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歩き地蔵のお江戸面白地蔵物語 VOL.12深川永代寺の「取り持ち地蔵」

日日更新を目指しています。なんと12回目になりました。すごいですね。私が歩けているのもすごいと思いますが(笑)、それよりも、東京の町にはなんて不思議というか、意味ありげなお地蔵さんがあちこちにあるんだな~ってことが、すごいです。 

ネットでも調べて、見当つけて目的地に向かうのですが、ネットの写真での情報と実際にお会いした時の自分の心の受け止め方の違いも面白い。それから、写真を元に絵を早朝から描きはじめ、写真や絵から聞こえてくる、お地蔵さんの声とか、もうめっちゃ、私の細胞を元気つけてくれます。

実は、私は、今、医師からあう抗がん剤がないと言われてます。あと、私が罹患したガンは閉経後の女性は普通はかからないと言われている卵黄ガンと言うガンちゃんで、いわゆる珍しいガンにかかってしまって、症例がないのですね。それで、事例が少ないので、医師も考えちゃっていることもあります。近頃の医師は厳しいことをはじめに言うのかな?

「このままだと、どんどんガンが広がるでしょう」って。

ならば、いつも、逆転の発想というのかな?ならば、広がらないような生活をするといいんだね。と。よく、こういう実践をして治ったという一つの事例を私が作ればいいだけじゃん、、、みたいな。(大学が横浜だったので、時々、横浜弁)

あと、ちょっと知人の紹介で「法華経を勉強して、ガンを治そう」という方に出逢ったのも、お地蔵さん取材をしてみようと思うきっかけでもあったのですが、その方がおっしゃるには、人間の細胞は2%から3%しか活用されてなく、97%が生かされたいとうずうずして待ってってくれているらしいんですね。

で、スイッチの切り替えで、細胞は私が眠っている間も動き出すと。だから、自分の体は自分の意思で動いているのではなく、細胞が勝手にいい方向に動いてくれているのだから、とにかく、いいことをイメージしていこうと。

よく、スピリチュアルな話で、耳にすることですがね。やはり自分の思いが先にあって、前向きでいることが体へも変化を及ぼすと考えて実行しています。

前置き長くなりましたが、今日ご紹介するのは、深川の永代寺の「取り持ち地蔵さん」です。

この永代寺、大きなお地蔵さんが、江戸の入り口に目印として建てられてたと言う江戸時代での象徴のような六地蔵の6番目のお地蔵さんがあった位のお寺さんで、門前仲町前の意味も永代寺の門前と言う意味なんだそうです。また、江戸時代の永代寺は、深川不動さんや富岡八幡宮などを含むほどの敷地を持っていたのですが、今回は、え、ここなの?と感じる位の狭い敷地に思えました。すみません。

ま、そのあたりのお話を「取り持ち地蔵さん」に聞いてきましたので、インタビューの内容をお聞きください。

では、「取り持ち地蔵さ~~~ん、どうぞ~~~」

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「は~い。どうもどうも~~~。来てくれて、ありがとうございます」

「ちょっと、地蔵堂の奥にお顔があるので、表情がわかりにくいのですが、ご機嫌いかがでしょうか?」

「ちょっと、眠いけど、おかげ様で元気ですよ~」

「あ、またまた、ちょっと、奥に鎮座されてますので、わかりにくいのですが、頭の上に鏡持ちがとろんとしているみたいな・・・ベレー帽みたいなの被ってますかね?」

「あら、あなた、よく気が付いたわね。そうなのよ。私の名前、取り持ち地蔵っていうでしょ。でね。いつの頃か鏡餅を頭の上にのっけられちゃって、なんだかね~。おかしいでしょ。人間様って、お地蔵さんは菩薩の一人ってわかんないのかな?本当に遊んでくれるの。人の体使って~~~ね~~~」

「取り持ちさんも、おね~のタイプですか?」

「あら、わかっちゃった?」

「お言葉遣いでわかりますよね。えっと、そうそう、道玄坂のお地蔵さんもおね~タイプでした。あと、三田で見た・・・・えっと」

「あ、あなた、今、三田で見たってオヤジギャク言った?」

「いやいや、そんな・・・・いえいえ」

「三田で見たってオヤジギャクじゃん」

「いや~~~、えっと。三田でお会いした。。。だわね。いいじゃないですか?もう~~どっちでも~~」

「あら、ごめんね~」

「その三田のおしろい地蔵さんは生粋の江戸っこ男子なんだけど、おしろい塗られてて、秋田弁で『ショッシー』って、あ、意味は恥ずかしいって意味なんですが、ショッシーって言ってましたね」

