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遠い地の友 ーいつの日かまたきっと④ー

今回は、遠い地の友ーいつの日かまたきっとー4回目、最終話です。

①②③をまだ読んでいない方、是非目を通していただけたら嬉しいです。

大学2年を休学して行ったインド。
本当に色んなことがあったけど、最終的には行って良かったと思ってる。
過ごした10カ月のことを思い出して書いたものがあったから、それを何回かに分けてnoteにも...。

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残りの時間

 クリスマス休みが終わって、「あとどのくらいで研修が終わる」、とみんなの間で度々話に上がるようになった。喧嘩したり、怒ったりすることもお互いにあったけど、残りの日数が少なくなると不思議とみんな一緒に時間を過ごそうとしていて、生徒5人でいる時間も結構あった。前にもまして仲良くなった  気  が  し  た。
 みんなで畑の休憩時間に歌を歌って休憩することもあったし、一緒にご飯を作って食べることもあった。休日に、みんなでグランドに行ってバスケしたこともあった。私と彼女も一緒にいる時間が増えたし、話をすることも増えた。畑にも一緒に行った。2人で授業後に出かけることもあった。
 ある日彼女がサンダルを買いに行きたいというので一緒に行くことにした。買い物をするとき、大体値段を交渉するけど私はあんまり上手ではない。一方彼女はと言えば、遠慮することなく「いくらなの?」「もっと安くしてよ」「それなら買わない」とはっきり言っていた。「わぉ…さすがだ」と、私は感心してしまった。買い物テクニックを教わっておけばよかった。


最後の頼まれごと

 卒業式の前日、最後の掃除の日、2人で部屋をきれいに掃除した。いつものように部屋に水を撒いてごみを水と一緒に洗い流した。2人でやるといつもより綺麗になった気がした。

 そして、卒業式が終わって私たちが帰る数日前、私は彼女の髪の毛を切った。最後に切って欲しいとずっと頼まれていたからだ。髪を切りながらいろいろな話をした。彼女と過ごした日々を振り返りながら、「あんなこともあった」「こんなこともあった」と、これまで過ごしてきた日々や面白かった出来事を思い出して2人でまた笑った。最初の頃から考えたら、今こうして会話して、笑いあえていることにすごく驚く。

 これは全部、彼女の努力があったからだ。

 私は彼女の側から離れていってしまうこともあったけど、彼女は一度もそんなことはしなかった。彼女の姿を見ていたら、離れていこうとしていた私はまた戻ってくることができた。彼女の姿から何度も、生活していく上での「大切なもの」の存在をえてもらった。

 だから彼女には心から ありがとう と伝えたい。


豊かな心

 無事に卒業式を終え、ミャンマーから来た2人が最初に旅立った。
 10カ月一緒にいたらやっぱり別れは寂しい。みんなで駅に送りに行き、ホームで別れの言葉を交わした。彼女は涙を流していた。私も泣きそうになったけど、意地で我慢した。
 次の日の夕方、残った3人で部屋に集まって座っていた。そして、もうすでに旅立った2人が恋しくなり、電話をかけることにした(笑)。掛けてみると、もうコルカタについて、ホテルで休憩をしているところだった。私が最初に話して、次に彼女に代わった。彼女は話していると、またまた目に涙を浮かべていた。

 彼女は泣き虫だった。

 でも、そんな彼女を見ていて、嬉しい時には笑って、楽しい時にはその楽しさを表現して、悲しい時には泣いて、怒るときにはしっかりと怒って、感じた気持ちを素直に表に出せていることが凄いなぁ・・・本当に心が豊かだなぁと改めて思っていた。


暖かい贈り物

 次の日、私がマキノを去る日。
 彼女はその前の夜、私が荷物をまとめていると「これあげる」と“あのマフラー”をすっと差し出してきた。長い間時間をかけて編んでいた、彼女のぬくもりがぎゅっと詰まった暖かい贈り物だった。私は最後にマフラーをスーツケースにしまい、蓋をして鍵をかけた。
 部屋はすっかり綺麗になった。
 彼女の出発は次の日だったけど、彼女はもうすでに荷物をまとめ終え、ベッドの上に座り、帰る時が来るのを待っているようだった。


