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読書ノート 「世界史の構造」 柄谷行人

 いまや柄谷行人の主著と言っていい「世界史の構造」。「交換様式論」の確立を行い、その後の広大な射程の思想的展開を開始させるメルクマーク(指標)となった。ここでは【序文】と【序説 交換様式論】について触れる。


【序文】

  • 「本書は、交換様式から社会構成体の歴史を見直すことによって、現在の資本=ネーション=国家を超える展望を開こうという企てである」

  • 「社会民主主義は、資本主義経済を超えるものではなくて、むしろ、資本制=ネーション=ステイトが生き残るための最後の形態である」


  • 柄谷は言う。「資本=ネーション=ステートは実に巧妙なシステム」であり、私(柄谷)の関心はそれを超えること。

  • 9.11は、宗教的対立と見えるが、実際には「南北」の深刻な亀裂を露出するもの。またそこには、資本と国家の亀裂も内在している。国家やネーションが単なる「上部構造」ではなく、能動的な主体として活動することを、改めて痛感させられた。そうした認識を持ち、社会構成体の歴史を包括的に捉え直す。


  • マルクスは、ヘーゲルの「法の哲学」の批判から出発した。マルクスのヘーゲル批判とは、ヘーゲルの観念論的な思弁を唯物論的に転倒すること。上下の転倒より前後の転倒を重要視する。

  • 「マルクスは、資本制経済を下部構造とし、ネーションや国家を観念的な上部構造とみなした。そのため、資本=ネーション=国家という複合的な社会構成体を捉えられなくなったのである。その結果として、マルクス主義運動は国家とネーションという問題で大きな躓きを経験してきたのである。その原因は、マルクスが、国家やネーションが資本と同様に、単なる啓蒙によっては解消することができないような存在根拠をもつことを見なかったこと、さらに、それらがもともと相互に連関する構造にあることを見なかったことにある。資本、国家、ネーション、宗教を真に揚棄(止揚)しようとするのであれば、まずそれらがなんであるか認識しなければならない。たんにそれらを否定するだけでは何にもならない。結果的に、それらの現実性を承認するほかなくなり、そのあげく、それを越えようとする『理念』をシニカルに嘲笑するにいたるだけである。それがポストモダニズムにほかならない」


  • ヘーゲルは物事を事後から見、カントは事前から見る。

  • カントにとって、理念は仮像。それは「超越論的仮像」である。われわれはそれを理性によって取り除くことはできない。なぜなら、それは理性が必要とするような仮像だからだ。平たくいえば、そのような仮像がなければ、われわれは統合失調症に陥るほかない。


  • 「私はカントの『諸国家連邦』の構想を、平和主義としてではなく、国家と資本の揚棄という観点から読み直そうとしたのである。そのとき、私が思い当たったのは、カントがいわば『世界同時革命』について考えていたということである。彼はルソー的な市民革命を支持していたが、それが一国だけでは成り立たない、ということを予想していた。他国の干渉や侵略が必ず生じるからだ。カントがフランス革命以前から諸国家連邦を構想したのはそのためである。つまり、それは戦争の防止のためではなく、市民革命を『世界同時革命』とするためであった」

  • そして、カントとマルクスが思いもよらぬ形(世界同時の市民革命の最初のステップが初国家連邦)で再会することになった。

  • 「カントは、諸国家連邦が、人間の善意によってではなく、むしろ戦争によって、ゆえにまた、不可抗力的に実現されるだろう、と考えた。実際、彼の構想は、二度の世界大戦を通して実現されてきた。国際連盟および国際連合である。もちろん、それは不十分なものである。だが、資本=ネーション=ステートを越える道筋がこの方向を進めることにしかないことは、疑いを入れない」


 カントが重要なのだと、薄学な私にも理解出来、すぐさま「恒久平和のために」を読むという行動に出る。それによると、
 生き物はいつかその目的にふさわしい形で完全に発達するようあらかじめ定められている。人間において、理性の利用が完全に発達するのは、類の次元においてである。自然は人間に、動物からはみ出た部分、本能からかかわりのない箇所で、自己の理性に拠って獲得できる幸福や完璧さを実現することを指向させている。対立に拠ってそれはドライブさせられている。
 そこに悪の起源もあるが、これは自然の摂理である。そのなかから人間は、市民社会を設立する。人間が最後に解決すべき課題は、上位たる支配者をどこから、誰が就くかということ。概念、経験、意志が満たされるもの、それが上位の支配者となるであろうが、これらが揃うのは極めて困難である。エピクロスの言うような僥倖がそのためには必要かもしれない。
 自然の隠された計画、すなわち完全な国家の設立には、世界市民の樹立が必要である。完全な市民連合を作り出すために、自然は促進する。すべての悪徳は、自然と道徳の対立から始まっている。文化が自然となること、これこそ人類の道徳的な規定の最後の目的にほかならない。と、私(sakazuki)は読んだ。「自然の摂理」がキーワード。これは今後も参照される。

