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サンドイッチを一緒に。

なんでだか無性にサンドイッチが食べたくなった。

読んでた小説にでてきたから、
素敵なサンドイッチのエッセイを読んだから、
ふと目に入ったテレビで見たから、
そういう少しずつの欲望が積み重なって俺にサンドイッチを作らせる。

・シンプルなサンドイッチ

シンプルなサンドイッチが作りたかった。
例えば、チーズだけとか、辛子バターとキュウリだけみたいなやつ。

けれど家で作っていると色々入れてしまう。
あ、これも美味しそう、野菜も食わないと、中途半端に余ってるアレ、、、そんな自分が嫌になるけど、それもまた愛おしくて…
結局は

卵サラダと鶏ハムとキュウリのサンドイッチ
豚舌ハムとキュウリと辛子バターのサンドイッチ

の2種を作った。
入れすぎた…と少し後悔しつつも
それも俺らしいし美味い!!という喜びもあるので、まぁOK

卵サラダは茹で卵を潰し、マヨネーズと塩コショウと粒マスタードで混ぜた物。
シンプルな美味しさ。
ついでに茹で鶏胸肉を少しだけ挟む、淡泊なあの食感と旨味が卵サラダと合う。
もちろん薄切りのキュウリも大切だ。
歯応えを残すちょうどいい厚さに切り、軽~く塩をする。
キュウリはサンドイッチの陰の主役。


ハムサンドに関しては沖縄土産の豚舌ハムが三本あるので、舌の根元の方をなるたけ薄く切って使う。
王道のハムサンドに使うには硬いが、極薄く切って使えばギリセーフ。
少し温めて柔らかくしたバターに和辛子を混ぜパンに薄く丁寧に塗り、ハム、キュウリをのせ挟む。


・耳の有無はサンドイッチの魅力を左右する

ご存じの通り、サンドイッチには耳がついているのとついていないのがある。
どちらが上だとか、高級だとか、そういう話しではなく、あれは方向性の問題だ。

ビーフオアチキン的な違いで別物だ。


耳は食感も香ばしさも旨味も強いので
それに合う具材や作り方があるし、耳を外した方がバランスが良い場合もある。

例えばキュウリと辛子バターだけなら耳は無い方がいいだろう。
けれどそこにベーコンをいれると耳付きの方がしっくりくる。

その感じは白米と玄米の使い訳に似ている。
例えばウナギの蒲焼きなら白米、鮭の粕漬けなら玄米。
白米ならチャーハンだけど、玄米なら焼きめし。そんな感じ。

まぁ耳に関しては味だけじゃ無いけどね。
あると無いとでは歯応えも全然違う。
食べ応えがあるから具もそれなりに力が必要になってくる。

そういう意味では豚舌ハムは耳によく合う具材。
歯応えもあるし、旨味も強い。
卵は万能だからどっちでも合う、凄い具材。


あ、もちろん切った耳は耳で食べてね。
そのままでも、焼いても、ラスクやクルトンにしても良い。

サンドイッチの沼も深そうだ。
パンの種類、塗る物、具材、温度、切るサイズ、切り方、耳、、、言い出したら切りが無い。
寿司みたいだなぁと思ったりする。


・2日連続サンドイッチ

昨日も食べたのに今日も食べてる。わーお。沼。

今日のサンドイッチは
卵とサラダとキュウリのサンドイッチ
卵サラダとキュウリとチーズのサンドイッチ

の2種。

あとはサラダとスープ、パンが足りなかったのでスープには玄米を少し。

今日の卵サラダは昨日より荒く潰して卵感強め。
粒マスタードじゃなくて和辛子で。
卵をメインにするならこういうの良いな。美味い。

卵とチーズとキュウリってのもいい。
コクがあって最高。


・たくさんの偏愛

俺はこれまでたくさんの食べ物にハマってきた。
中学生の頃、生姜にハマって部屋で干して持ち歩いていたのが始まりかな、それなりにどっぷり浸かるのだ。

言い出したらキリが無いけど、生姜、カンパーニュ、ドーナツ、ビリヤニ、日本酒、、などなど色んな沼に入っている。

なんかクズ男みたいな言い方だけど、みんな愛してる。
浮気じゃ無いのよ、みんなに一方的なラブコール。


ハマるときはなにかしらキッカケがあるのだが、ハマるとしばらく(数週間から数年)はその事ばかり考えて調べて食べる。

ビリヤニが食べたすぎて雨の中チャリンコを飛ばしたり

カンパーニュを求めて遠くまで行き山を登ったり

ドーナツモンスターと化したり


そういうレベルで色んな物にハマった。
ハマっている内に新しい沼に入ったり、そうと思えば数ヶ月間なにもないって事もある。

けど、ひとつ言えるのはしっかり偏愛した食べ物はその後も(今のところ)しっかり愛している。
そういう積み重ねで人間はできているのかもしれない。知らんけど。


そうそう、ハマり方にも色々ある。
例えば
ビリヤニは一気にハマってそれなりに持続しており
カンパーニュはゆっくりハマって好きが馴染んでおり
ドーナツは熱狂的に食べたくなる時期がたまにくる

色んな愛がある。


こないだ行ったレストランでは好物ばかりで
「大好物です!」って言い過ぎたのか白い目で見られたが、好きなんだもん。
仕方ないでしょう。


・偏愛と食事と幸せ。

感情や幸福なんてのはその人の価値観だから分からんけど、偏愛する対象があるというのはひとつの幸福だと思う。

好き!という感情は生きるエネルギーだ。
食べ物に限らず、音楽、芸術、人、生物、自然、空間、、、対象は色んな物がある。


偏愛というのはバランスが悪い。
そりゃそうだ”偏った愛”だからね。
けれどその偏りで尖っているのは大事な心の拠り所になると思うんだ。
(その分、折れたときは大変だけど)

依存しすぎないように愛を注ぐ。
そういう生き方を大切にしていきたい。
自分のメンタルを穏やかにする事は平和への第一歩だと思うしね。

最近、耳を塞ぎたくなるようなニュースが多い。
本当に心が痛むし、何かできることが無いのかと思ってもどうすればいいのかモヤモヤ。

けどまずは自分から、自分を大事にして人を傷つけないように。
そして次は身近な人を、美味しい物を一緒に食べる事は平和のひとつ。


綺麗事かもしれないけど、料理をすることしかできないから作ります。
なるたけ美味しい物を全力で楽しく。
みんなで一緒にサンドイッチでも食べれる穏やかな日を祈りながら。

おしまい。


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