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社長謝罪が日本を良くするわけではない〜経営責任とガバナンスの関係

TAKA(@Murakami_Japan)です。私自身もその一端を担っている立場でもあるのですが、昨今日本でもようやく「ガバナンス」という言葉が市民権を得てきています。その中で、これまでメディアを賑わせてきた「経営責任」という言葉についても考えておく必要があると思い筆を取ります。

なお、最終的な責任はトップが取るべきであるということは自明ですし、その点を問題にしたいわけではありません。責任を取る取らないということではなく、その構造に着目してみたいと思います。

昨今の経営責任が問題になったとある例

日本で社長を中心に経営陣の謝罪会見は今も昔もメディアを賑わせています。半沢直樹的世界観で、我々もある意味この謝罪会見を受け入れ慣れてしまっている側面があります。

本当に色々なケースがあるので、経営陣の謝罪会見に至るような経営責任が問題になるケースも千差万別ですので一括りにするのは危険であるのは冒頭に触れておきたいと思います。

経営トップ自体が主体的に問題を牽引しているケース、知りながらも揉み消したケースなど経営陣の個人レベルで「悪意」的なものは問題外に悪だと思うので、そういうケースは一旦横に置いておきます。

最近のケースでいくつか検索してみると以下のようなケースが出てきました。

1)三菱電機
鉄道車両用空調装置における不正検査。定められた検査を行わず、品質データをねつ造するなどの行為が認められた。隠蔽体質が問題とされる

2)みずほ銀行
1ヶ月程度で4回のシステムトラブルが発生した。3行統合以降課題となっていたシステムを含む融合問題、また日本のIT産業における下請け構造等に起因した基盤システムの問題に起因しているとされる

3)小林化工
製造する爪水虫などの治療薬に睡眠導入剤成分が混入し、業務停止命令を受ける。ものづくりの現場の過酷さ、それを監督管理する企業の責任が問われる

4)東京証券取引所
終日売買停止というシステム障害が発生。システム発注先の富士通が作成した製品マニュアルに不備があり、バックアップ機への自動切り替えが5年間オフになっていたことが原因とされる

どれも池井戸潤が好きなネタばかりですねw。これ以外にも多数の異なる背景の事例があるので、例をあげるとキリがないです。

これらのケースを見て、皆さん、この問題が発生する1-2年前に社長に就任していたとしたら、どうでしょうか?結構しんどくないですか?

私も、相当な権限をもらって、切り込むことができれば解決できるのかもしれませんが、日本のサラリーマン社長として、大規模なシステムトラブルや脈々と受け継がれる忖度とかチャレンジとかといった文化の責任まで取ってくれと言われれば結構しんどいなと思います。

ガバナンスとは

いくつかこれまでに書いたnoteをご紹介しておきます。ガバナンスに興味がある方は是非ご一読ください。

かなり議論をはしょってしまいますが、先ほど紹介したようなトラブルが発生した場合、この責任はどこに帰属するのでしょうか。当然、それを管理監督する経営の責任であることは言うまでもありません。ガバナンスとは、ステークホルダーが期待する価値提供を持続的に行い続けるための成長戦略を実施するための、異なるステークホルダーの利害関係を調整するために、経営や会社が持つべきチェック機能(=監督機能)です。

ですので、先ほど紹介したような事例が発生している時点でガバナンス上の欠陥があることは明らかであり、経営責任は問われるのは当然といえます。しっかりとこのリスクに対する課題が認識されており、しかるべき手が打てていれば、このような大事になる前にリスクに対して未然に手を打てた可能性は高いからです。

経営責任とは

経営責任とはなんでしょうか。ガバナンスの考え方に基づくと、まさに経営が担うべき監督機能を果たせなかった責任ということになろうかと思います。ガバナンスの観点に立てば、経営責任とガバナンス上の責任は同一だと言えると思います。

ただ、日本のメディアが取り上げる経営責任とは、もう少し違うニュアンスを含んでいることが多々あるように感じます。先ほど紹介した事例もそれに該当する要素が含まれていると思います。

それが何かというと、サラリーマン社会を勝ち抜いた勝ち組サラリーマンである社長個人が追っているとも言える責任だと言えると思います。

だからこそ、日本の不正やトラブルにおいて、社長が深く首を垂れて、その写真をメディアが撮影し、それを報道する。経営責任の代表的な絵面がそこにあります。半沢直樹的世界観ですw