【序説 交換様式論】

①マルクスのヘーゲル批判

  • 「たんに、生産様式にかわって交換様式から出発すればいいのだ」

  • 資本主義システムは、「物質的」であるどころか、信用に基づく観念的な世界である。だからこそ、それはたえず、「恐慌」(危機)をはらむのだ。

②交換様式のタイプ

  • マルクスは、商品交換が始まるのは共同体と共同体の間であるということを再三強調した。互酬も同様。互酬を通して、世帯を越えた上位の集団が形成される

  • 国家の本質は暴力の独占にある(マックス・ウェーバー)。

  • 商品交換は、相互の平等を意味するものではない

  • 交換様式Dは、Bがもたらす国家を否定するだけでなく、Cのなかで生じる階級分裂を越え、いわば、交換様式Aを高次元で回復するもの。BとCによって抑圧された互酬性の契機を想像的に回復しようとする。宗教的な運動という形をとって現れる。

  • 道徳的な領域も、交換様式と無縁ではない。

  • Dとは…社会主義、共産主義、アナーキズム、評議会コミュニズム、アソシエーショニズム、X(そして「向こうからやってくるもの」)。

③権力のタイプ

  • 交換様式から生じるさまざまな権力

  • 三つの共同規範 共同体の法、国家の法、国際法

  • 共同規範が権力をもたらすのではない。

  • 贈与することは、贈与された側を支配する。互酬交換には、一種の権力が付随する。

  • 共同体には各人を拘束する贈与の力が存在する。

  • 国家の根底に「恐怖に強要された契約」をみる(ホッブス)。

  • 貨幣の力は、貨幣の所要者が商品の所有者に対して持つ権利「質権」を持つ。ゆえに貨幣は蓄積することができる。富の蓄積は、商品の蓄積ではなく貨幣の蓄積によって生まれた。

  • 商品は、交換されなければ、廃棄される。商品ですらなくなる。商品は交換されるかどうかわからないから、貨幣を持つものが、圧倒的に優位に立つ。ここに、資本が発生する理由がある。

  • 明らかなのは、どの交換様式からもそれに固有の権力が生ずるということ。

  • 交換様式Dは、A・B・Cに派生する権力とは違う、人間の欲や意思を超えた、至上命令(神の力)としてあらわれる

  • (その権力は強力なものなのだろうか)。

④交通概念

  • モーゼル・ヘス「生命は生産的な生命活動の交換である」

  • ドイツ語では、「代謝」は交換を意味する

  • マルクスの「交通」

⑤人間と「自然」の交換

  • 地球環境は、大気循環と水循環を通して、窮極的にエントロピーを廃熱として宇宙の外に捨てることによって、循環的なシステムたりえている。人間の生活は、この自然循環から資源を得て、廃物を自然循環に返す限りにおいて維持できる。資本制工業主義が始まるまで、人間がこのエコシステムを決定的に破壊することはなく、人間が生み出した廃棄物は容易に自然によって処理されてきた。それが人間と自然の物質的交換(代謝)ということである。

  • 「生産」は一般に、廃棄物を無視して語られ、その創造性のみが評価される。ヘーゲルが捉えてきた「生産」とはこのようなもの。マルクス主義者も同様で、「生産」を肯定的な側面のみで捉えてきた。悪者は「搾取」「階級支配」であると。

  • しかしマルクス(本人)は、産業資本が労働者だけでなく、開発により「土壌と人間」を破壊してしまうことを批判した。農業では大規模農業ではなく、小規模農業の連合(アソシエーショニン)であるべきだと言った。

  • 人間における最初の環境破壊は、メソポタミアの灌漑農耕において生じ、それは砂漠化に帰結している。これは、人間を収奪する組織(国家)が同時に自然(土壌)を収奪する組織であるということの最初の例である。現在の産業資本主義ではそれが地球規模で実行される。

⑥社会構成体の歴史

  • 地理的な特定を取り除き、歴史的な発展の順序とみなさない、という条件をつければ、マルクスの示した「資本制生産に先行する諸形態」の社会構成体の歴史的諸段階は、今も有効であるといえる。

  • モンゴルの遊牧民が築いた巨大な帝国は、ローカルにはアジア的な専制君主でありながら、同時に、支配的共同体としては、部族間の互酬的な連合に依拠していた。これに比べれば、ローマ帝国を含む他の世界=帝国はローカルというほかない。

⑦近代世界システム

  • 西ヨーロッパにおいて、主権国家は、相互に主権を承認することで成立するインターステート・システムの下で成立したのである。それを強いたのは世界=経済である。

  • マルクスは、『資本論』において、他の交換様式をカッコに入れて、商品交換が形成するシステムを明らかにしようとした。私(柄谷)は、それと似たことを、国家やネーションについておこなう。そのうえで、国家、資本、ネーションなどがどう連関するかを見る。いいかえれば、それらの基礎的な交換様式が歴史的にどのように連関するかを見る。その場合、これらを四つの段階に分けて考察する。国家以前のミニ世界システム、資本制以前の世界=帝国、資本制以後の世界=経済、さらに現在と未来。

  • 私が目指すのは、複数の基礎的な交換様式の連関を超越論的に解明することである。それはまた、世界史に起こった三つの「移行」を構造論的に明らかにすることである。

  • さらに、そのことによって、四つ目の移行、すなわち世界共和国への移行に関する手がかりを見出すことである。


 もっとうまくまとめることができれば良いのですが、今の私にはこの程度しかできません…。参考までに以下も御覧ください。


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