光が強くなればなるほど、闇も深くなる。
新しく採用されたゲーム攻略ライターの方で研修が始まり、先日無事に卒業できた。
研修自体は順調に進み、自分の未熟さや至らなさに打ちのめされそうになった時もあったが、今まで曖昧にやってきたライティングの洗い出しができて有意義な時間を過ごせた。
学び直しの機会を得て、日々時間が経つのがあっという間な研修期間だった。
配属タイトルが決まり、また新たな日々が始まる。慣れるまでは毎日が新鮮な気持ちでいっぱいだ。
ふと、わたしは今やりたいことができている、と強く実感する。やりたかった業界でやりたかった仕事ができ、生活もなんとか軌道修正できて安定の一途をたどっている。そして、今年は嬉しいご報告もできそうだ。
本当に波乱万丈だったけど、全体的に見たら今はこれまでの人生の中で一番良い状態になりかけている。でも少し、問題は起こっているのだけれど。
研修の日が近づくのと同時に、減量したステロイドの影響か、痛みがまたぶり返してきていた。
またか。またこのタイミングで再燃するのか。数年前の悪夢がふとよみがえり、胸がざわつく。
以前、転職するタイミングで再燃・入院となり、転職先が流れてしまった経験がある。
なんとしてでも体調を戻さないと。リンパの腫れはどんどんひどくなり、しまいには熱が出た。
手が痛い。指が痛い。ゲームどころかタイピングもできない。
身体が痛むと、本当に心が弱る。夜、ベッドでしくしく泣いた。
翌朝、病院に行った。
検査結果では大きな変動はないが、小さな揺らぎはある。
それがウイルス感染によるものなのか、それともSLEによるものなのか。
とにかく、ウイルス感染の可能性が払拭されないと次の段階には進めない。
追加の血液検査をおこない、その日は終了した。
次の通院日。
検査結果では、ウイルス感染の兆候は見られなかった。血液検査から膠原病内科で診れる範囲は限られており、リンパ腫の可能性もあるかもしれない、と血液内科での受診が決定した。
追加で、更に詳しいウイルス検査をおこない、その日は終了した。
痛みは強く、関節と筋肉は連日悲鳴を上げている。
痛みと不自由な生活のストレスがどんどん溜まり、コリン性蕁麻疹が再発した。
週末はインフルエンザやコロナレベルの身体の痛みがあり、ベッドから出られなかった。
微熱でぼんやりとした頭で、天井を見つめる。この悪夢がいつまで続くのだろうか、と。
蕁麻疹と痛みを抱えて、また次の通院日。
皮膚科の受診日でもあったので、蕁麻疹の件を伝える。
季節の変わり目であり、職場が変わったためストレスを感じているのか、それともSLEないしは他の病気が誘発しているのか現段階では判断できない、と言われた。
まぁだいたいそうだろうと思っていたし、そっちの分野は内科の先生たちに任せておけばよい、と話半分で聞いていた。(身体が悪くなると普段よりも頭がぼんやりする)
コンサルが入っていた血液内科では、造影剤を用いたCT検査をおこなった。久々の造影剤で気分が悪くなったし、血液検査も膠原病内科とは別でおこなって、もうフラフラだ。
結局、血液内科での検査結果がわかるのは時間がかかるらしく、CTの結果からは特に何もわからなかったようで、耳鼻科での生検が可能かコンサルを出された。
SLEを診断する際も散々たらいまわしにされたので慣れてはいるが、原因が判明するまでは時間がかかりそうだ。
最後に受診した膠原病内科では、主治医が険しい顔で電子カルテを見つめていた。
SLEが悪化した時に上がりやすい、DHA抗体・フェリチン・炎症反応は正常値、補体も低下していないためSLEの活動性が高いわけではないが、肝臓の数値がどんどん上がっている。
毎週フォローアップする必要がある、と意図せず病院通いが始まってしまった。
研修も始まったばかりなのに、1週間に2回通院しなければいけない日もある。なんだか大事になってしまったとがっかりするのと同時に、大事な時に役に立たない自分の身体を呪った。
持病の受容なんて、やっぱりできない。わたしの身体を巣喰う病魔が、憎くて憎くて仕方なかった。
次の週からは病院フィーバーだった。
7月が始まったというのに初日から通院日で休み、その週は2日も休んでしまった。
おかげで研修が進まない。そのことも若干のストレスとなっていた。
耳鼻科ではリンパに針を刺して生検をおこなった。腰椎穿刺などの針を刺す検査はいくつか通ってきたが、やはり痛覚が敏感で、しかも痛みがある患部に直接刺すのはひどく苦痛を伴うものだった。
