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日本復活へ、産業政策の羅針盤

今回は、マクロ視点のお話について書いてみたいと思います。とはいえ、極めてミクロ観点に基づいたお話しになります。マクロと言っても、結局はミクロの集合体ですので、一つ一つのミクロでのビジネス、産業が目指すべき方向に変革していかないと、日本の産業政策、日本の経済政策として、良い方向に向かったということはなし得ないでしょう。

まず、現状の課題から始めてみたいと思います。よくメディアが報道するのは「失われたXX年」という話です。これはもう20年も言われ続けており、呪文や呪いのように日本全体に浸透し、我々の認識にも深く入り込んでおり、意思決定にも影響する精神状況にも深く影響を与えてしまっているほどです。

では、メディアは「失われたXX年」と言っているのでしょう。何が具体的に失われてしまったのでしょうか。日本は全てを失ってしまったのでしょうか。そんなはずはありません。失われてしまったものもあるかもしれませんが、同時に失っていないものも沢山あるはずです。

実はメディアの報道の論拠として挙げられる「失われたもの」は時々でその焦点が異なります。多くの場合、GDPが横ばいに近い(成長率が安定成長期の目安である5%を下回り続けている)、日経平均もしくは上場企業時価総額が低迷し続けているといったものです。そして、デフレが続いている、賃金が上昇していない、大学の競争力が低下している、大企業の稼ぐ力が弱いと、ビジネス的な現象面に触れることも多いでしょう。

GDPや一人当たりGDPといった経済指標は、確かに横ばいに近かいかもしれません、しかし失われたわけではありません。時価総額も、確かに2003年ごろまでは下がり続けていましたが、その後は(リーマンショックで世界経済に引っ張られた時期を除き)実は反転し、2013年のアベノミクス以降大きく回復し、一時バブル期のピーク時の水準まで戻しました。これをいうのであれば、2003年、もしくは2013年の段階で「失われたXX」年という表現はメディアから消え去っていてもおかしくありません。

なぜ「失われたXX年」を放置し続けてきたのか

何を失ったのか、それを考えるために、なぜこの状況を30年に渡って放置し続けてきたのかという観点から考えてみたいと思います。

結論から言います、「日本はまだ何も失っていません」

では、なぜ我々は失ったような気になっているのでしょうか。それは「相対的に」失ってきたということだと思っています。

実際、多くのメディア報道においても、政府の政策資料においても、諸外国(主に先進国)との比較において語られることが殆どです。典型的な比較対象が米国であり、実際に米国は日本のGDPが横ばいの間にGDPを4-5倍に拡大させています。一人当たりGDPも1.5倍以上に拡大しています。株価指数に至っては10倍以上に拡大しています。他国が大きく成長しているのに、横ばいであるから、その危機感を象徴する言葉として「失われたXX年」が存在しています。

つまり、何も経済的・物理的には失ってはいないが、他国との相対的なポジショニングを失ってしまったのだということが言えるのです。

詳細は割愛しますが、1990年当時は日本はGDPで世界2位、時価総額上位の企業も多くが日本企業であったことは有名です。一人当たりGDPはトップではないものの、上位に位置していました。

実は、GDPや時価総額は米国との差は開き、中国に追い抜かれたとはいえ、現時点ではまだ3位のポジションです。相対的に落ちているとはいえ、ランキングはせいぜい1つ落としているだけです。ただ、ビジネスでいう売上高にばかり注目していた中で、それ以上に相対的な地位が落ち込んでいるものがあります。その一つが一人当たりGDPです。今は、先進国の中では低位に位置するまで落ち込み、30年前は大きく引き離してた、韓国にも迫られ、スペインといった国にも近い水準まで来ています。

では、冒頭の問い「なぜこの状況を放置し続けてきたのか」ですが、その答えはあくまでも相対的な下落であり、絶対値が下落しているわけではないからです。そして、元々トップ水準だったものが、平均まで落ちてきたということです。

国の舵取りは、立法国家ですので、選挙を通じて選ばれる政治を通じて行われます。結局は、我々一人一人の危機感の低さ、逆にいえば「十分満足してしまっていた」ことに起因しているのだと思います。もう既に、1990年時点で世界でも最高水準のインフラや豊かさ、そして安全性を手に入れて、一人当たりのGDPも最高水準であり、世界中のモノやサービスを消費する十分な経済力を手に入れてしまっていました。だからこそ、このインフラアセットがもたらす環境価値が大きく毀損しない限りは、実は日々の生活において、危機感を感じることもなく、むしろ幸せであるという状況だったかこそ、放置してしまったのだと思います。