 10カ月もの間、私は彼女とこの部屋で同じ空間を共有しながら過ごしたんだなと色々考えると何だか感慨深い。言葉が通じないときから一緒に過ごし始め、意思疎通はかなり難しかった。だけど、時間が経つにつれて言葉ではなくても感じられることも増えてきた。けれども言葉でないと伝わらない、通じ合えないものの存在にも気が付いて、それが伝わらない、理解できないことがとても苦しかった。もう既に何度も書いているけれど、彼女は本当に努力家で彼女のその力が無かったら私はそれを乗り越えて、最後まで彼女と深く関わることも出来なかったと思う。それに、今こうして彼女についてまとめておきたいとも、みんなに彼女の事を知って欲しいと思わなかったかもしれない。

 私がマキノを発つ日、この日もみんなで駅に送りに来てくれた。最後は泣きたくなかったから、とにかくみんなの前では笑顔でいた。泣いているの~??と彼女をちょっとからかいながら、最後のハグをした。最後は笑顔でさよならをした。だけど、彼女の目にちょっと涙があるのを見て、ぐっと泣きそうになった。

こらえた。

 しかし、いざ電車で1人になったら目に涙が浮かんできた。電車で1人泣いていると周りに心配されると思い、こぼれる前にそっと涙をふいた。夜行列車だったので、寝てしまえばすぐに朝になる。だけどその日は中々寝れなかった。頭の中に何か不思議な気持ちがあって、ぐるぐるとそれが回っていた。出発してから窓の外をぼーっと見ながらしばらくすると、ふと涙が私の頬を流れていった。
 別れを伝えるときに、キューッとなるあの気持ちは一体何なんだろう。出会いがあれば、別れもある。これまでも、沢山の出会いと別れを経験してきたけれど、ある程度長く過ごした場所を離れるとき、長い時間を一緒に過ごした人と別れるときに込み上げてくる気持ちはいつものそれとは何だか違う。きっとそこには、言葉で表せるもの以上の「何か」があるのかもしれない。変化を求めて新しい場所に来たはずなのに、いつの間にか今いる場所に居続けたい、そしてこの仲間と共にもっと過ごしていたいと思ってしまう。気が付いたら私は変化を嫌い、そして移り変わっていく事を拒む気持ちが心の中に出てきてしまう。でも、物事は諸行無常。何事も同じ状態であり続ける事はなくて、私もその流れの中に生きている。もちろんみんなもその流れの中に生きている。だから、いくらそう願っても、それは難しいこと。そもそも、考えてみたらそれぞれの流れの中で、ある1点に留まり、⒑カ月を共にできたことが奇跡だ。
 こうやって、また変わっていく。生きていく場所も、共に過ごす仲間も。なぜなら、私たちは流れの中で生きているから。別れは、そのことを私に教えてくれている気がする。

 これまで生きてきた中で、経験したこと、出会った人、過ごした時間は、もちろん全てが良かったということではない。けれど、何らかの形で私の力になっているのだと思う。その中でも、⒑カ月という時を過ごした「インド」、そして大切なことを側で沢山教えてくれた「彼女」との出会いは、これからの私の人生の中で大きな意味を持っていることは間違いなさそうだ。

私の頭の片隅には、ある女性と過ごした日々の記憶がある。
ふとしたときに彼女のことが頭に浮かぶ。
彼女に出会ったのは2018年の6月
今でもこうして時々、彼女と過ごした時を、彼女から教えてもらったことを振り返ることがある。


彼女の名前は「アルビナ」。


彼女の故郷へ

 私は、2020年2月、ガロから来ていた2人に会いに、彼らの故郷、北東インドメガラヤ州、ガロにいた。道中ガロに近づくにつれて、あの懐かしい言葉が聞こえてきて嬉しくなったのを覚えている。
 ガロに行くのはなかなか遠かった。私が日本からマキノに行くよりも、ガロからマキノに行く方が、時間がかかると前に話していたのを思い出した。彼らが育った場所をいつか見てみたいと、一緒に過ごしているときに思っていた。だから、だんだんとその地に近づいていることに心躍らせていた。
 今回、ガロには約1週間滞在した。その間、彼らがマキノにいた時に話してくれた暮らしを見て、話に上がっていた家族や友達に会うことができた。ガロでの滞在も、私のこれからにとって、とても大切な時間になった。いつか、これについてもまとめたい。
 しかし、ガロでの滞在中、残念ながらアルビナに会うことができなかった。時間的な理由と、その他いろいろあって今回はアルビナのところまでは行けない、という結果になってしまった。ガロにいるときには悔しくてしょうがなかったけれど、帰ってきてから「やり残した」ことがあって良かったと思っている。だって、また次に行く理由ができたから。
 ガロまでの道は覚えたから、次こそは彼女に会いにいきたい。


