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最近、印象に残った映画


◾️1978年、冬。 (2007)

監督 : リー・チーシアン 脚本 : リー・チーシアン、リー・ウェイ

 文化大革命後、1978年は中国にとって時代の転換期ともなった年である。「古い時代に終わりを告げて、新しい時代が始まろうとしているちょうどその狭間、時代と時代が交差するところに生きる人々を描きたいと思い、この時代を選んだ」と、監督は語る。舞台は中国北部にある閉鎖的な地方都市。北京から引越してきた少女との出会いをきっかけに、兄弟の日常が少しずつ変化していくストーリーで、物語は非常に淡々と進んでいく。
 削ぎ落とされた少ない会話のなか、差し込まれる、広大な田園風景を捉えたロングショットとのコントラストは絶妙で、思わずアンドレイ・タルコフスキーを想起させられた。(持ち上げ過ぎなのかもしれないが、)少なくとも完璧主義な側面と、映像表現で語ることに徹底したスタイルは近しいものがある。冬の静謐さと無機質なコンクリート群は、その空間構成のみで無慈悲な未来を暗示しているかのようだった。一抹の不安を抱えながら、見守る映画は嫌いじゃない。万人受けする映画ではないと思うが、中国第六世代と呼ばれる監督やロシア映画が好きな方にはおすすめしたい。

 ちなみに次作はコメディ映画に挑戦しているらしい。ゴリゴリに計算された作家性がどう表現されるのか楽しみ。案外、中国版ジャック・タチっぽくなってるのかも?それはそれで面白そうだけど。

◾️WANDA / ワンダ (1970)

監督・脚本 : バーバラ・ローデン

 監督・脚本・主演の三本柱を務めたバーバラ・ローデンのデビュー作であり遺作ともなった米国インディペンデンス映画の傑作。ジョン・レノン、オノ・ヨーコ、ジョン・ウォーターズケリー・ライカートダルデンヌ兄弟などの名だたる著名人たちが称賛しているのに加え、“インディペンデンス映画の父”と称されるジョン・カサヴェテスもお気に入りの作品として太鼓判を押している。
 孤独な女性ワンダを襲う数々のアクシデントに、転々と繰り広げられる逃避行。まるで飼い犬かのように従順な彼女の意思は、僅かな言動にしか垣間見えない。本作は、家父長制が色濃く映し出され、家庭以外の場であろうと、女性の序列が男性より下とされているシーンが多々ある。今でこそ、男女平等が大きく取り上げられるようになっているが、時代性を鑑みれば、この作品のバーバラ・ローデンの主張はフェミニズム的な視点からも至極先鋭的なものだったと言えるであろう。女性監督の台頭という意味だけでなく、インディペンデンスなスタイルで、ある意味作家性を重視した彼女のエッセンスは、確実にケリー・ライカートや次世代の映像作家たちへ受け継がれている。

 アートワーク最高。くらいの気持ちで鑑賞したので、思わぬ収穫だった。ブルーを基調としたシネマ・ヴェリテ・スタイル(ドキュメンタリー撮影手法)だったため、序盤はずっとフランス映画と勘違いしてました。ちなみにメルカリでポスター1200円で売られていた、欲しかった…

◾️ソウルメイト / 七月と安生 (2016)

監督 : デレク・ツァン

 第93回アカデミー賞国際長編映画賞にノミネートされ、香港のアカデミー賞にあたる香港電影金像奨で12部門ノミネート(作曲賞受賞)、同じく中華圏を代表する映画賞・金馬奨では安生を演じたチョウ・ドンユイ、七月を演じたマー・スーチュンの二人に主演女優賞W受賞と映画賞を圧巻した作品。個人的にはチョウ・ドンユイの笑顔のバリエーションの多さには引き込まれるものがあった。(というより、沼に浸かるものがあった。みてくれたら分かるはず。)また商業的に成功しているだけあって、エンターテインメントとしての展開の面白さも感じた。
 幼馴染2人の友情を描いたヒューマン・ドラマで、鑑賞前はありがちな内容をイメージしていた (完全に舐めていた)が、展開は全く持って予測不能。強引な展開があるという訳でもなく、一人一人の人間の芯を鮮明に描いているので、分かりやすくもあり、余韻の残る作品だった。特段、身に覚えがある訳でもないが、人間関係がある限り、誰にでも起こりうる話だと思う。『人は、一人一人では、いつも永久に、永久に、恐ろしい孤独である。(萩原朔太郎)』(これは自分のモットー)孤独を人に埋めてもうおうとする時ほど、悲しく、惨めなものはない…何言ってるんだこいつは…という感じですよね。全てがネタバレ要素なので、みたほうが早いです。(投げやり)