面白いことに、もう一つメディアが好き好んで報道するテーマに「幸福度ランキング」というのがあります。これが年々低下しているという話なわけですが、実際このランキングにピンときている国民はどれほどいるでしょうか。案外、それなりに幸せですと感じている人が大半なのではないでしょうか。

PLではなく資産資本の毀損こそリスク

当方は強い危機感を感じてます。それはなぜか。GDPが伸びないからでも、時価総額が大きくなってないからではありません。メディアが好き好んで報道する内容は、ビジネスで言えば、売上高や利益に関連するものと同質です。つまり、PL(損益計算書)的観点でこの危機感を語ろうとしているわけです。

本当の危機は、PLではなくアセット側にあると考えています。ビジネスで言えば、バランスシート(※オフバランスや非財務含む)にあると考えています。

バランスシートという話になると、国の財政の観点では借金がどんどん増加しているという話がよく話題に上がりますが、私が申し上げているのはそこではありません。

道路、水道、エネルギー、住宅といった社会インフラ、そして人にまつわる人的資本、知財・テクノロジー、それらのアセットを指しています。

我々がこの状況に満足している背景にも重なりますが、日本は1990年代時点でかなり高い水準のアセットを構築することに成功しました。今だに、古いリゾートマンション等の殆どが80年代後半から90年代前半に建設されているのも一つの象徴でしょうが、高度成長期に積極的にインフラに投資したことで、世界でもかなり高い水準のインフラを構築することができたのです。

70年代から90年代にかけて日本が生み出した付加価値が、かなり我々の生活を支える社会インフラや教育(学校と会社両方)を通じた人的資本に投下され、そのアセットの恩恵に預かりながら我々が今生活しているからこそ、その危機感が芽生えづらいのです。

ただ、これらの社会インフラも当然少しずつテコ入れしているとは言え、徐々にアセット価値は毀損していきます。70-90年代ほど公共投資もできないですから、アセット価値は徐々に先細っていく可能性があります。また、人的資本も、家計、政府、企業の財務的余力が低下する中で、大きく先行投資することが難しく、先細ってきています。人的資本のレポートでも再三指摘されていますが、日本の人的資本に関わる投資は経済規模に対して相対的に極めて小さいのが実情なのです。

アセットの毀損が始まると何が起きるか。大きく2つ影響が出てくると思います。それは、危機感の圧倒的な高まり、そして未来を創る、成長する力の低下です。

仮に日本の社会インフラが停滞し、たとえば停電が増える、鉄道が止まるといったことが起きたり、ITインフラにおいて世界では当たり前のものが使えないという状況が顕在化(既にしてますが)してくると、その事実に対して危機感を覚えることになるでしょう。日常生活に支障をきたすというやつです。

そして、インフラが老朽化し、人的資本が十分ではなくなると、そこから成長をすることが極めて難しくなります。企業再生の世界では、技術や工場が老朽化し、人材の質や数が十分に確保できていない企業ということにありますが、これらは単なる戦略だけでは埋め難い状況です。短期的な再生は難しく、人や資本、アセットの再構築から着手する必要があります。こういう状況の場合は、PEファンドなどから多額の資本を入ればそのアセットの再構築を加速させることでできる限り短期間での再生を試みるわけです。ただ、国の場合はそんな手段は事実上使えないのが大きな違いです。

売上至上主義から脱し、資産資本の効率的活用へ

だからこそ、日本は産業育成の基盤としての競争力を維持するためにも、社会インフラと人的資本といったアセットの毀損を抑えながら、その競争力と価値を高めていくことを最重要の目標として捉えていくことが、まず第一歩だと思います。

いくら、GDPを増やそう、そしてユニコーン企業を輩出して時価総額を増やそうという、トップダウン、売上ドリブンな目標設定だけを掲げても、それの実現は必ずしも近づくわけではないのです。

これは実はミクロのビジネスそのものと全く同じことが言えるのです。

今、2013年以降続いていた挙げ相場がストップし、将来に暗雲が立ち込めている状況です。決して悲観的になる必要がないのですが、盲目的な成長神話、拡大神話が崩れたという意味では、高度成長期が終焉しバブルが崩壊した直後のような(表面上のインパクトはそれほどではないですが)状況にも似ているとも言えます。

