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たまたまなのかな

前回の続きで、私が記事中に書く配偶者に対しての呼び名が【妻、嫁、パートナー、彼女】と記事の中で変わるという不安定さがあるということについて。


記事を作成しているときは夢中になっているので、本人も意識しているわけではない。ない、ないのだが、あまりにも呼び方が変わるので


もしかしたら、潜在意識の中で何らかの区別をしているのでは?

といった疑問が浮かんだ。
幸いnoteには過去の記事が残り、その時と心情や思惑などが文字のまま残されている。今回の本題はこれを読み返して自分自身に隠された深層心理を探っていこうという考察ドキュメント(?)となる。


まずはじめに、私のnote記事は創作や台本のようなものがなく、感情を素直に表現した矛盾だらけの文章である。もし、律儀にも私のnoteを読んでいる方がいるとしたら、あまりに話が飛びすぎて「ウェェッ」と何度も吐き気を我慢しながら読んでいるのだろう。そんなM傾向のある特異な方々に、まずは感謝申し上げたい。なぜなら今回の記事は考察であり、大変長く意味のない文章が続くからだ。



呼び名が変わる原因
浮上した3つの仮説


1)女性が複数人いる説

そもそも、言い方ではなくて実際に区別しているのかもしれない。つまり、別人たちなのでは?という考察から入りたい…ところだが、文字数の関係上即座に否定する。私は一夫多妻制を認めないという日本のあり方について、異を唱えるつもりはない。全くもって異論はない。つまり実際に私が愛する人は一人だけだ。

ややこしいので今回だけは配偶者のことを”A”と表記するが、A以外に配偶者はいないし、恋人も、愛人も、たまに会ってたまたま偶然にたまたまベッドに入るような関係の女性も、たまたまな男性もいない。たしかに男性の場合、たまたまはあるのだけれども、それはいわずもがな、つまり身体の一部の器官の俗称のことである。それから私が1号と呼ばれた男だからと言って、そういった意味の2号さんがいるわけではないのだ。つまり「実際に愛する対象者が複数人いる」という説は否定させていただこう。

何ら証明にはならないが、これまでの記事の書き方から私が女性のことを指して、「彼女」と書くことが他にもあるからだ。これに他意はなく名前を知らない第三者の男性の話をするときは「彼」と書くことと同じだからだ。



2)読み手のリズムを意識している説

私はラッパーではないので韻を踏んだりできるわけではない。先の分からない初めての曲を歌詞を見ただけで歌えるほど器用でもないし、楽器が弾けるわけでもない。これまで音楽に関する知識を披露するような記事は皆無。

私もほかの方のnoteを読んでいる。初めて記事を読んだときに「あっ、なんかこの感じ読みやすい」とか「内容に興味はそそられないんだけど、読み終わった後に少し鼻の穴が広がっている」など、私の琴線に触れる記事にお会いすることがある。それはその方の表現する文章のスピード感と、私が実際に読んでいるときの速度が合致した時なのではないかと思う。

そういった文章を書かれる方を本当に尊敬するし、自分にはできないことだなぁと思っている。無学ゆえの諦めの境地としてバリケードの構築。未熟なのだ、おじさんはとても。



3)感情によって使い分けている説

これには最もスポットを当てなければいけないだろう。冒頭で「感情を素直に表現した~」と予防線を張った通りのことだ。それぞれの呼び名の言葉自体からくる印象を、上手に文章として表現しようとしているのではないだろうか。

Case. 妻
他人に「妻」と伝える意図は少なからず次のような意味が含まれる「この方は私と婚姻関係にあるのだから手を出さないでねテヘペロ」あるいは自慢するときに少し鼻を「フンスーッ」と、水木しげる大先生の漫画のように鼻息が荒いときだ。実は、男性自身は配偶者を「妻」と呼ぶことに対して多少の緊張感がある。誇らしい気持ちと、照れて気恥ずかしい気持ちがある。数々の競争を勝ち抜いて、この私だけが一緒となることを選ばれたのだ。どうだ!すごいだろう。そう「妻」の前には隠された”〇〇の”がついている。それが「自慢の妻」だ。

Case. 嫁
嫁などいない。私には息子がいないので、ウチに嫁に来るような女性はいらっしゃらないのが事実だ。この呼び名は物議を呼び、ともに「奥さん」という言い方もどちらとも自分の配偶者をさす言葉ではない!といろんなところから怒られそうなのでこれ以上触れないでおこう。

Case. パートナー
これは深い勘繰りを入れなくても世の流れか、トランスジェンダーがなんなのか詳しく理解しているとは言い難いけれど、パートナーはつまりパートナーだ。間違いじゃないし、これは「お互いが認めたパートナー」という意味で、きっとサトシ氏とピカチ〇ウさんのような、タッグを組めば超人タッグトーナメントの予選を突破できるかもしれない!という意気込みを共有していることの意味。へのツッパリはいらないのである。

Case. 彼女
まずは先ほど述べたような使い方の場合。つまりは「彼(か)の女(おんな)」という方向と性別を指示しただけの意味。もうひとつは恋人と同意語。恋人というのは結婚していない、お互いが向き合った親密な関係を指し示す場合が一般的。今は婚姻関係となっているが結婚前の蜜月を共に過ごした時がフラッシュバックして「こやつめ、ハハハ」となっている可能性がある。「自慢の嫁」のニュアンスとは異なり「かわいい彼女」とでもいうのだろうか。


意図的にこれらを操り、読んでいる人たちをグッと惹きつけている…いや、そんな器用なことができるはずもなく、読み返してみると実は一貫性がないことがわかる。ほんの一時、期待してしまったのだ、淡い期待を。自らの奥底に眠る悪魔的才能というやつを。もちろん期待は見事に打ち砕かれて粉々だ。もう、コナゴナではなくフンフンと読んでくれて構わない。


まとめ

それぞれの説はどれもが的外れで、ボンヤリとした輪郭を漂わせながら花粉とともに春風に運ばれていった。結局のところ真相にはたどり着いていない。いや、誰にも真相などわかるはずがないのだ。潜在意識とは本人でさえ知りえないところに潜んでいるのだから。誰もが持つであろう表と裏。2面性とは、あくまでも性格を平面・2次元で表現したに過ぎない。
だが、私に裏表はない。どちらかといえば3次元的だ。どこに対しても表面的には均一な1号が顔を出している。だが完全無欠の聖人君子というわけではない。外側と内側は確実に存在している。


いうなれば、球。


可愛くないので、「たま」と言い換えよう。いや愛称のように呼んでもらえると親近感が増すような気がする。復唱すると、なお良いだろう!さぁ呼んでくれたまえ!私を「たまたま」とッッッ!!!!
そう、それはいわずもがな、つまり身体の一部の器官の...(ry


過去類を見ないほど無意味なnoteとなってしまったが、花粉へのイラ立ちが臨界点を超え、ついカッとなってやった。反省はしていない。

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