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ぼくたちはバズることができない(4)



前回:ぼくたちはバズることができない(3)




 終了時間が近づき、撤収するブースが目立ちはじめる。俺たちはわずかな可能性にかけて、最後まで来場者を待ち続けた。

 だが、奇跡は起こらなかった。

 一七時ちょうどにアナウンスが鳴り、第三一回ブンゲイ市場は閉場となった。

 入場者数が知らされたとき、自然と拍手が巻き起こる。開催してくれた関係者と、来場者に対する感謝のしるしなのだろう。

 俺も一応は手を叩いたが、心では全く祝福していない。発表が二〇〇〇人でも、肌感覚では五人だ。

 俺たちの本は、五冊しか売れなかった。ミカヅキの本が二冊。二人の合同誌が二冊。そして、俺の本はついぞ一冊しか売れなかった。

 つまり、俺は自分の本を買った人間を、この目で見ていないことになる。

 合計一二〇部刷って、手元には一三九部残った。

 ブンゲイ市場への出展は、紛れもなく失敗だろう。出展料すら回収できず、かすかな喜びも六万円という赤字の前では霞んでしまう。

 完売したらどうしようなんて思っていた昨晩の自分を、息ができなくなるまで殴りたくなった。

 撤収作業は、俺が本を宅配便で送り、ミカヅキがブースの片づけをするという分担で進んだ。合同誌は実家暮らしのミカヅキが引き受けてくれたので、俺の持ち帰りは四七冊で済んだ。

 最後に二人で机を片付けると、会場は活気が嘘のようにがらんとしていた。話している人間も数えるほどしかいない。

 ミカヅキは振り返って、頭を下げてから会場を後にする。

 だが、俺にとっては苦痛でしかない五時間を過ごした場所だ。足で砂をかけたいくらいで、感謝の思いは微塵も浮かばない。

 外に出ると、もうすでに日は落ちていて、モノレールの明かりがやたらと眩しく見えた。

 なんとなく浜松町で降りた俺たちは、お疲れ様会がてら、一緒に夕食を食べようという話になった。二人ともこれといって食べたいものがなく、本当に何の理由もなく、カレーチェーンに入る。

 俺はカレーと一緒にビールを頼み、未成年のミカヅキは烏龍茶を頼むことで俺に合わせようとしていた。

 だからといって、ノンアルコールにする気はさらさら起きない。

「疲れましたね。ほとんどただ座っていただけなのに」

「そうですね。俺も疲れました。前日の夜そんなに眠れなかったので、その分も合わせて」

「ケンさんもですか。私も緊張とワクワクで、昨晩は全然眠れなかったんですよ」

「じゃあ、帰ったらすぐ寝てしまいそうですね」

「そうですね。お互いに」

 そこまで話したところで、ドリンクがカレーに先駆けてやってきた。黄金色に輝くビールだけが、信頼できる。

 ミカヅキもグラスを持った。誘った手前、音頭は俺が取ることにした。

「サークル三日月軒。本日の出展お疲れ様でした。乾杯!」

 グラスが当たる軽快な音が、人の少ない店内に響く。

 俺はビールを半分以上、一気に飲み干す。悔しさと苛立ちを少しでも紛らわしたかった。

 だけれど、アルコールは即座に効いてはくれない。俺はため息とともに、ここを出てミカヅキと別れたら、近くの飲み屋でもう一杯飲もうと決めた。

 ミカヅキは烏龍茶を少ししか飲んでいない。

 目元は穏やかな色をしている。悔しくはないのだろうか。

「終わりましたね。ブンゲイ市場。どうでした? 初めての出展を終えてみての正直な感想は?」

「本当に正直に言っていいですか?」

 ミカヅキがそう前置きするから、俺はどんな愚痴が出てくるのかと期待する。

 汚ければ汚いほどいい。その方が、俺も思う存分ぶちまけられる。

「正直言うと、もう少し売れると思ってました。別に完売するとは思ってなかったんですけど、それにしたって半分くらいは売れるかなーと。私たちって本当に無名なんだって、思い知らされました」

「分かります。俺ももっと売れると思ってたからショックでした。隣の人の本がけっこう売れていた分余計に」

 七尾の本は俺が確認しただけでも、五〇冊は売れていた気がする。十数回の蓄積が、否応にも感じられた。

「本当、笑っちゃうぐらい売れませんでしたよね」

 ミカヅキははにかんで見せるが、俺には何がおかしいのか全く分からない。

 実家暮らしで親に何とかしてもらえるミカヅキとは違って、俺は経済的に自立している。

 俺は身を切って、血を流して参加したのだ。

 自分の全てを無視されて笑うなんて真似は、俺にはできなかった。

「私がもっとツイッターとかで毎日呟いていれば、結果は変わっていたのかもしれませんね」

 確かに三日月軒のアカウントは、二日に一回しか呟かれていなかった。

 詳しくは知らないが定時投稿できるサービスもツイッターにはあるらしい。まあそれを活用したところで、今まで一度もバズったことのない俺たちだ。せいぜい一冊か二冊、余計に売れただけだろう。