当時の最大の反省は、売上拡大こそ最重要の目標であると、売上拡大神話に陥ってしまったことです。資本主義の仕組みを部分的にしか理解しておらず、売上を拡大すれば付加価値が高まっていくはずであるという、そして売上が拡大する限りは銀行を含めて資金超辰ができ、経済拡大とともにアセット価値(不動産等)が高まっていくはずであるという、偏った盲目的なポジティブスパイラルを信じた資本主義的拡大です。

そしてより反省すべきが、その失敗から学び切れず、何度となく売上拡大という「当時の夢」を追い求め続けたことにあると思います。もちろん、2000年以降、資本主義の中で重要な資本効率(ROEなど)の概念が少しずつ浸透し、資本の効率性が大事であるということは、海外機関投資家が保有するような大企業で急速に浸透していきました。

ただ、資本効率は一定程度上昇した企業は出てきたものの、引き続き日本の課題は効率性や生産性にあるのです。だからこそ、一人当たりGDPが上がらず、それに相関性が高い賃金上昇が実現できていないのです。実はROEを上げるだけであれば、生産効率性を引き上げていくことで、賃金と従業員数の増加を抑え込めば、利益が確保でき、結果的にROEを上昇させることができます。また、効率性の低いノンコアアセットを売却することによっても、ROEを引き上げていくことが可能です。当時は、あまりにも非効率な部分が残っていたため、ROEを引き上げることができてきました。

ただ、今それが頭打ちをしつつあります。一定の非効率性を解消した企業がさらに、効率性を高める術を見失っているケースが見受けられます。

スタートアップも陥る罠、「人」にもっと着目を

当方が現在深く関わっているスタートアップでも同様の問題が生じています。現在、資金調達環境や事業環境が大きく変化したことで、厳しい状況に陥った(もしくはつつある)会社が多数存在しています。当方の見立てでは、それぞれの企業に共通した類似点が見受けられます。

それは人員数の増加による売上高の拡大に大きく依存していることです。これ自体が必ずしも悪ではないケースもありますが、創業間もないスタートアップにとってすぐさまこの状況に落ちってしまうのはかなりリスクがあるケースが多いと思います。なぜならば、そのスタートアップの平均賃金はまだ十分に高くないケースが殆どだからです。

言い換えれば、一人当たり賃金を低く抑えることで、少ない付加価値でも成長できる状況を生み出しているのです。当初そうであっても、徐々に一人当たり売上高等の指標が改善していくことで、付加価値が拡大しているのであれば良いのですが、付加価値が拡大せず、人員数の増加のみに売上高拡大が依存している状況です。

そして今何が起きているかというと、当初想定していたほど売上高が伸びない状況に直面しているのです。一方で、株式市場は成長性に対するプレミアムを剥がし、より確実にリターンが見込める、すなわち黒字化している、もしくは黒字化の蓋然性が高い企業により資金を振り向けるという投資行動が起きています。当然、金利上昇等のマクロリスクに対する備えとして、よりリスクに対して強固なポートフォリオを構築していることも背景にありますが、個別企業に対する見方についてもより「生産性の改善」「効率性の改善」によるリターン創出力の大きさと確実性に着目するようになっているのです。

具体的なスタートアップ経営の現場ではこのようなことが起きています。

1)元々売上高拡大の重視した事業計画を策定している

2)生産性の改善や効率性というKPIが軽視(明確な目標設定ではない)

3)月次の経営モニタリングが売上高の進捗を中心に行われている

4)成長に必要な人員計画の達成は個別に行われている

5)採用計画にはリードタイム、遅効性があり、採用をストップした頃には人員数は計画並みに拡大してしまっている

6)その後、売上高の拡大が想定以下であることが表面化する

7)想定以上にキャッシュバーンが拡大し、ランウェイが一気に短くなる

8)売上高成長率が低く、キャッシュバーンが大きな会社の資金調達環境が厳しい

9)資金調達が難しい、蓋然性が低いため、大きくコスト削減を行う

10)成長に対するアセット(人材含め)が毀損する

11)再成長に向けたエンジンが弱る、今後の見通しにおける成長期待が下がる

12)キャッシュバーンを抑えたものの、成長戦略が示せず、期待するバリュエーションでの調達が難しい

13)大きな資本に依存したい形での投資余力、成長戦略が求められる

平たく言えば、付加価値を高め非連続な成長を実現し、社会的インパクトを残すことがスタートアップの本分だとするのであれば、「付加価値向上を横に置き、単なる規模拡大に走った結果、スタートアップとしての魅力や存在意義が失われてしまっている」、というような状況に転落してしまっているのです。