痛む首を抑えながら、くさくさした気持ちで帰る。彼に付き添ってもらってよかったと心から思った。
検査結果は1週間後に、ということだったが、耳鼻科の2日後に内科と皮膚科の受診があり、フライングで検査結果を見せてくれた。
取った細胞からは異常は見られない。となると、やはり切除での生検になる、というのが主治医の見解だった。
手術が逃れられない、という気持ちで目の前が暗くなる。身体に針を刺したことがあっても刃を入れたことがないので、ひどく恐怖を覚えた。
来週まで実のところどうなるのかはわからないのだけれど、死刑を宣告されたような気持ちで足取り重く帰宅した。
そして次の週。
慌てて告げられた梅雨入り宣言はどこへ行ったのやら、茹るような暑さの中病院に向かう。
今日は判決の日。手術するか否かを告げられる日だった。
手続きを済ませ、足取り重く診察室に向かう。診察室に入ると、先生は間髪入れずに検査の結果では陰性であったこと、深く検査するために入院して手術する必要があることを告げた。
大きくなるまで放っておいて、後から手術でも良いとのことだった。本当は親知らずの時と同じで逃げ出したかったが、半年以上ずっと痛んでいるのだ。悪性であってもなくても、手術してリンパ節を取り出し、検査すれば治療法が確定できる。
一度身近な人と相談されても大丈夫ですよ、とのことだったので、彼と相談する時間が欲しかったのもあり(主に送り迎え関連の話)、その日は保留にしてもらった。
手術か。生まれて初めての手術で、人生で一番の緊張かもしれない。大した事ない手術かもしれないが、やはり怖いものは怖い。
人間は未知なるものが一番の恐怖と言うが、まさにその通りだと思う。局所麻酔で、頭部に近いところでごちゃごちゃされるわけだから、余計に怖い。
答えを出すのが怖いけれど、はっきりさせないと医者としても治療法を提示できないので、次の通院日にきちんと回答を出すことにした。
運命の通院日。
その日は内科もあったので、いつも通り採血と採尿を済ませ、血液内科から順番に診察を受けた。
血液内科の先生からの言葉は、意外なものだった。
年齢と女性、ということを考えると、今無理に手術して検査する必要はないと思う、という見解だった。
内心、ほっとしたのは言うまでもないだろう。「どちらか選べる」という余地を与えられて、わたしは混乱していたのだ。
本音を言えば、手術なんてしたくない。いっそのこと、必要だから受けてくださいと強く言われた方がまだ納得がいく。
しかし、結局は主治医が最初に言い出した話なので、主治医の意見を聞く必要がある、という話になり、そのまま次は膠原病内科に移動した。
膠原病内科では、血液内科の先生の見解を伝えると微妙な反応をされた。無理もないだろう、原因究明のために検査を依頼したのに、詳しく検査するのはちょっと、と突っぱねられたのだから。
針生検では正確性に欠けるので、できれば手術で摘出する生検をやりたかったのだろうが、血液内科の先生の意見がある手前、強く言えなかったのだと思う。(わたしが露骨に嫌そうな感じを出していたのもある)
血液内科の先生は腫れがもっと大きくなってからで良い、とのことだったので、とりあえずはSLEの増悪ということで治療を進めていく方向になった。
耳鼻科も血液内科と膠原病内科からの電子カルテの情報から状況を把握していたようで、もし今後大きくなったり痛みが強くなった場合に診ますね、とのことで、診察は無事に終了した。
結局、問題を先延ばしにしただけで原因はわからず、対処療法的にステロイドを増やして様子を見ることになった。
正直、今までの再燃とは違って、補体も下がっていないしCRP(炎症反応)も上がっていない。ただ肝臓の数値が上がっている、というような状態だった。
主治医も「正直言って何が起こっているかわからない」と若干匙を投げていた。だからこそ生検をやりたかったのだろう。
だけど、怖かった。もう少し強く言われたらやっていたかもしれないが、命に関わるほどの緊急性がないのであれば、逃げたくなるのが人間だろう。
また、逃げてしまった。逃げてばかりだが、手術をすることによるリスクやデメリットの方が頭の大半を占めていたので、ひとまずは目をそらすことにした。
ここ最近はずっと体調を崩しているので、彼が「難病の人がお参りする神社がある」と見つけてきて、今度行くことになった。
1ヶ月近く体調不良で引きこもっていたので、少し運動がてら気分転換がてら出かけてみようと思う。
また何か進捗があったら書きます。今日はここまで。