 フォロワーが七〇人しかいないアカウントの拡散力なんて、たかが知れている。

「そんなことないですよ。俺もブースが決まってから前日まで、全く告知してませんでしたから。毎日投稿する短歌に、ツリーで告知をぶら下げておけばよかったです」

 インプレッション数五〇のツイートに、大した効果があるとは思えないがという本音は黙っておく。

 まだぶちまけられるほど、酔いが回っていなかった。

「いえいえ、宣伝担当は私なんですから、私の力不足ですよ。本当にすみませんでした」

 自分より年下の女に謝られるというのは、誰も見ていないにしても気分が悪い。

 頭を下げているミカヅキを、俺はなだめた。

 入ってきた人間に、女に謝らせる男というイメージを、持たれたくはなかった。

「ミカヅキさんがアカウントを立ち上げてくれなかったら、一冊だって売れていたか怪しいですから。感謝してますよ。よかったじゃないですか、五冊も売れて」

 と心にも思っていないことを言う俺は、二枚舌という言葉がふさわしかった。

 ミカヅキは顔を上げて烏龍茶を一口飲む。

「そうですね。私も本が売れたときはすごく感動してしまって。心から出展してよかったって思いました」

 そこまで言ったところで、気がついたようにミカヅキは口をつぐんだ。「すいません」とまたしても謝っている。

 ミカヅキの言葉は、自分の本が売れるところを見られなかった俺にとっては、暴言でしかなかった。

 もっと謝れ、項垂れろと目線に込めるも、口ではまるで反対のことを言う。

 この期に及んで、まだ良い人間だと思われたいのか。

「別に大丈夫ですよ。今回のことは、タイミングが悪かったとしか思ってませんから」

 もちろん嘘である。

 ミカヅキには俺が戻ってくるまでに引き留めておいてほしかった。

 何だったら俺の本を手に取ったのに買わなかった数人の、首根っこを掴んで引きずり回してやりたい。

 大勢の出展者がそう思っているはずだと、勝手に主語を大きくした。

「で、どうします? めちゃくちゃ在庫抱えちゃいましたけど。捌くために次のブンゲイ市場にも出ますか?」

 終了時に、次のブンゲイ市場の日程は伝えられていた。

 ゴールデンウィークも過ぎた五月中旬の日曜日。

 半年後、どんな状況になっているかはまだ分からないだろうが、今日開催できたのだから、よほどのことがない限りはまた開催するだろう。

 もし参加するなら、そのときまでに短歌を作り続けなければいけない。もちろん、バズることはないだろうけれど。

 ミカヅキはしばし視線を泳がせる。

 厨房からカレーの匂いが漂っているが、俺たちのテーブルにはまだ一皿も到着していなかった。

「すいません、私は次のブンゲイ市場には不参加でお願いできますか」

 あんな目に遭っておいて、逃げんのかよ。

 まだ未成年なのだから、短大でない限り時間に余裕はあるはずだ。週五で働いている俺よりもよっぽど。

「それは、売れなかったからですか。赤字を抱えてしまったからですか」

 俺とミカヅキは仲良く赤字を抱えた。もし次のブンゲイ市場に向けて新刊を刷るとすれば、二〇〇〇円ほどの値をつけない限りはまた赤字になる。

 これくらいで怖じ気づいてしまったのだろうか。

 だとしたら、俺は目の前の相手を軽蔑する。

 視線を送っても、ミカヅキは答えることはない。

 沈黙を割くようにして、テーブルにカレーが二皿運ばれてきた。俺のはフライドチキンと野菜のトッピングが載っているが、ミカヅキのはシンプルなポークカレーだ。

 カレーを目にしたまま、置物のように動かないミカヅキ。俺が「まあ食べましょう」と促してはじめて、ようやくスプーンを持ってカレーを口に運ぶ。

 普通の辛さのカレーは、マイルドで美味しい。ミカヅキの表情も少しだけ緩む。

 そのまま食べ進めていると、ミカヅキの方から話を再開してくれた。

「あの、そういうわけじゃないんです。確かに売れなかったのはショックでしたけど、でも私はそれ以上に一冊でも手に取ってもらえたのが、本当の本当に嬉しくて」

 俺は、何も言葉を発しなかった。頷きもしなかった。

 そんな感慨を味わっていない俺には、簡単に同意することはできなかった。

 ただカレーを食べ進め、たまにビールを煽るのみ。

 おもちゃの人形みたいだ。あちこち壊れてはいるが。

「私、今までツイッターとかnoteに短歌を載せていて、いいねやスキもほんの少しだけどついていたんです。でも、面と向かってじゃないと、人からいいねされている気がしなくて。機械がランダムに選んで、いいねを押してるんじゃないか、ぐらいに思ってたんです」