人的資本の拡充、リターン最大化、そして富の分配の重要性

当方は著書の中でも、従前から「一人一人が豊かになる」ことで、一人一人が労働提供や消費を通じて、より未来思考の投資家視点での「労働や消費を通じた」未来への投資が行えるようになることが大事であると伝えてきました。このためのエンジンとしてスタートアップが機能することを期待しているし、スタートアップにおける賃金上昇、株式インセンティブ等を通じた富の分配機能の強化により、日本を少しずつ豊かな国に変えていける可能性があると考えています。

今、スタートアップに欠けているのは、売上拡大の力ではなく、付加価値創造の力だと思います。そしてその富の分配機能がまだ十分ではないと考えています。

今の市場環境で問われているのは、行動成長期に陥ったようなPL思考の売上拡大による付加価値向上ではなく、一人一人の生産性の向上を通じた、付加価値の向上による成長です。スタートアップは、テクノロジーの力を借りながら、高い付加価値を創造するポテンシャルを秘めていると思います。

だからこそ、一度作った付加価値を人海戦術で拡大するのではなく、日々日々付加価値を高めていくことが大事であり、そのために適切な経営指標(KPI)を設定していくことが大事になります。そして富の分配により、最大の資産である人的資本を拡充していくことが大事になります。

端的に言えば、健全な成長とは、一人当たり生産性の改善、賃金上昇、付加価値の向上を通じた持続的な成長です。その結果として、付加価値向上を支える人的資本や技術資産などのアセットが蓄積されている状況です。

高いXXが実現できる産業を育成すべき

今後の日本の産業政策はどこを目指していけば良いのでしょうか。当方が考えるのは、お大きく3つの視点が重要になると考えています。

1つ目が、高い社会的ニーズ、すなわち市場ニーズの高い市場であるか否かです。これは大きなポテンシャルが期待されるという意味で不可欠な視点ですが、一方で競争環境は熾烈なものになっていきます。もちろんニッチ市場を否定しているわけではないですが、産業政策として大きなグランドデザインを描く上では外せない視点でしょう。

ただ、重要なのは残りの2つの視点です。

2つ目が、日本に蓄積されたアセットに着目することです。インフラアセット、人的資本、知的資本、自然資本など、フローで表れるようなPL的な売上規模やGDPではなく、アセット価値に着目することが大事だと思います。多くのケースでこのアセット価値の見積りを過小評価したり、過大評価することでビジネスの競争優位性を見誤ってしまうことがあります。

具体的には、日本の技術優位性がある分野、日本の地理的、社会的、自然的特徴を踏まえたもの、日本の人材の競争優位性、強い教育分野、企業人材が活かせる分野、またエネルギーや交通など社会インフラとして競争力がある分野などです。これらのアセット価値をまず正しく認識し、どう活かしていくか、すなわちROAを高めていくかという視点が大事になってくると思います。

最後の3つ目が、高い生産性、高い賃金、高い付加価値、高い値付けが可能な分野です。この最後の視点をしっかり保つことと、産業政策としてしっかりとKPIとして目標設定を持っていくことが大事になります。付加価値を測る上で最も重要なものは高い値付けです。日本はこれまで付加価値創造を生産性向上のみ(工場の自動化など)に依存し過ぎていました。今後も磨き続けることは大事ですが、高い値付けという適正価格で販売していくことが最も大事です。年々値上げできるようなビジネスこそ、日本が目指していくべき産業の特徴だと言えると思います。

2つ目のポイントはアセット価値の正しい把握、3つ目のポイントは目指すべき目標の設定、ということで経営的な視点が強く求められると考えています。

誰からもわかりやすい指標としては、賃金上昇、そして一人当たりGDPといった指標になってくると思います。企業が脱売上主義を求められたように、日本国も脱GDPが求められていると思います。財務的資本だけではなく、あらゆる資本をまず把握し、それらのROEやROAに相当するリターンを最大化するような方針が重要になってくるでしょう。

ここで述べたような「羅針盤」をしっかりと意識することで、単なるお金のバラマキでもなく、売上高の拡大でもなく、付加価値を高め、国際的にも競争力のある産業が生み出されると期待しています。そして、そういう産業こそ、国際的にも市場からも高い評価を得ることができ、時価総額という副次的な数字もどんどん上がってくることになると思います。

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