 主演のチョウ・ドンユイ「恋するシェフの最強レシピ」という映画で金城武と共演しているらしい。20歳差のラブコメ。公式HP覗いてみたら、ちょっと面白そうだった。

◾️柳と風 (1999)

監督 : モハマッド=アリ・タレビ 脚本 : アッバス・キアロスタミ

 新鋭モハマッド=アリ・タレビ監督と巨匠アッバス・キアロスタミが脚本を手掛けたヒューマン・ドラマ。子供主役の作品のため、思わず保護者目線で見守ってしまうようなスリリングな展開にハラハラさせられる。また自然美も圧巻で、壮大さを際立たせたフレーミングには圧倒された。
 イランは教育熱心な国として知られ、現在、大学進学率は日本を上回っているという。本作では冒頭からそんなイラン教育の徹底ぶりが窺えるが、一方で親世代の教育に対する価値観との溝も大きかったようだ。キアロスタミが監督を務めた「ホームワーク」という作品では、"子供の宿題を教えられる親とそうでない親との間では学力に差が生まれていく"というような問題を映し出しているのだが、20数年経った今、"親ガチャ"という言葉が蔓延する世の中と問題の本質は変わっていない。教育にネガティブな問題はつきものであるが…悩みと生きるのは大人も子供も一緒だ。とにかくこの作品の素晴らしさは、ラストシーンの美しさで、何もかも報われたような気持ちになれることだ。

 キアロスタミの名前を出している以上、触れておきたい。イラン人アーティスト・映画監督・アクティビストのマニア・アクバリが、主演作『10話』(2002)の盗作と性加害を理由に、キアロスタミを告発していたことが判明したことについてだ。キアロスタミはすでに亡くなっているので真偽は定かではないが、こちらの記事は、ぜひ目を通して頂きたい。


◾️ベトナムから遠く離れて (1967)

監督 : クリス・マルケルジャン=リュック・ゴダールアラン・レネ
ウィリアム・クラインヨリス・イヴェンスアニエス・ヴァルダ
クロード・ルルーシュ

 「ベトナム戦争を、このまま傍観することはできない」という意図のもと、名だたるフランス映画界の重鎮がオムニバス形式で、それぞれ南ベトナム民族解放戦線への連帯意識を表明した作品。単なる反戦メッセージにとどまらず、痛烈な戦争批評がモノローグされている。
 確かに、この製作陣だからこその映像はあった。表現の限界を知りながら、製作されたであろうことも伝わり、身の引き締まる思いで鑑賞した。「われわれはベトナムから遠い。われわれの嫌悪も真実から遠い。」と、締め括られるラスト。根本的に、映画としてパッケージングしたところで、戦地にいる命を救える訳ではなく、鑑賞したところで、我々は1つの作品を見たに過ぎない。ではここから、”私たちは何をすべきか?”この問いかけに辿り着くよう構成されているように感じた。これは芸術の起源とも捉えられるし、彼らが映画を製作した理由のひとつとも言えるであろう。2018年頃バックパックでアジアを周遊していた学生時代、何気なく訪れたベトナム戦争証跡博物館でのことは、今でも鮮明に覚えている。そこでは胸を抉られるような現実を目の当たりした。なにより博物館のラストで、枯れ葉剤による後遺症に苦しむ人々と対面した時、『はじめて、言葉が意味を持たなくなった瞬間を味わった。すべてが綺麗事でしかなく、反射的に目を背け、涙も無慈悲、怒りも無と化すくらいに、犯した罪の大きさに駆られた。』我々は只々、現実を、人類の罪を、脳裏に焼き続けるしかないのだ。卑しき人間が神に救済を求めるかのように…現地での死産・流産、奇形発症率の増加は、今もなお続いているという。ベトナム戦争は全く持って終結していないのだ。では"私たちは何をすべきか?"

 ウクライナ、アフガニスタン、ミャンマー…すべての争いから遠く離れて。赦免のない罪を問い続ける。"私たちは何をすべきか?"

NO WAR
言葉が意味を持たなくった先、そんな音楽がここで演奏されている。

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