。

 彼らが帰った次の日曜日、彼女は何やら夕飯を作っていた。日曜日の夜ご飯は、学生が分担して作ることになっている。普段は料理好きのミャンマーから来た2人が率先して作ってくれる。せっかく毎週当番を決めていても、結局彼らが食べたいものを作るから私にも中々順番が回ってこない。そんなこんなで彼女にも順番は回ってこない。それに、彼女はあんまり作りたそうにすることもなかった。お米を炊くぐらいしか見たことが無かった。そんな彼女が料理をしているからみんなびっくりだった。
 彼女の親友が持ってきてくれた小魚の干物でガロの料理を作ってくれた。「これがガロの料理だよ」とガロの味を振舞っていた。味はと言えば…うーん、これが何だかとても独特だった。でも、彼女やもう一人のガロから来た男の子は故郷の味をお皿に沢山盛って、「これが食べたかった!!」と言わんばかりに、懐かしそうに食べていたのが印象的だ。それを見ながら、私は、ふるさとの味はやっぱり特別なんだなぁと感じていた。


つづく

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