そこにある価値観とは、社長なんだから責任を取るべきだ、まず謝罪しろ、というもののように感じます。逆にいえば、社長が謝罪すればまぁ許してやるとか、社長が引責辞任しなければ許さないという、ある意味刹那的な場当たり的な価値観が支配しているような恐ろしさを感じます。

日本における経営とガバナンスの課題

トップの責任とか、ガバナンスの本質的な役割はなんなんでしょうか。それを考える前に、日本の経営上の問題についても少し触れておきたいと思います。

日本はガバナンス後進国です。ようやくガバナンスの大事さを認識し始めたに過ぎない状況だと思います。取締役の役割や、ガバナンスの本質的な意味、経営の監督と執行の分離、経営と株主を含むステークホルダーの関係性など、しごく当たり前のことが当たり前のように機能していないのが実態です。

典型的な社長の姿は、最も優秀な営業マンだったり、研究者であったり、とにかく一番実績を上げて、稼いだ同世代の中における執行のプロが、その実績をもとに評価され抜擢されるのが社長というポジションであると思います。過去の実績に伴うご褒美のようなものです。しかし本来は、代表取締役社長(※社長が取締役を兼務していることを想定)は取締役であり、執行とは異なる経営の監督を背負った重要な存在です。

もう一点問題に触れておきたいと思います。日本は、阿吽の呼吸とか関係性という目に見えない行間や空気を重視する文化を内包しているところがあります。アメリカ人はドライだとか言われますが、全くそんなことありません。むしろ責任範囲や役割に従順であり、だからこそ米系企業の方が日本よりもよりあからさまにポリティクス(政治的行為)が存在しています。

その結果、グローバル企業においては、役割の持つ権限は絶対であり、典型的なCEOなど経営メンバーCxOは絶大な権限を持ち、同時に信じられないほどのプレッシャーと社会的・法的責任を追うことが一般的です。

だからこそ、社長であるなら、リスクも管理し成長を牽引するのは当然であるという真っ当な議論が正当化されるのです。

不正をなくすには場当たり的な対応では不十分

あらためて冒頭紹介したような事例を見てみてください。ただのサラリーマン社長だったとして、製造現場の品質管理や、システムトラブルに対するリスクという根深い問題に対して、しっかりとした対応策を打ち切れるでしょうか。

言うは易しですが、多重請負構造であるとか、システムは複雑なオペレーションが変わる問題、脈々と受け継がれた文化や空気に起因する問題を、ただのサラリーマン社長が五年とか限られた在籍期間においてどれぐらい切り込んで問題解決をできるでしょうか。

当然、それでもやるべきだと私は思っています。ただ、それをしっかり実現させるためには、そもそも論のガバナンスという文化を日本にも深く根付かせ、「権限と責任」を明確にしつつ抜本的に高めていくという、現場からの大きな変革なしにはいつまで経ってもいたちごっこ、氷山の一角という状況を抜け出せないのではないでしょうか。

ふと昨今の事例を見ながら、サステナビリティやガバナンスに関心のある私として呟いた次第です。是非活発な議論やご意見が出てくることを期待しています。

追記)NewsPicskに三菱電機関連で新しい記事が出ていたので私のコメントと合わせてご参考まで。

社長が謝罪したり辞任すれば解決するような状況ではないのですよね。正直、この手の問題が今後起きないようにするには、根本的なカルチャーやら組織やらなんならビジネスモデルを抜本的に見直していかなければいけないような本質的な問題に向き合っていくことが不可欠です。
今回は、検査不正が起きたことというよりも、それを経営としてどう捉えて、どう改善していく姿勢を見せるのかというガバナンス上の観点が大事だったと思います。第三者委員会を立ち上げるのは昨今は当然として、そもそも初動がまずく隠蔽を疑われ、そもそも経営としてこのような問題を軽視している姿勢により、様々なステークホルダーから信頼を失う結果を招いてしまいます。
今後経営に求められるのは、より複雑で高度なステークホルダーマネジメントです。金融機関だけではなく、テクノロジー企業も最先端でいいもの作れば売れるというのは今は昔の話。株式会社である以上、「信頼」と「信用」の積み上げが不可欠です。これを担保し持続的にリスクテイクして成長を実現していくのがガバナンスの役割だと思います。

参考記事)

最後に)
今回のカバー写真は、祈りを込めてということで、都内にある神社の写真です。

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