 カレーを口にしながら、俺は心当たりを探っていた。

 確かに、毎日飽きることもなくつけられる叔母からの反応は、機械的といった言葉がふさわしい。

 生身の人間からの承認は、俺が最も求めているものの一つだ。

 会社だけでは物足りない。

 不特定多数の承認がほしい。

「でも、今日ブンゲイ市場に出てみて分かりました。いいねはちゃんと人間が押してくれていたものなんだって。私のような人間の短歌でも、喜んでくれる人がいるんだって。私が短歌を作ってきたことには、ちゃんと意味があったんだって」

 ミカヅキはスプーンを動かす手を止めている。

 気づくとカレーは最後の一口を残すのみとなっている。もともとライスの量を少なめで頼んでいたのだから、俺よりも早く食べ終わるだろう。

 もう俺とは一緒にいたくないということか。

「それは良かったですね」と、答える声にも刺々しさが生まれた。

「はい。もう今日はそれだけで満足です。良い思い出になりました」

 感慨深く口にして、ミカヅキは最後の一口を食べ終わり、烏龍茶もすべて飲み干した。

 バッグから財布を取り出したということは、やはり俺といるのが苦痛なのだろう。嫉妬と責任転嫁にまみれたこの俺と。

 ミカヅキはテーブルに千円札を置いてから、バッグを肩にかけた。立ち上がる間際に、思わず声をかけてしまう。

「あの、これで終わりなんでしょうか。来年五月のブンゲイ市場にまた二人で出るっていうのは……」

 今日の立て役者はミカヅキだ。ミカヅキがブースにいなければ、俺たちの本は売れることはなかった。

 少なくとも俺一人だったら、もっと悲惨な状況になったのは目に見えている。

 引き留めようと俺が発した瞬間、ミカヅキは笑みをこぼしていた。温かみのある表情が、かえって冷たい印象を与えてくる。

「すいません。私はブンゲイ市場の参加はこれで最後にさせてください。もうやりきりましたから」

「じゃあ、ツイッターやnoteなんかでまた短歌を作り合いましょう。俺も頑張って続けますから」

「それも、ごめんなさい。私はたぶん短歌をはじめ、何かを作ることはもうないと思います。今日でちゃんと報われたので。満たされちゃったので。これからはケンさんの作る短歌を、一読者として楽しみたいと思います」

 ふざけんな。

 たった一人か二人に認められただけで、満たされるなんて。

 お前のなかにある空洞は、そんなに浅いものだったのか。

 日に日に深さを増していく空洞を少しでも埋めていくために、俺たちは三十一文字に願いを、祈りを、叫びを込めてるんじゃなかったのか。

 そんな軽い気持ちなら、最初からやらないほうがマシだ。

 大声で罵りたくなったけれど、俺は耐えた。吐き出した呪詛が、自分に跳ね返ってくるのが恐ろしかったのだろう。

 ただミカヅキを見上げることしかできなかった。

「今日は誘っていただきありがとうございました。ケンさんの短歌、これからも心待ちにしています」

 最後に深く礼をして、ミカヅキはテーブルから離れていった。

 退出するよりも先にドアが開いて、ひとりぼっちの男が手ぶらで入店してくる。きっとそいつの目に俺は、女に振られたみっともない人間に映っているのだろう。

 座り込む俺は、否定する元気をすでに持っていなかった。

 だから、男の見立ても間違いではない。みっともないクソ野郎だ。
 
 ビールをまた少し口に運ぶと、憤怒は落ち着くよりも、さらに燃え上がった。

 何が「心待ちにしています」だ。どうせすぐ俺のことなんて忘れて、何事もなかったかのように日々を送るのだろう。

 数年経って掘り起こされたら「黒歴史だよ」なんて笑うのかもしれない。

 俺はミカヅキを心底憎んだ。

 そして、あれほど底の浅い奴を、同類だと思っていた自分も軽蔑した。

 ビールを飲み干し、カレーを完食したら、俺がこの店にいる理由はもうなくなる。

 アウターを着ようと手を伸ばした瞬間、今日の短歌をまだ投稿していないことに気がついた。

 ツイッターでは#短歌や#tankaといったハッシュタグで、今も絶え間なく短歌が投稿されている。それらは後に残ることは決してない、刹那的なものだ。

 いいねもリツイートもいいねもなく、バズっている短歌は一つもない。

 何が若者の間で短歌ブームが来ている、だ。そんなの年寄りの希望的な幻想にすぎない。

 心の中で毒づきながら、俺は投稿ボタンをタップした。

 いいねもリツイートもつかない短歌を、電子の海に向かって投げ入れる。それは意地の固まりでしかなかった。


ぼくたちは バズることが できないと 嘆く声さえ 届かず消える

#まいにち短歌
#気に入ったらリツイート


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