2020年10月1日。
久しぶりにガロから来ていたもう一人の友人に電話をすると、来週から研修があってそこで教えるんだと話していた。それから、本当はアルビナも一緒にやるはずだったけど彼女は来られなくなったと付け加えた。
私は、どうしてかと聞くと、彼は言った。
「彼女は今ね・・・・」
 友人が言ったことが信じられなかった。私はどうしてもアルビナと電話をして話がしたくなった。これまで何度か前に聞いた番号にかけていたが繋がらなかった。そこでもう一度、番号を聞いて、アルビナに電話をした。

 電話をかけると男の人が出た。電話の向こうで「hello~? Hello~!?」と何度も言っている。私も「Hello~? Hello~? Hello~?!?!?!」と言った。何回もハローと言い合っているとお互いに笑えてきた。私は誰が電話に出たのかすぐに分かった。アルビナの彼氏のラーシュだと。向こうも私が誰か途中で分かった様で、アルビナに「フウナ」と言って携帯を渡していた。
彼女たちは今ご飯を食べているところだと言った。彼女の側にはラーシュと、アルビナのお母さんがいた。アルビナは今、実家に帰っているようだ。私は久しぶりに彼女の声を聞けてとても嬉しかった。何でメッセージ送ってこないの?と聞くと、彼女は「アプリをまた消してしまった」と笑いながら話した。ラーシュの携帯も壊れているから使えないらしい。マキノにいるときも彼女はアプリをダウンロードしてはしょっちゅう消してしまっていた。夜中「消えちゃった」と助けを求めに来たことが何度もあった事を思い出いだした。


少し話してから私は話を切り出した。
友人から聞いたことが本当か知りたかった。
「アルビナ、赤ちゃんはどこにいるの?」

彼女は何で知ってるの~!?とびっくりしながら、いつものようにニコニコしながら答えた。
「今ね。寝ているよ。」

私は、友人から聞いたよと伝えた。彼女は、5日前に男の子の赤ちゃんが生まれたと言った。彼女はお母さんになっていた。新しい命を迎えた彼女たちの周りにはとても暖かい時間が流れているようにも感じた。彼女がお母さんになったと聞いて、嬉しくて、嬉しくて、私の心もとっても温かくなった。今度写真を送ってねと伝えておいた。
 その日のうちに私はミャンマーの2人に電話をし、その嬉しい知らせを伝えた。みんなで懐かしい日を思い出し、遠く離れた場所から彼女の事をお祝いした。

 2020年2月にガロに行ったとき、また来年の2月もガロに来ると話していた。残念ながら、この状況の中、すぐに行くことは出来ない。次はいつ行けるかもまだ分からない。もしかしたら、あと何年もかかるかもしれない。早くアルビナにも会いたいし、アルビナの赤ちゃんにも会ってみたい。もしかしたら、行ったときにはアルビナの赤ちゃんは歩いているかもしれないし、言葉を話しているかもしれない。もしかしたら学校に行く歳になっているかもしれない。これから、アルビナの子どもはどんな風に育っていくんだろう。アルビナは、いったいどんなお母さんになっているのかな。想像したら、お母さんになったアルビナに会うのが今、本当に楽しみでしょうがない。
最近はたまに赤ちゃんの写真が送られてくる。
私は、その写真を見ながら、そして一緒に過ごした日々を思い出しながら、そんな風に色々と思いを馳せている。


「いつの日かまたきっと」。


あとがき

日本に帰ってきて、しばらくしてから、彼女と過ごした日々を思い出すことが多くなりました。そして、大切なことを気づかせてくれた素敵な友達の事を私は文章として残しておきたいと思うようになって、少しずつ書き始めました。あれから随分と時間がたってしまったけれど、やっとこうしてまとめることができました。書いていると、懐かしい思い出が次から次に出てきて少し長くなってしまいました。書こうと思えばまだまだ長くなっていきそうなのですが、この辺でやめておこうと思います。
読んでいただき、本当にありがとうございました。
またどこかで。


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