「うふふ、お地蔵さんネットで、あなたの歩きは見てたわ。あなた見てて、私偉いな~って関心してたのよ。痛い足なんだけど、歩いているんでしょ?」

「正確に言うと歩くと痛みが軽くなるので、歩いているっていう感じですね」

「けど、偉い。いい子ね」

「えっと、今57歳なので、いい子ってわけじゃないかな?でね、、、聞きたいことがあってきたのです」

「何?なんでも聞いて。答えられることだったらお応えするわ」

「えっとですね。永代寺って、昔は広い敷地だったと聞いてたんですが、今は地味じゃないですか?どっちかと言うと深川っていうと、成田山のお不動さんの護摩焚きって感じじゃないですか?なんでなんですかね?」

「いいとこ、ついてきたわね。教えてあげるわ。結構長いわよ」

「あ、手短にお願いしま~す。歩くのはいいのですが、ただ立っているのはキツイんです」

「いろいろあるのね。あはは。じゃあね、簡単に言うとね。もともとは、富岡八幡宮の宮司さんが、宮司さんではなくお坊さんだったのね。名前は長盛法印とおっしゃたのね。八幡宮作って別院でお寺も作ったのね。それが永代寺なの。そこに、住職として暮らしたのね。昔は一緒でもよかったからね。神仏融合ね。

それで、あと継いだ住職たちが永代寺の敷地を拡げていったのね。けど、江戸っこの人気は永代寺よりも、富岡八幡宮にあって、八幡宮の周辺の方がお料理屋や茶屋があったのね。それから、五代将軍、徳川綱吉の生母桂昌院が将軍に成田山からお不動さんを運んでよ~って頼んだのね」

「え、ここも、桂昌院さん?」

「そう、護国寺と一緒ね。桂さん寺好きだったのね~。息子将軍だし、権力もお金もあるからね。お願いします~~~って、頼んで持って来てもらって…今に至っている~すごいね~」

「で?」

「でね。お不動さんも来て、ますます、深川は盛り上がるのだけど、時代が明治に変わってね、廃仏毀釈の流れになって、お寺の権威が落とされて、永代寺も廃寺になるの。六地蔵もあったけど、なくなるのね。けど、住職は今度、富岡八幡宮の宮司になるの。つまり、つながりがあったからね」

「ふむふむ」

「でね。いろいろの交渉があったのね。もともとの、お不動さんを持ってきた時の吉祥院があった場所に、廃寺になったはずの永代寺が立て直しされて、永代寺の広い敷地を成田山のお不動さんが明治11年に譲りうけて、今の護摩焚きで有名な深川不動堂になっているの」

「そうなんですね。お詳しい・・・・ん?もしかして、もしかして、そのいろいろと取り持ってきたんですか?取り持ち地蔵さん」

「え、え、いや~そんなことないわ。私はただ見守ってきただけなのよ~。取り持つなんて、そんな大それたことしてたないし、できないわ。歩けないし」

「お地蔵さん、秘密にしておきますね。顔に取り持ってきたのは、わ・た・し、って書いてあるって。うしし」

「もう、だめよ、あなたの行動はお地蔵さんネットで筒抜けなんだから~。もう仕方ないわ。しゃべってしまった私の責任ね」

取り持ち地蔵さん、本当にお堂の奥の方で顔がよく見えないように立っていらして、本当に謙虚なのです。ぜひ、一度、本当に地味なお寺さんなのですが、参拝してみてはいかがでしょうか?

※この物語の骨子は様々なネット上に上がっている情報と私の足取材との混合で組み立てられております。ネット情報を上げてくださっている方々に心から感謝申し上げます。

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おまけ 今日のご褒美

深川で深川飯を食べるべきでした。なぜか鶏のから揚げ食べたくなり、絵は今回は上げません。

ただ、護摩焚きに二回参加させていただき、二回目はお経本も購入して、お坊さんのお経に合わせて大きな声でお経唱えられるか挑戦してみましたが、どこ読んでいるかかわらず、本当に難しいものなんだな~と思いました。

ずっと座ってたら、足の裏と腰が痛く、筋肉もこわばって、痛くなりました。

それを治すのには、歩くことが一番なのですね。

それで1万歩以上歩くことを目標にしてて歩いています。

お地蔵さん巡りと読み物を書くことの2本たての淡々と繰り返される日常に昨日は、なぜかしら、特別にありがたいな~と思いました。

まず、この淡々と繰り返す歩き地蔵生活ですが、今日も取材とあと法華経でガンを治す勉強会なので、前向きに取り組んできたいと思っています。

最後まで、今日も読んでいただき、ありがとうございます。

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